勾玉遊戯:過去編1990-2000

02
 
 
 
       ☆

 その夜、時刻はすでに十時を回っていた。
「とゆうわけで、今日ただ今から捜査本部、よろしくねえ」
 非常識な時間に非常識な台詞をかまして宿直当番から当惑のまなざしを注がれているのは、警視庁は捜査一課の荷物刑事こと(みささぎ)和泉(いずみ)
 場所は渋谷警察署の玄関ロビー。
 真っ白い蛍光灯の光がどこか寒々しい警察署の玄関口は、いたって静かなもので、和泉の遠慮のかけらもない大声だけが、閑散としたロビーに響き渡るのだった。都内有数の繁華街だから、人員はもしかするとほとんど出払っている状態なのかもしれない。
「……って。いってもねえ。おれひとりだもんね、本庁からの捜査員」
 と、ひとりごちる。
 それを聞くのは、呼ばれて出てきた刑事課当直の若い刑事と、庁舎警備の当番の制服警官だけだった。
 刑事は、怪訝そうな面持ちで、警察署の入り口にたたずんでいる、突然の奇妙な来訪者を見返した。
 それはそうだろう。
 目の前のにいるのは、だらしない長髪をだらしなく束ね、よれよれのスーツを着崩した、うさん臭い雰囲気の男だったからだ。
「あの……?」
「ああどうもどうもごくろうさまでえす。今日のお当番さんだね?」
「は……? あ、ええ……」
「君、名前は?」
「自分は松永(まつなが)です。松永武仁(たけひと)
 当直の刑事が慌てて応える。
「あ、固くなんなくていいから。おれ、全然平刑事だからね。所轄の邪魔はしない主義。あとは俺、適当にやるから気にしないでいいわ。あ、俺、和泉ね。陵和泉。ちょっとした事件で、ま、本店もちぃとも注目してないから、いいよいいよ」
「は……あ?」
「んでね。俺、今日ここ泊まるから。事件の記録、あらいざらいもってきてくれる?」
「……と、いいますと?」
 和泉の話が支離滅裂で意味が汲み取りにくいのだろう、松永という刑事は当惑の顔で、首を傾げる。
「……あ、いってなかったか。あのさ。JRの環状線でさ、ちょこっと事件が続いてるでしょ。ほら、無差別の乗客突き落とし。あれね。いろいろ民間から苦情が多いみたいでね。捜査本部つくって片付けろってお達しなのよ。だからちょっと、調べさせてくれる?」
「ああ……、その事件ですか……」
 松永はそれを訊いて、ようやくおぼろげながら事態を理解し、事件の概要を思い出した。
 ――無差別の乗客突き落とし。
 字面にするとイヤに仰々しい、それはここ二週間、いささかばかり世間を騒がせている事件である。
 環状線の駅から、乗客が突き落とされるという事件が立て続けに頻発しているのだ。
 背中を押されただなんだという話はでるものの目撃者がなく、初めのうち当局は軽い悪戯と見て捜査を行っていた。
 しかし、線路への転落を含む事件が五件を超えることになって、ようやく重い腰をあげることにした。あまりに事件が頻発すれば、世間が騒ぐ。電車のダイヤは乱れ、通勤客の足も乱れる。
 そこで本庁はこれを、悪質な無差別傷害未遂としてとりあえず立件しようと決めたのだった。
「――ですよね?」
「うんそおねえ」
 和泉は、当直の確認に頷いた――たいして面白くもなさそうに。
「その、被害者総勢八名、目撃者無し、の環状線無差別突き落とし事件ね」
「ええ。ああ、わかりました。はい。で……ええと……?」
 どうしたらよいのかわからないらしい松永刑事である。
 しばし間の抜けた沈黙が漂い、和泉はがりがりと頭を掻いた。
 長髪を乱雑に束ねただけというのがいかにもうさん臭い。
 肩を落し、溜め息。
 和泉は、青年を一瞥して、今度は有無を言わせぬ口調で言った。
「じゃ、どっか会議室貸して。本日いまからそこが捜査本部だからそのつもりで。一件記録、持ってきてくれる? 最初の事件、渋谷だったろ。資料はそろってるよね?」
「あ、はい」
 松永は、踵を返して指示に従った。
 和泉にとってそれは。
 微妙にいやな匂いのする事件だった。
 かなり不快な予感のする事件だった。
 だいたい、たらい回しにされている辺りからして、どうにも始末に負えない事態であることに決まっているのだ。事件の概要が明らかでなく、犯人の目的を探りようもなく、罪状は取って付けたように申し訳程度だが被害は思いの他、甚大。
 解決が日一日と伸びるごと、何万という環状線利用客の不満が募るだろう。
 そして当局に非難が集中する。
 誰も手を出したがらないのは当たり前のこと。
「ったくさ。いやんなっちゃうよねええ……」
 和泉はぼそりと呟いた。
 けれども――言葉とは裏腹に、口許は、かすかな笑みを刻んでいる。
 それは、多少なりとも自分の退屈を紛らわせてくれるかもしれない事件への、甚だ不謹慎極まりない期待に彩られたもの、だった。
 こんな所轄の警察へわざわざ足を運んだのは、上の面目のために過ぎない。
 形だけのことだ。
 和泉自身の意図は、少し違ったところにある。
 そこには皇一族に名を連ねる者としての直感があった。
 事件や事故には匂いが在る。
 たぶん、自分と同業の者にしかかぎ分けられない匂いが。
 和泉は薄い唇に笑みを刻む。
 ――ほんと。面倒臭いよね。

      ☆

「……で、だ。そおいうわけで俺はこうゆうの、ちんたら捜査するのも無駄だと思うわけよ。だからさ。御当主なら何か面白い答えを聞かせてくれるんじゃないかと思ってな?」
 日曜日の午後である。
 社務所を妹に預けた神主・皇柚真人は、邸の応接間に来客を迎えていた。浅葱袴を手で押さえてその場に端座する。卓を挟んで向かいに対峙する男は、柚真人の顔を見るなり、くわえ煙草でにまりと唇を歪めた。
「この環状線、君たち通学に使ってるっしょ。ま、さ。そおいうつながりで、どうかと思って」
 対する少年神主も、また、不遜に笑う。
「……それはかまわないけれど。ぼかァただ働きはしない主義だからね。『仕事料』、陵さんがもってくれるのかな? それとも、警視庁? 鉄道会社?」
「ツケ」
「大却下」
「……」
 すました顔で言い放たれて、和泉はやれやれと肩を竦めた。
「わかったよ。わかりました。じゃあ……現金で、このワタクシが払いますからあ」
「陵和泉が。個人ってことね」
 そういうと、少年はとたん真率な表情をつくって、こほんと軽く、咳払いなど、した。
「……了解いたしました。では、依頼お受けいたしましょう。それでは――、こちらの書類に委細の手続をお願いできますか?」
 ころりと色を変えたそれは、明らかに外面の声と口調。
 そして少年神主は、やおら応接間の卓の上に数枚の紙を差し出した。それから筆ペンを和泉に示し、促す。書面上には、『御祓請負契約書』とある。
 和泉は、筆ペンを受け取って眉根を寄せた。
 そして、じっと、少年の顔を見る。
 少年は、そのまなざしを受けて、至極たおやかに、微笑んで見せる。
「あ、判ってるとは思いますが、三文判と百均判、不可ですから。必要事項、もれなく全部書き込んで下さいね」
「……御当主さあ」
「はい、なにか?」
「……その営業用の口調……やめてくれる?」
「……」
 そのとき、いやな感じで柚真人が唇に笑みを刻んだのを、和泉は見た。
「わあ、やな感じぃ、ご当主」
「そう? じゃあ止めようか」
 と、当主はあっさり言った。
 要するに単なる面白がりと嫌がらせなのだ。
「……うーん。……しかし和泉さあ。アナタ、真面目に仕事に励もうとか、思わなかったわけ。仮にも担当刑事だろ。何とでも適当に解決できるだろ」
「俺、仕事嫌いだもんさあ。それに、そんなんじゃ面白くないしぃ。だいたいまともな事件、俺んとこにこないし退屈してんのよ。だからせめて退屈しのぎにでもなったらお徳じゃない?」
「……真実を知りたい?」
「どのみちこれは、君のお仕事。そうでしょ? 御当主」
「……まあね。まあ、……ここ二週間、おれも気にはなってたんだよ。なあ、和泉、おれが毎日通学してる電車なんだからさ、異常を感じないわけないよな? そうは思うだろ?」
「……ん?」
「いやさあ。おれタダ働きはいやだっつったよな?」
「……んん?」
「それでもそろそろ頃合だよ。どっから話がくるかなあと思って、ま、早い話が待ってたわけだ。しかしまあ、まさか身内からそういう話はくるとは思って無かったねえ。ご苦労さん、和泉」
「……んんん!?」
「こうも毎日毎日、どっかしらで人身つっちゃあ電車がとまってりゃさ、苦情にたまりかねた鉄道会社が、おれ、もしくはその辺の拝み家とか神社とか、霊媒師とか、陰陽師とか、ま適当にそいういうところに依頼もってくんだろうと思ってたけど」
「……ふうん……むあ!?」
 唸る和泉に、少年神主は、やんわりと微笑んだ。会心、の笑みである。
「司が同じ路線を通学に使用するようになって、若干、干渉を受けているし? こちとら我慢も限界だったんでね。いやいやほんと、助かったよ。渡りに船
ってやつ?」
「……するとなにか? お前の中では、……これはすでに事件でも何でもないってことか? うん? それなのに俺からお仕事料金ふんだくろうってか!?」
「いやだなあ。ちゃんと書面にしたじゃないですか。ほら。契約書。和泉が、自分の意思で、作成したんだろ?」
「……おっまえ……。ほんっと、悪徳神主なんじゃないのようっ」
「今更なにをおっしゃいますやら」
「この……安楽椅子探偵。そういうの、詐欺っていうんだぞう」
「何とでも。それがおれの仕事だからね。和泉、自分でいまそういったろ?」
「そりゃあそうだけどさあ。妹ちゃんってあれでしょ、お家の仕事、嫌いでしょ? 通学時の具合が心配なら、お兄ちゃんだもん、自分で何とかしない普通?」
「だからいったろ。こっちも商売でやってんだ。タダ働きは癪なんだよ。身内がどこまで干渉受けたって、おれひとりでなんとかしてやるさ。多少我慢してもらったって、ね。金になった方がいいじゃないか」
「ひゃあ、性格悪うい」
「なあに、商売商売」
 悪びれもせずそういったあと、柚真人はふと思い出したように、ぽん、と手を打った。
「あ、そうそう。和泉今日非番なんだろ。いま桜餅蒸してるんだけどさ」
「……桜……もち? ああそういえば、いつもいる弁護士殿、見ないね。今日は? 仕事?」
「うん。何だかね。二、三日忙しいんだって。せっかくなのになあ。だからさ、食べてく?」
 少年が著しく料理の腕に秀でているということは、和泉もよく知っていた。
 便利な趣味だ、と思う。
「和菓子までレパートリーに入っちゃうわけ。いやはや御立派だねえ」


 常衣のまま、台所へと姿を消した皇神社の年若い神主を見送って。
 苦々しさ半分、愉快しさ半分の心持ちで、和泉は肩をすくめた。
 この少年の全然まったく悪びれないところはいっそ快い、と思う。
 柚真人と話していても不快な気持ちになるということが、和泉にはない。
 むしろ、大変に趣深い、と思う。
 自分がこういった気持ちになることが、である。
 どちらかというならば、してやられても、それもいいかと感じられてしまう――そう思わせる――それは彼のしたたかさなのだろうか。
 皇柚真人は本当に不思議な少年だ。
 それは表面的なもので無く、和泉にとっては内側の問題なのだろう。
 面白いと思える。興味を持って見ていられる。それは、陵和泉という人間にしてみれば、まったくもって希有な事態だ。
 自分を惹きつける。
 その引力が面白い。
 彼と関わっていれば、退屈に倦むことだけは避けられるのだ。
 そんな確信が心地好いのだ。
 彼が見るもの、語る言葉の本質を、和泉が理解することはないだろう。けれど、それはまあこの際どうでもいい。
「和泉には損もさせないよ。おれの目に見える現象が結果として社会的に受け入れられるためには結局、和泉の目というフィルターが必要なんだから」
 悪戯っぽく唇を歪めて、そんなことを宣言する。予測できない先のことを知っているかのようなまなざしで語る傍から謎かけだけが残る。謎は残ってもいい。落差を埋めることは考えない。
 そいういうところが面白いのだ。本当に退屈しない。
 「じゃあ……聞かせてもらおうかな。君の目に見える、真実ってやつをさ?」
 和泉は、にやりと笑ってそう言った。