勾玉遊戯:過去編1990-2000

02

  

 試験の日は、朝から曇天模様で、天気予報は午後から雪になると告げていた。

      ☆

 受験を終えると、橘飛鳥が校門のところで司を待っていた。
 雪が、ちらつきはじめている。
 ロングコートにマフラー姿の少年は、校舎から出てくる生徒たちの中に司の姿を認めると、手を振った。
「司ちゃん。どうだった?」
「うん――ありがと」
 飛鳥と肩を並べて歩き出しながら、頷いた。
 受験校のランクとしてはかなり高い方だったが、なんとかなったという手応えはあった。けれど、一応滑り止めの受験と、都立高校の受験も控えている。
「まあまあ、かなあ?」
「柚真人に勉強、みてもらったりしたの?」
 司は首を振った。
「全然」
「へえ? でもあいつ、学校じゃ成績トップなんだよ?」
「でも――そうしたら過去問集とか見られちゃう。だから――優麻さんがいろいろ教えてくれてね。あの人、すっごい頭良いよね。さすがってかんじ」
「そりゃあ――弁護士だもん。大学だって国立だろ、確か」
 緩やかな坂道を下り、駅へと向かう。湿気を含んだ大気がしんと冷え、雪がすこしずつアスファルトの路面を濡らしはじめていた。
「でも……結局どうしたって合格したらわかっちゃうのに、柚真人にも。どうして隠したかったの?」
「……隠してたんじゃ、ないんだけど」
「そうなの?」
「うん……。あ、ねえ、飛鳥君。いつから待っててくれたの? 寒かったでしょ、この天気だもんね?」
 指先がそれとわかるほど白くなった手を擦り合わせている飛鳥に、司は訊いた。この寒空の下、何も外で待っていることなどなかったのに。
 飛鳥は、気にすることはない、と笑った。
「僕、今日、受付と試験官やってたから、待ってたって程じゃないよ。君達の試験が終わってから。面接の時間だけかな」
 肩越しに司を見て、飛鳥は目を細める。心配して貰えるなら、寒空の下で待っていたかいもあったというものだ。
「あの……、ごめんね」
「司ちゃんがあやまること無いじゃない。僕が勝手してるんだから。大丈夫。司ちゃんと来年から同じ学校に通えると思えば全然だよ」
 飛鳥は笑顔のままでそういうと、手にしていた傘を広げた。空色のそれを司の方へも半分差し掛ける。
「あ、ごめん」
 司は、折り畳みの傘を、取り出そうとしたが、飛鳥がそれを制した。
「いいよ。駅、すぐそこだし」
 どうやら雪は、本格的になりそうな気配だった。
  走り抜けていく車の車輪が、音を立てて飛沫をあげていた。日没が近づいて、気温が急速に下がりはじめている。
 空が灰色まじりの青色に染まり出していた。この様子だと、雪は本格的になるだろう。
「僕に誘われて、同じ高校を受験するって決めたこと――柚真人に知られたくなかった?」
 飛鳥がふいにいったので、司は黙った。
「……」
「司ちゃん?」
 ――私立西陵高校。
 結局柚真人と飛鳥の通う学校が、司の第一志望校であった。
「……わからない。どうして兄貴に話せなかったのか」
「あいつ、ときどき意地悪いもんね」
 それは一理ある。
 完璧な兄の、辛辣な言葉は胸に刺さる。それは確かだった。
「煩いこと、言われたくなかったんでしょ。成績のこととか、勉強のこととか」
 司は、その言葉に微笑んだ。
「そうかも」
「まあ僕は、司ちゃんと一緒ならいいんだけど」
 従兄妹同士でもある飛鳥と柚真人、それに司と緋月の四人は、年齢も近く文字通りの幼な友達だったから、飛鳥といるのは、純粋に楽しかった。
 だから、一緒にいられればいいと、いまは思う。
 他に、――理由なんて無い――。
「飛鳥君」
「ん?」
「あの……ありがとうね?」
 合格できていれば、いい。
 司はその時、単純にそう思っていた。


 帰りの電車は、ひどく混んでいた。
 雪が降り出したせいかもしれない。それでなくとも、冬にはコートやジャケットで人ひとりのかさが増すというのに、濡れた傘でそれがさらに増している。
 次の受験に備えて、司は参考書を開いた。もう少しの我慢で、受験生活ともとりあえず訣別できる。その先にある大学受験のことまでは、今は考えたくはなかった。時間が続いていて、否応なく次のことがやってくるのはわかっていた。だが、今は考えられない。
 それだけの余裕は、ない。
 これからのことなんて……あまりに遠い。どうなってゆくのかなんて、全くわからないではないか。
 ――柚真人に、知られたくなかった? 
 飛鳥の言葉が、ふいに耳の奥に甦みがえった。
 なぜか、どきりとした。
 答えにわからない謎かけに答えなければならないときのように、鼓動が早くなる。
 飛鳥に――一緒の学校に通わないか、といわれたこと。
 司の成績は一般にいえば上の中で、ある程度までは自由に学校を選択できる位置にいた。だが、特にこれといって絶対行きたいという学校がなかった。死ぬほど頑張って、最高峰に高く聳える私立高校や、大学附属の高校に合格したいということもなかった。大学受験はまた別にすればいいと、考えていた。それにどこへいったとしても、さしてかわりばえのする生活が待っているとも思えない。
 だから、飛鳥たちと一緒の学校に通うのも悪くないかな、と思った。
 共学で制服は可愛いし、自宅からはそこそこの電車通学で、途中には遊べるスポットもある。大学受験への実績も悪くなかったし、建物も綺麗だったしその他の施設もよかった。
 普通の動機だと思う。
 だが――なぜ、柚真人にそれを教えたくなかったのか、と聞かれればそれはわからない。
 そう。取り敢えず、受験を終えて一段落つくまで、うるさいことをいわれるのが煩わしかったのかも知れない。 緋月あたり、きっと大反対するだろう。緋月が柚真人と同じ学校を意地でも受験するであろう事は、簡単に予想ができた。
 柚真人だって、何と言うかわからない。あまり仲のよい兄妹と言うわけでもないから、果たして賛成してくれたかどうか。
 家庭の金銭的事情は良いほうだったが、それでも両親を思うなら、私立より都立だろう。
 ――やっぱり……煩わしかったのかな。柚真人って本当、あたしには意地が悪いし。
 司は、参考書の頁をめくりながら、ため息をついた。
 ――たぶん、そう。きっと、そう。


 玄関に入ると、柚真人の靴があった。
 それと、小さなコインローファ。
 柚真人が司より早く帰っており、居間には暁緋月がいるらしいことが、廊下の向こうからもれ聞こえてくる声でわかった。
 少し高い、明るい声。
 なぜかそれが、耳障りに思えた。うるさいわけではない。ただ苦手だな、といまさらのように思えたのである。
  ――一緒だったんだ。柚真人と――。
 司は、居間には顔を出さず、そのまま部屋に向かうことにした。
 その日から、翌日にかけては大雪となった。