勾玉遊戯:過去編1990-2000

01
 
 
   
 弱々しい月光が鬱蒼と繁る林の木々の隙間から、かすかに洩れて地表を照らす。
 蝋燭の結界が地面に描く、捕縛の円。その炎が揺れる。

      ☆

「こういう仕事は久し振りだ。いささか調子が狂うなあ」
 皇柚真人は嘯いて軽く唇を歪めた。
 三日月の下、対峙するのは男。
 血走った目をして、騙されたことを悟った青年は、口から泡を飛ばす勢いで喚き散らす。
「来るなっ! 近寄るんじゃねえっ!」
「そういわれてもねえ」
「お前、……っ、お前も殺してやるぞ!」
「ふん。死人に生者は殺せまいよ。さあ、あんたの呪いを終わりにしよう」
「うるさいっ。俺は、俺にはできる! 俺はア……!」
 柚真人は薄く嗤った。
「いいや。あんたが『亡者』である以上、おれを殺すことはできない。それは絶対の摂理だからな」
「なにイ……!?」
 男は、少年の言葉にわずかながら怪訝そうな顔をした。
 渇いた風が流れる。
 墨の様な闇が辺りを閉ざす。
 少年と男の足下を照らしだす、蝋燭の炎が、揺れる。儀式めいた円陣。地を這う炎。
 鈍色の(ほう)、漆黒の烏帽子、漆黒の袴、忌色(いみじき)の神衣装束に身を固めた少年がするりと差し出す右手に、純白の幣が揺れる。
「『狭山(さやま)泰史(たいし)』。お前の『術』は既に綻びを生じた。(まじない)の返りを恐れるならばこの印に屈せよ」
 びくりと、男が硬直した。
 少年は隙を与えずたたみかける。
「間に合うぞ。それとも永遠に苦しみたいのか?」
「うるさいうるさいうるさい! 俺はっ」
「それでは仕方ない。やはり『人形祓(ひとがたはらえ)』でもって強制的に消滅してもらおうか」
「やめろっ、そんなことをしても無駄だっ、俺はっ」
「おやおや怯んでるじゃないか。ほら。これがお前の人形だ。名前が入ってるよな。それに、息吹の代わりに髪が添付してある。そら、これに浄化の火を灯そう。術は破れて、あんたに還る。残念だったな。さあ。さよならだ……」
「やめっ……」
 少年が左手で懐から取り出したのは、紙の人形だった。墨で『狭山泰史』と書いてある。少年の瞳がすっと――厳しいものに変じて。その人形は、蝋燭の炎の中へ――。
「さあ……」
 投じられた。
「これで、《《あんたはお終い》》だよ」
「う……」
 恐怖に歪んだ絶叫が――数秒の後に、響き渡った。

      ☆

『狭山泰史』というのは、その村に住む男だった。
 だった――とうのは、その男が、一ヶ月ほど前に死亡していたからである。


 その村は、山間の農村地帯にあった。
 東京は皇神社の神主は、その農村における『神隠事件』のためにこの地に招かれた。
 この村では、ここ二年の間に小学生の子供五人が行方不明になっていたのだ。
 勿論事件は世間でも大きく取り沙汰され、県警察もこれについて事件・事故の両面から捜査を行っていたし、報道機関も謎の失踪事件としてこれを取り扱っていた。
 しかし、捜せども捜せども子供たちは見つからない。そうするうちに、一人、また一人と子供はいなくなってゆく。
 だから、村の住人は、恐れていた。
 ――『神隠(かみかくし)』。
 村には昔から、子供が神隠しにあうという伝説があった。
 『神隠』を行うのは、村の鎮守の神様だといわれてた。
 だがそれはただの言い伝えにすぎない。
 村の人々はそう思っていた。
 なぜなら――鎮守など、あってなきがごとしだったのだから。
 恐れる必要など、なかった。
 祠る者も年毎の祭りが行われることもなくなった、崩れかけの社に棲むという、鎮守の神など――。
 それほど長いこと、村の外れの鎮守の杜は放置されてあった。社は崩れて荒れ果て、境内の雑草も伸び放題に伸び、見る影も無くなって久しかった。
 繁る雑木林の影は昼でも暗く、いまは近寄る者もない。
 それゆえ誰も信じていなかったのだ。
 ――『神隠』の言い伝えなど。
 しかしだからこそ。
 村人は、まさかという思いのうちでそれを畏怖しもしたのである。


 皇柚真人は、五月の連休を利用し、橘飛鳥と暁緋月を伴ってその村を訪れた。
『橘』と『暁』の両名が、『皇』の巫たる柚真人の『助手』を好んで買って出るのは、最近ではいつものことである。
 死者祓・呪術・まじないの類いは、本来皇の『当主』の生業であった。しかし、柚真人の従兄妹にもあたる一族のこの二人は、追い払おうが邪険にしようが宥めすそうが、とにかく何だかんだと理由を付けて口を挟んでくるので、もう来るに任せて放ってある。
 橘飛鳥は単なる好事家だったし、暁緋月は柚真人を慕っていた。皇の『仕事』を嗅ぎ付けるとなればとかく何処にでもついてくるのだ。
 飛鳥が言うには。
「神隠しって、凄いよな、柚真人。あるもんだねえ、そういうことも。静かな農村、消える子供。ひゃあ、怖い」
「『神隠』なんて……。そうそうはありえないよ」
 怪奇現象の類いをこよなく愛好する物好きな従兄弟の言葉に、その時柚真人は肩を竦めて見せた。
「なんでも面白がるものでは在りませんわ、飛鳥さん。不謹慎です」
 とは、暁緋月。
「いつも云ってるだろう? この世に神は存在しない。子供を隠すとしたら、それは神じゃない。人だ」
「……って。あっさりとまあ」
「あっさりもこってりもあるかよ。すべての現象は人の力が起こすものだ」
「それでは、柚真人さま? これは村に伝わる『神隠』伝承とは関係の無いことだとおっしゃいますの?」
「関係ね。その言葉は微妙だな。……これは確かに『事件』だよ。でも、『子供が消えた。見つからない』それ以外の事実が謎のまま、なにひとつ詳らかにならなければやはり人は、それを神隠しとして理解するほかないだろう?」
「それは……そうですわね」
「人間ってそうだよね。何かしら理屈つけて理解した気にならないと、気持ち悪いもんな。『神隠』って、いわゆるそういう理屈だってことだろ、柚真人?」
「ああ。だから『犯人』を捜すのさ。『神』を騙る者をね。それも、皇の、仕事」
 さて、皇神社の一行は、村へ着くとまず件の鎮守を訪れた。
 そしてそこが、とうに神の宿らぬただの社であることを確認した。
 祭る者がいない以上、人の想いは集わない。それゆえに、鎮守のかたちあれどもそこはもはや神域たるとはいえないのだ。
 それから柚真人が『犯人』にたどり着くまでには、さほどの時間を要さなかった。
 皇の巫にとって、『死』の気配を辿ることは、何等難しいことではないからだ。村には『死』の気配に満たされた家が、あった。その家の主人が、『狭山泰史』という男だったのだ。
 男は死者だった。
 だが、村の人々には、生きていると認識されていた。
 村人たちは、男が死んだことに、そしてそれが生者の姿でないことに気が付いていなかったのだ。
 男の念は強かった。
 生への執着、生きるのだという意思。その一念の強さゆえ、願いは焼き付き、想いは遺った。『狭山泰史』は幼少の頃より体の弱い男だった。結婚はしておらず、三年前に老いた両親を亡くして以来、独りもくもくと、農村で働いて暮らした。
 表向きは気さくで優しい男だったようである。だが、それはあくまでも表の顔についてのこと。人は、外見だけなら幾らでも取り繕うことができるのだ。
 男の中にあったのは歪んだ生への執着だった。ここ数年で独り暮らしに疲れたのか、病弱な己に絶望したのか、男は宗教や、呪術などに密かに傾倒していった。
 男はやがて、子供をさらいはじめた。
 そして――。
 子供を殺した。
 その血を啜り、臓物や屍肉を食した。
 それが、自分に遺されたわずかな命を未来へつなぐ、唯一の術だと。
 そう、男は信じたのだ。
 それが、永遠の、永劫の未来を手に入れるために必要なのだと。
 必死で。
 必死で。
 ――必死で。
 その光景を、皇の巫は霊視()た。
 否。
 いやおうなしに脳裏に刻み込まれたというべきだろうか。制御できない勢いで、それは柚真人の中に侵入してきたのだ。
 その家の前に立った時。
 強すぎる思いゆえだった。その行為が、生き延びるのだという男の妄執の核だったのだ。
 食ったのだから、子供たちの遺体はほとんど原形をとどめなかった。残りの部位は冷蔵庫に保存する。
 毎日、毎日、それを食べて生きる。 
 それらは、とても筆舌に尽くせぬ光景だった。
 そんな奇妙な生活が、もともと病弱な男の命をつなぐはずはなく、男は妄執の果てに衰弱し、死んだ。
 けれど、生きていると思っていた。
 まだ、生きていると信じていた。
 それゆえ、柚真人は、術を仕掛けることにした。躊躇なく逡巡せず説得を断念し、『狭山泰史』の妄念を強制的に消滅させる手段を選んだ。
 村の外れの裏山に罠を張り、『狭山泰史』を連れ出したのである。