01
そこは骸の匂いがした。
錆びた血の匂いがした。
乱れた皺だらけのシーツは、積もった埃で薄汚れている。
☆
寝台の上に横たわる少年は、瞼を閉じて彼女を待つ。
ぽたりと――何処からともなく少年の頬に滴り落ちる滴。それは頬を伝って滑らかなその輪郭を縁取り、首筋を流れ落ちる。
着崩れた白いシャツの襟に、鮮やかな緋色の染みができた。
ぽつ。ぽつ。ぽつ。
――それは、少年の胸元を汚す。
「さて、お姉さん? ……悪戯してないでおれの前に姿を見せて下さいよ」
頬の真紅の滴を拭い、少年はゆるりと上半身を起こした。まなざしが宙を彷徨う。
生臭い匂いが部屋に充満しつつあった。
「お姉さん……?」
明りは部屋の中央に置かれた円卓の上の、蝋燭のみ。
少年は寝台の端に腰掛けた格好で、靴を履いたままの足をシーツの上に、膝を立てて両手を躯の後につくと顎を反らした。
返答はない。
「ふうん……いい度胸だ。このおれに抵抗する、ということか……?」
誰もいない部屋に、囁く少年の聲が響く。それは密やかだったけれども、聞く者に有無を委ねぬ力があった。
すると、ゆらりと蝋燭の炎が揺らめき――。
――ごちゃごちゃ煩いわよ、少年。
声は、背後から。
するり、と、首筋を這うのは冷たい感触。それは、女の赤い爪。
少年は、冷めた瞳で蝋燭の火を見つめた儘、身動ぎもしなかった。その背後にあるのは壁だけのはずなのに、怪訝にすら思わないのか振り向きもしない。
「悪戯は止めて下さい、といったでしょう?」
――あら。冷めてるのね。
寝台から、女が下り立った。
今まで、少年一人が寝ていたはずの、その寝台からである。
ぎしりと軋む、床板の音。
彼女はゆっくりと円卓の傍らまで行くと、少年を振り向いた。
歳若いその女は、緋色の、袖のないワンピースを身に纏っていた。いくらかほっそりとした人形細工のようなシルエットが蝋燭の炎に浮かび上がる。彼女はやや疲れたような表情ではあったが、瞳の色は濃く深く、そして強い。
端的に美麗な女性だった。
形のよい、薄い唇は紅を引いたように赤く、そして何かを誘うような笑みを浮かべていた。
そして、少年もまた――揺れる明りを瞳に映して艶やかに笑む。
「……どうです? おれがこのまま貴方を逝かせてあげます。だから貴方はここから立ち去る。――それがこの世の理じゃあないですか?」
――ああ。……そういうこと。
「さあ。そろそろ往生際、潔く逝きましょうよ……ね?」
――……ふうん……。
艶然と、女は嗤笑う。その様は蕩けるほどに妖しく、眩暈を覚えるほどに蠱惑的。その禍々しいまでの緋色で回りの空気を染め上げながら、佇む。
それでも少年は、真っ直ぐに女を見つめて目を逸らさない。
――少年。君は、……何なの?
「神主ですよ」
――か――?
「神主。神職、宮司です。穢れを払う者。神の巫」
少年は、強く、はっきりと、その透明で張りのある声に不可視の力を込めて呟いた。その非響きには、容赦を伺わせるような寛容さを微塵も感じることが出来ない。
「貴方は……この部屋で六人の恋人を殺し、七人目の男に先手を打って殺された。貴方をここに地縛するのは貴方自身の歪んだ欲望の残滓だ。だけれど人間――万事、うん。因果応報。貴方もそろそろ引き際ってとこでしょう」
――あらあら……。
ぴた、という音がした。液体がたゆたうような音。
天井から染み出す真紅。空気を染め抜く鮮やかな感情――殺意。敵意。害意。
悪意。
それが床を濡らしたかと思うと、瞬く間に床に血溜まりが広がった。いくつも、いくつも。
現実なのか、夢なのか。それとも幻影なのか幻覚なのか。
蝋燭の炎が揺らめく。
白かった壁紙に滲み出した血痕は、ぶちまけた赤い塗料のように見えた。
それは――この部屋が刻んだ記憶。幽かに漂う生命の残滓。
「……強制的にここから消されたいってわけか?」
少年の声に、初めて敵意のようなものが宿った。
「おれは二度の機会はやらない。いいか? さっさと立退け」
「そうね。……私も言う事を聞いてくれない男は嫌い。みんないい子だったわ。血って綺麗でしょう。それと私……生意気な子供も余り好きではないのよ」
「……へえ?」
でも、君になら私、そうね。隷属してあげてもいいのよ……。だってほら。……血を浴びた君はとても綺麗。切り裂いてしまうなんてもったいないもの」
「断る。あんたみたいなヘンタイに執っ憑かれるのはまっぴら御免だ」
彼は、既に人の身ではない女に向かってすげなく言い捨てた。
――あら……残念ね……。
女の残念そうな声が、少年の心に届いた。
そこには昏い愉悦が含まれている。
額から流れ落ちる血の滴は、頬を伝って首筋を辿り、襟元を赤く汚す。
真紅の液体は天井から雨垂れのように落ちてくる。
少年はそれを拭いもせずに、唇に、笑みを刷いた。
それは凄惨な有様だった。
白かった服もすっかり朱に染め上げられ、まるで返り血を浴びた快楽殺人者か何かのようにも見える。その唇が刻んだ微笑みは冷酷な嘲笑を映し、女を睥睨する。
――挑発的な目をするわねえ。……ふうん、素敵じゃない。
狂った倒錯的な性癖を持て余しながら、女が呟く。
――でもね――。ほら。
かたん――と、蝋燭が倒れた。
女の顔が歪んだ。
否――歪んだのではなく。
炎が――。
「はっ――無駄なことをするもんだよ」
炎が、弾けるように大きくなった。女の姿は橙色の光になって、弾けて溶ける。
少年の不遜な言葉に呼応するように、部屋中が紅蓮の炎に包まれた。
「無駄なんだよ、お姉さん」
渇いた笑い声を発して、少年は再び寝台に倒れ込む――仰向けに。炎這う天井が見えた。
少年は目を閉じた。
熱。炎がはぜる音。
瞼の裏をちらつく光。
赤と黒の交錯。
「『……その浄火で自ら灼き滅ぼされるがいい』」
それは呪文。
美しい唇が刻む呪文。
その瞬間にも、炎は少年の言霊の支配下に墜ちる。
否――少年の意志が、勝ったのだ。
人は、幻の炎にも焼かれることがあるという。焼かれたと思い込み、その思いに躯が反応し、皮膚が焼け焦げて爛れ、そして死に至ると。
だが少年は、これが幻影であることを知っている。彼女が、想いの残滓にすぎないことも、知っている。
自分に害を為すことなど、有り得ない事を。
☆
彼女は、この館に住む女だった。
そして特殊な性癖のある女だった。
それが何時の頃からのものだったのかとか、何が原因だったのかとか、そいういうことは、彼女が死んでしまった以上、全く意味の無いことであるが、彼女がそういう性癖の持ち主であったことは事実である。
彼女は、自らが恋した、思いを寄せた男を、殺してしまうのだ。
それを何度も繰り返す。
何度も何度も繰り返す。
彼女にとって、重要なのが恋なのか、それとも殺人行為なのか、ということはよくは判らない。だが、どうやら彼女にとって恋をするということは、一種の自己陶酔で殺人を自分の中で正当化するための、あるいは標的を選別するための理由付けのための、ものであるのらしいようにと思われた。
が、それでも、恋は恋なのだろう。
自分にとってそれが真実なら、それはやはり、真実以外のなにものでも無いのだから。
彼女は、この部屋――館の彼女の寝室で、何人かの男を殺した。
肝心なのは殺す――人の生命を奪うということではなくて、彼女は生命の象徴である、人の血、自体を偏愛していたのだろう。
だから、この部屋には血の匂いが充満しているのだ。
これは、記憶。
これは、思念。
これは、名残。
彼女という存在の魂の残滓。
少年の仕事は、『ここ』からそれを消すことだった。
事件がどんなものであったのか、捜査がどのように行われたのか、彼女の犯した罪がいかなるものであったのか――それはさしあたっていま、少年の考えるべきことでは無かった。それは適正な捜査機関が調べることであったろう。
だから、それ以外の余計なことを、少年は考えていなかった。
どのように殺人が行われたのか。そして屍はどのように処理されたのか。
そんなことは、無意味だ。
彼女を責めはしない。
彼女を謗りはしない。
だが。
消えてもらわねばならなかった。
それが仕事だ。この、死者祓の神主――『皇の巫』の。
死者は――この世界に思いを残す。
それが許されないというわけでは無いのだ。
だが時としてそれは――。
目を閉じて、唇からそっと洩らす吐息。
それは背徳の恋だろう。
恋し焦がれた者の血を浴びて、その生命の証しを手に入れて、彼女は至上の幸福と快楽を得るが、そのような恋のかたちは、それがたとえ彼女にとって真実唯一の恋の在り方だったとしても、社会的正義の観点からは到底許されるものではない。
狂人の妄想にすぎないと、誰もが一蹴するだろう。
最悪の人間の行いだと、誰もが言うはずだ。
けれど彼女には、彼女なりの恋の倫理があった。そして間違いなく殺害された男達は、彼女に愛されていたのだ。
それもまた、真実。
ここには悦楽だけがあって、苦悶や恐怖が感じられなかった。だから、男達はみなきっと、死の瞬間には満たされていたに違いないのだ。
――……。
己が恋うるその名を呼んでみる。
その名を口にするたび、ともなう痛み。
これが背徳ではなくて、何だというのだろう。背理でなくて、何だというのだろう。
いっそ狂気に身を委ねられたならと、心の底からそう思う。
蹂躙し、凌辱し、深く深く傷を刻んで、そして、この手で――。
人は謗るだろう。
そして詰るだろう。
この恋だって、決して誰も許してくれない。
想いだけが、残るのだろう。
いつかは……おれも、貴方と同じ道を辿るのかもしれない。
浄火に灼かれる裁きの日を。
本当は自分こそが待っているのだ……。
そこは骸の匂いがした。
錆びた血の匂いがした。
乱れた皺だらけのシーツは、積もった埃で薄汚れている。
☆
寝台の上に横たわる少年は、瞼を閉じて彼女を待つ。
ぽたりと――何処からともなく少年の頬に滴り落ちる滴。それは頬を伝って滑らかなその輪郭を縁取り、首筋を流れ落ちる。
着崩れた白いシャツの襟に、鮮やかな緋色の染みができた。
ぽつ。ぽつ。ぽつ。
――それは、少年の胸元を汚す。
「さて、お姉さん? ……悪戯してないでおれの前に姿を見せて下さいよ」
頬の真紅の滴を拭い、少年はゆるりと上半身を起こした。まなざしが宙を彷徨う。
生臭い匂いが部屋に充満しつつあった。
「お姉さん……?」
明りは部屋の中央に置かれた円卓の上の、蝋燭のみ。
少年は寝台の端に腰掛けた格好で、靴を履いたままの足をシーツの上に、膝を立てて両手を躯の後につくと顎を反らした。
返答はない。
「ふうん……いい度胸だ。このおれに抵抗する、ということか……?」
誰もいない部屋に、囁く少年の聲が響く。それは密やかだったけれども、聞く者に有無を委ねぬ力があった。
すると、ゆらりと蝋燭の炎が揺らめき――。
――ごちゃごちゃ煩いわよ、少年。
声は、背後から。
するり、と、首筋を這うのは冷たい感触。それは、女の赤い爪。
少年は、冷めた瞳で蝋燭の火を見つめた儘、身動ぎもしなかった。その背後にあるのは壁だけのはずなのに、怪訝にすら思わないのか振り向きもしない。
「悪戯は止めて下さい、といったでしょう?」
――あら。冷めてるのね。
寝台から、女が下り立った。
今まで、少年一人が寝ていたはずの、その寝台からである。
ぎしりと軋む、床板の音。
彼女はゆっくりと円卓の傍らまで行くと、少年を振り向いた。
歳若いその女は、緋色の、袖のないワンピースを身に纏っていた。いくらかほっそりとした人形細工のようなシルエットが蝋燭の炎に浮かび上がる。彼女はやや疲れたような表情ではあったが、瞳の色は濃く深く、そして強い。
端的に美麗な女性だった。
形のよい、薄い唇は紅を引いたように赤く、そして何かを誘うような笑みを浮かべていた。
そして、少年もまた――揺れる明りを瞳に映して艶やかに笑む。
「……どうです? おれがこのまま貴方を逝かせてあげます。だから貴方はここから立ち去る。――それがこの世の理じゃあないですか?」
――ああ。……そういうこと。
「さあ。そろそろ往生際、潔く逝きましょうよ……ね?」
――……ふうん……。
艶然と、女は嗤笑う。その様は蕩けるほどに妖しく、眩暈を覚えるほどに蠱惑的。その禍々しいまでの緋色で回りの空気を染め上げながら、佇む。
それでも少年は、真っ直ぐに女を見つめて目を逸らさない。
――少年。君は、……何なの?
「神主ですよ」
――か――?
「神主。神職、宮司です。穢れを払う者。神の巫」
少年は、強く、はっきりと、その透明で張りのある声に不可視の力を込めて呟いた。その非響きには、容赦を伺わせるような寛容さを微塵も感じることが出来ない。
「貴方は……この部屋で六人の恋人を殺し、七人目の男に先手を打って殺された。貴方をここに地縛するのは貴方自身の歪んだ欲望の残滓だ。だけれど人間――万事、うん。因果応報。貴方もそろそろ引き際ってとこでしょう」
――あらあら……。
ぴた、という音がした。液体がたゆたうような音。
天井から染み出す真紅。空気を染め抜く鮮やかな感情――殺意。敵意。害意。
悪意。
それが床を濡らしたかと思うと、瞬く間に床に血溜まりが広がった。いくつも、いくつも。
現実なのか、夢なのか。それとも幻影なのか幻覚なのか。
蝋燭の炎が揺らめく。
白かった壁紙に滲み出した血痕は、ぶちまけた赤い塗料のように見えた。
それは――この部屋が刻んだ記憶。幽かに漂う生命の残滓。
「……強制的にここから消されたいってわけか?」
少年の声に、初めて敵意のようなものが宿った。
「おれは二度の機会はやらない。いいか? さっさと立退け」
「そうね。……私も言う事を聞いてくれない男は嫌い。みんないい子だったわ。血って綺麗でしょう。それと私……生意気な子供も余り好きではないのよ」
「……へえ?」
でも、君になら私、そうね。隷属してあげてもいいのよ……。だってほら。……血を浴びた君はとても綺麗。切り裂いてしまうなんてもったいないもの」
「断る。あんたみたいなヘンタイに執っ憑かれるのはまっぴら御免だ」
彼は、既に人の身ではない女に向かってすげなく言い捨てた。
――あら……残念ね……。
女の残念そうな声が、少年の心に届いた。
そこには昏い愉悦が含まれている。
額から流れ落ちる血の滴は、頬を伝って首筋を辿り、襟元を赤く汚す。
真紅の液体は天井から雨垂れのように落ちてくる。
少年はそれを拭いもせずに、唇に、笑みを刷いた。
それは凄惨な有様だった。
白かった服もすっかり朱に染め上げられ、まるで返り血を浴びた快楽殺人者か何かのようにも見える。その唇が刻んだ微笑みは冷酷な嘲笑を映し、女を睥睨する。
――挑発的な目をするわねえ。……ふうん、素敵じゃない。
狂った倒錯的な性癖を持て余しながら、女が呟く。
――でもね――。ほら。
かたん――と、蝋燭が倒れた。
女の顔が歪んだ。
否――歪んだのではなく。
炎が――。
「はっ――無駄なことをするもんだよ」
炎が、弾けるように大きくなった。女の姿は橙色の光になって、弾けて溶ける。
少年の不遜な言葉に呼応するように、部屋中が紅蓮の炎に包まれた。
「無駄なんだよ、お姉さん」
渇いた笑い声を発して、少年は再び寝台に倒れ込む――仰向けに。炎這う天井が見えた。
少年は目を閉じた。
熱。炎がはぜる音。
瞼の裏をちらつく光。
赤と黒の交錯。
「『……その浄火で自ら灼き滅ぼされるがいい』」
それは呪文。
美しい唇が刻む呪文。
その瞬間にも、炎は少年の言霊の支配下に墜ちる。
否――少年の意志が、勝ったのだ。
人は、幻の炎にも焼かれることがあるという。焼かれたと思い込み、その思いに躯が反応し、皮膚が焼け焦げて爛れ、そして死に至ると。
だが少年は、これが幻影であることを知っている。彼女が、想いの残滓にすぎないことも、知っている。
自分に害を為すことなど、有り得ない事を。
☆
彼女は、この館に住む女だった。
そして特殊な性癖のある女だった。
それが何時の頃からのものだったのかとか、何が原因だったのかとか、そいういうことは、彼女が死んでしまった以上、全く意味の無いことであるが、彼女がそういう性癖の持ち主であったことは事実である。
彼女は、自らが恋した、思いを寄せた男を、殺してしまうのだ。
それを何度も繰り返す。
何度も何度も繰り返す。
彼女にとって、重要なのが恋なのか、それとも殺人行為なのか、ということはよくは判らない。だが、どうやら彼女にとって恋をするということは、一種の自己陶酔で殺人を自分の中で正当化するための、あるいは標的を選別するための理由付けのための、ものであるのらしいようにと思われた。
が、それでも、恋は恋なのだろう。
自分にとってそれが真実なら、それはやはり、真実以外のなにものでも無いのだから。
彼女は、この部屋――館の彼女の寝室で、何人かの男を殺した。
肝心なのは殺す――人の生命を奪うということではなくて、彼女は生命の象徴である、人の血、自体を偏愛していたのだろう。
だから、この部屋には血の匂いが充満しているのだ。
これは、記憶。
これは、思念。
これは、名残。
彼女という存在の魂の残滓。
少年の仕事は、『ここ』からそれを消すことだった。
事件がどんなものであったのか、捜査がどのように行われたのか、彼女の犯した罪がいかなるものであったのか――それはさしあたっていま、少年の考えるべきことでは無かった。それは適正な捜査機関が調べることであったろう。
だから、それ以外の余計なことを、少年は考えていなかった。
どのように殺人が行われたのか。そして屍はどのように処理されたのか。
そんなことは、無意味だ。
彼女を責めはしない。
彼女を謗りはしない。
だが。
消えてもらわねばならなかった。
それが仕事だ。この、死者祓の神主――『皇の巫』の。
死者は――この世界に思いを残す。
それが許されないというわけでは無いのだ。
だが時としてそれは――。
目を閉じて、唇からそっと洩らす吐息。
それは背徳の恋だろう。
恋し焦がれた者の血を浴びて、その生命の証しを手に入れて、彼女は至上の幸福と快楽を得るが、そのような恋のかたちは、それがたとえ彼女にとって真実唯一の恋の在り方だったとしても、社会的正義の観点からは到底許されるものではない。
狂人の妄想にすぎないと、誰もが一蹴するだろう。
最悪の人間の行いだと、誰もが言うはずだ。
けれど彼女には、彼女なりの恋の倫理があった。そして間違いなく殺害された男達は、彼女に愛されていたのだ。
それもまた、真実。
ここには悦楽だけがあって、苦悶や恐怖が感じられなかった。だから、男達はみなきっと、死の瞬間には満たされていたに違いないのだ。
――……。
己が恋うるその名を呼んでみる。
その名を口にするたび、ともなう痛み。
これが背徳ではなくて、何だというのだろう。背理でなくて、何だというのだろう。
いっそ狂気に身を委ねられたならと、心の底からそう思う。
蹂躙し、凌辱し、深く深く傷を刻んで、そして、この手で――。
人は謗るだろう。
そして詰るだろう。
この恋だって、決して誰も許してくれない。
想いだけが、残るのだろう。
いつかは……おれも、貴方と同じ道を辿るのかもしれない。
浄火に灼かれる裁きの日を。
本当は自分こそが待っているのだ……。

