勾玉遊戯:過去編1990-2000

02


 
      ☆

「いやあ。見事見事」
 そんなことをいいながら、ぱんぱんと軽く手を叩き、闇に沈んだ木陰から姿を表したのは橘飛鳥。柚真人と同じ歳の少年も、今夜は忌色の装束に身を包んでいる。
「ご苦労様でした、我らが御当主様」
「……この手の仕事はあんまりやりたくはないんだけどね」
「いいじゃない。派手で」
「派手だから、嫌なんだろ? いかにもいかにもなのは、どうもな。そもそも、こういうのって、形だけのものだし」
「まあまあ。需要と供給だし、この手の儀式がないと納得できないって依頼主も手合いもいるんだし。支払は即金。旅費支給、宿泊無料で事件も解決。円満円満」
「まあね……」
 灯の消えた蝋燭を拾い集めながらあっけらかんと言う飛鳥の言葉に、柚真人は困って笑った。
 飛鳥は楽天的で拘りがなく、あっさりしたものである。
「で、『狭山』は結局のところ何をどうしたくって、その残滓がここへとどまったっていうんだ?」
 飛鳥の問いに、柚真人は小さく首を傾げた。
 この世に残された想いの残滓を読み取ることができるのは、皇の一族のものといえども当主たる柚真人のみなのである。それが、皇の当主たる所以でも在るのだが。
「端的にいえば、呪術暗示かな」
「……子供たちの、その、……屍体を食うのが、か?」
「よくあるだろ。処女のなんたらとか、妊婦のなんたらとか。子供も同じだろ。いわゆる生命力の象徴だ」
「はあ。そりゃま、理屈はわかるけど。信じちゃう、しかもそれ実行しちゃう馬鹿の気は、底知れないね」
 嫌悪感むき出しの飛鳥に、柚真人は苦笑した。
「からだの弱かった少年時代から、怪しい宗教・呪術関係の知識や儀式に傾倒しはまり込み、村の子供たちを殺害した。自分がそうやって、子供の屍肉を食すことで自分に呪術的な暗示を施したようだな。それによって自分の凝った想いがここに残った。ようは……死滅を免れ永遠の存在になるという見果てぬ妄想の結果だったろう。その執着。妄念」
「そういう輩には、こういう手管でっていうことになるのか?」
「呪文・呪術・儀式。それらはそう、強制的な相殺の手段だからな。『狭山泰史』の想念残滓の核が呪術である以上、その思念を打ち消すことができるのも同種の呪術・形式ということになる。結局、人の『想い』の衝突だからね。説得の一手段というわけだ」
「思い込みの度合い? 気合いの勝負、か」
「そう言うことだな。宗教・呪術、というのは『信じる心』を支えるものだからね。思想の相違は関係ない、勝負は自分の絶対をいかに信じるかで決まる。そのよりどころとなるのが、神や呪術というわけだ。それ自体には、何の力も無い」
「まあ、そうなんだろうな。言い方を変えれば、お前の強さはそこにあるんだろう。何も信じず、何も恐れず、何にも縋らず、自分を信じる。……僕には、真似はできないね」
「……修行が足りないんだよ、飛鳥は」
「……そういうもんかね?」
「そうですわ」
 そう頷きながら、暁緋月が顔を出した。
 彼女も皇の儀式に用いる、装束――鈍色の衣装を身に纏う。彼女は、柚真人と飛鳥が拾い集めた蝋燭を受け取ると、用意してきた紙袋にしまった。
「飛鳥さんは明らかに修行不足ですわ。改めなさいませ」
「へいへい」
 緋月の言葉に、飛鳥は軽く唇を尖らせる。彼女は、いつでもどこでも皇の当主の味方だから、まったくもって逆らいようがない。
「見事なお手際でした。……それで、どうします? 柚真人さま」
 三人の間には、わずかな思案の空気が漂った。
 どうする、とうのはこれからの身の振り用のことだ。
「そうだな。……『狭山』の遺体と子供たちのことは、すぐ村人の知るところとなるだろう。かといって、いちいちこちらの身分を明かして説明するのは面倒だし、正直、警察関係者や報道関係者とかかわりたくはない」
「そうですわよね……。連休開ければ学校ですし……」
「朝になれば、村は騒然大パニックってか」
「簡単に言えば、そうなるだろう」
「……『狭山』のことと、子供たちのことは、依頼主の村長に話してあるんだろう?」
「ああ、話はついてる。今夜のことも」
「じゃ、ま、村長さんに挨拶してそのままとんずらしましょおよ、御当主様」
「それじゃ、夜逃げするみたいじゃありませんの、飛鳥さん。いやですわ、言葉を改めて下さいません?」
「……だ、そうだが。橘君?」
「……へえい、へい。じゃ、……撤収?」


 忌色装束の少年少女は、その夜のうちに山を下り、林を抜け、その農村から姿を消した。

      ☆

 その日は、五月の初めながら真夏を思わせる天気だった。
 皐月らしからぬ日差しは朝から眩しく、村を照りつけた。

『狭山』の家の前で、老人――村長は立ちすくむ。
 あの、恐ろしく端正な顔立ちの少年は、何と言ったか。
 ――あの男は、死者ですよ。
 奇態なことを言う子供だ、と思ったのだ。
 ――生者に扮した者です。
 その言葉の真意を、老人は計りかねた。何を言っているのかと。
 ――よほど。生きていたかったのでしょう。あなた方が視ているのは、あの男の妄執そのものだ。
 ――凄まじい。
 彼の言葉は謎だった――いま、この瞬間まで。
 昨日までいたはずの人間。
 声を交わし、会話した人間。
 それが今日、死後一月の腐乱した屍体で発見さるまでは。
 なんということだろうか。
 あの少年の言葉は、額面通りの意味だったのだ。
 村で、行方不明となった五人の子供たちの死体は、その男の自宅冷蔵庫から発見された。客観的に言えるのは、それだけである。
 事実は、子供の遺族に衝撃をもたらした。
 そして警察に『事件』の犯人を教えた。
 にわかには、信じがたいことだった。
 村人の誰もが同じ思いでいることだろう。信じられない――それは驚愕など既に軽く飛び越えて、卒倒しそうなほどの衝撃だった。そんなことがあるのだろうか?
 いや、あるのだ。たしかにありうるのだ。
 だって、この村の誰もが、昨日まで、その男と言葉を交わした。
 そして姿を見た。
 いつもの、少し控え目な話し方や、影のある物静かな笑顔は、誰の脳裏にも鮮やかに残っているに違いないのだから。
 いまや、あの少年の言葉は、謎でも何でも無かった。
 端的に、真実――。
 それだけのことだった。それ以外のなにものでもなかった。
 事実は、怪異である。
 正しく、怪異である。
 そして怪異は、その村において、おそらく人々の末代まで、語り継がれるに違いない。
 だが。
 それだけである。


 否。


 それだけなのか――?
 老人は、その家を取り囲む野次馬の人垣から少し離れたところにたたずみ、初夏の透明な空を仰ぐ。
 家の回りには、立ち入り禁止のテープがぐるぐると張り巡らされていた。
 遠巻きに、それを見守る人々の間に、声はない。
 皆一様に固唾を飲んで、凄惨な事件の現場となった、『狭山』の家を見守っている。
 梅雨入り前だというのに、いやにじっとりと暑い。
 息苦しい。陸に上がった金魚のようにぱくぱくと空気を求めると、熱い空気が気管を押し広げるように肺に入ってきた。
 そして、何かに急かされるように辺りを見渡す。
 いつもと同じ村の景色だった。風にそよぐ緑の稲、真っ直ぐ伸びる畔道、雀の聲、山陰、青い空、白い雲――。
 何も変わりはなかった。当たり前なほどにいつもと同じだった。
 だが。
 目の前の家の中には――。
 ――腐乱死体。
 ――屍を食った男。
 ――切り刻まれた子供。
 ――子供の破片。
 ――死。
 ――腐臭。
 老人は、こめかみを押さえて軽く頭を振った。目眩を、感じる。
 山からは、皐月蝉の、悲しく細い聲が降り注ぐ鈴の音のように聞こえている。


 ――鎮守の社は綺麗にして、祭りをすることをすすめます、村長さん。
 老人は、去り際に、年若い神主が告げた言葉を思った。
 ――ここは、……景色こそ美しいけれど、とても荒んでいる……。
 白刃のように清涼な気配を身に漲らせた少年だった。秀麗な顔容は、澄んだ輝石の結晶の硬質を思わせた。そして、それは同時に不気味な禍々しさを喚起するものだった。神職という言葉から想像していたものとは違う、禍々しい印象の鈍と黒の神職姿――。
 そして少年をまるで主人とするかのように左右傍らに控えていた、いまひとりの少年ときわめて美しくこのような場にはあまりにもそぐわない可憐としか表現のしようのない少女――。
 彼らの冷めた瞳。
 否、静謐なまなざしというべきか。
 子供相手に怯んだわけではない。
 けれども彼らを前にしたとき、どこかで腰がひけたと思う。圧倒されたと、思う。
 なぜ。それは、どうしてだったろう。ただの子供ではないか。
 ――拠り所があれば、人は迷わない。『神様』のいないところに、結局『人』は生きられません。それを捨てては駄目なんですよ。
 少年は、そう言った。
 そして昨夜のうちにこの村を立ち去った。
 あしたになれば、何も彼もが終わるでしょう。きっと、夢から覚めるように。
 その通りだった。
 夢から覚める、という言葉がもっともふさわしい。
 高い報酬を対価として支払ったが、こんな結末を期待していたのではなかった。なにか、もっと、なにか凄い奇跡のような。
 全てが救われる事件の終焉。
 何も彼もがもとどおりになること。
 そんなものを願っていたのに。
 どうしてこんなことに――。
 否、それは違うのか。彼らが悪いのではないのか。結末は金で買える物ではなかろう。そうだ、彼らは、それを売るためにここに来たのではない。そんなもの、誰も売ってはくれないのだ。
 真実を。
 事実の本当の姿を、見るべきなのだ。
 これがこの村の成れの果てと、いまの有様と、認めるしかない。
 いま、眩しい太陽を見ていると、いままで悪い夢を見ていたような気がした。
 あの少年の、まるで人形のように整った気味の悪い顔も、もはや正確には思い出せない。
 そもそもあれは、誰だったか。
 闇色の装束の少年少女たち。
 最後に幽な闇の中で確かに見た、あの子供たち。
 おそろしく綺麗で、冷たい、子供。 あれは本当に、ここにいたのか。
 耄碌した自分が、何かおかしな夢を見ていたのではないか。
 なにか、思い違いをしているのではないか。
 自分だけが、狂ってしまったのではないか。


 ――わからない。
 気が触れそうだ、と老人は思った。
 朧な、幽な、薄闇に囚われたように。
 ――わからない。
 ――なにも。


 ――わからない――。