勾玉遊戯:過去編1990-2000

06
 

 
 夜中、司は吐いた。
 ――あたしは報いを受けるべき。
 トイレに屈んで咳き込みながら、思う。目尻に涙が堪ってきた。
 ――当然だわ……。
 流れていく水を眺める視界が滲んでいる。
 みぞおちがちくちくと痛んだ。頭の中で、心臓の音がする。
 ――どうかしてるよ。あたし、どうかしてる。
 涙がこぼれ落ちた。
 ――助けて、柚真人。助けて、誰か……。気持ち悪い……。
 ――なんで、柚真人でないといけないの? どうしてこんなに……淋しいのよ!?
 そう思うと、またきりきりと胃のあたりが痛みを訴えた。
 ――兄妹なのに。
 ――あたしたち、兄妹じゃない……。
 ――どうか、してるでしょう!?
 トイレの壁にもたれて息をつく。背中が、ひんやりと冷たかった。
 天井を仰ぐと、黄色く濁った電球が見えた。
 目を閉じる。
 脈絡のない考えが、頭の中に浮かんでは消えた。
 幼かった頃の、記憶。それはいまや失われた楽園の記憶。二人が天使だった頃。
 柚真人と司は、血のつながった兄妹だ。生まれたときからずっと一緒に育ってきた。
 同じ親から、生まれたのだ。
 生まれてからずっと一緒に。
 ――それなのに。
 そう思うと、絶望で瞼の裏が赤く染まってゆく――。
 赤く――。
 真紅に――。
 頭の奥がぴりぴりした。
 ――あ――?
 一面の真紅の中に、何かが見え――。
 見えた、ように思えた。
 ――何?
 どくん、と心臓が跳ねた。
 いけない。
 警告。
 警鐘。
 唐突に、赤の色が濃くなった。止まらない。眼裏に深く鮮やかな緋色がどんどん広がってゆくのを、司は感じた。
 鼓動が早くなる。
 どくん。どくん。どくん。
 違う、と司は思った。
 これは、違う。
 なんだろう。
 急に不安になった。
 体が、小刻みに震えだす。
 なにかを考えていたわけではない。漠然と過去を憶っただけだ。
 だが、司は、脳裏に拡散していった赤色に、本能的な嫌悪を感じた。
 不吉な、色だった。これ以上、見つめてはいけない色だった。
 天井の電球が瞼を通して見えたのではない。そんな物理的な色でなく、もっと禍々しい、脳の隅からじわりと染み出してくるような色彩だった。
 体温が上昇する。
 額の裏側がじんとする。
 耳の付け根がずきずきする。
 何だろう。
 嫌いな色だ。
 気持ちの悪い色だ。
 けれど、司はその色を知っているような気がした。これは、記憶の何処かで整理されずに、強烈に灼きつけられたまま、置き去りにされた何かの断片だ。
 まるで、褪せない血の、ように――。

      ☆

 それは最悪の――二月。
 ――そしてきっと。


 バレンタイン・ディは凍えた憶い出になる。
 初めての恋が、潰れて消えたバレンタイン。
 たくさんのリボン。綺麗なラッピング。両手一杯のチョコレート。
 柚真人が抱えている、――たくさんの、たくさんの気持ち。


 ――お兄ちゃんて、とても綺麗ね。
 ――みんなが、お兄ちゃんのこと、好きなのね。


 そんなことをいったのが、一体何時のことだったのか。
 もう、憶い出せない。


 ――二月。