06
「それで。……なにも、揃いも揃ってやってこなくてもいいようなもんだけどね……」
さらに翌日。
皇柚真人は腕組みをして、自宅居間にてコーヒーなど啜っている輩を見下ろした。
柚真人はというと、授業と部活動を終えて帰宅して、部屋で着替えてきたところである。
自分の分は紅茶にして、柚真人もソファに腰を下ろした。
隣が笄優麻、向いが、暁水月と陵和泉である。
そして二人の間には、距離があった。
水月が意気込んで、身を乗り出す。
「だって。君が専門でしょう、こういうのは」
「いや……そうかな……」
「いやまあ、うちも由緒ある皇の分家だし、話にはきいてたけど、『あれ』、あんなにはっきりした手応えあるもんだとは思わなかったのよねえ」
体も触ったし、手も握っちゃったわよ、と水月は言った。
「俺もさ。まさかたあ思ったよね。けどさ水っちゃん、するとあの女って何者? あれは奥さんの幽霊? でも、奥さんは死んでないから幽霊にはならないんじゃないのお?」
「あたしの知ったことじゃないわよう。あ、柚真人君煙草いい?」
「どうぞ」
柚真人はテーブルの上の大理石製の灰皿を差し示した。
「もう、昨夜坂田先生以下病院のスタッフ、大変だったみたいよう。あたしも呼ばれちゃってさ、警察。事情聴取よ。ねえ、和泉。あの消えた女の人のことはどうなるわけ? そもそも殺人事件はどうなったのよ?」
「なあに都合の悪うい証言なんてみんな無視無視。人が消えるなんて、あったとしても裁判上役に立たないでっしょう? 世間様では、そおゆうことは起こらないことになってるんだよん? 検察官にだって裁判官にだって、怒られちゃうよ。法廷侮辱罪よ?」
和泉も煙草に火を点けた。
「……あんたも凄い割り切り方してるわね」
「そりゃあねえ。一応、これでも刑事さんですから」
ふ、と煙を吐く。
「それより問題は瀬田美代子だよねえ。消えた女の代わりに警察に出頭してきたと思ったらもう殺した殺したの一点張り。迷惑しちゃうよ。旦那生きてるのにさあ」
「客体錯誤の可能性がありますか?」
「いや、有り得ないと思うよお。家宅捜索これからだけど、彼女犯行は家の中でやったっていってる。まあさ、夫がその日の朝に毒入りコーヒー出されたっつってさ。以来家にも帰らず不倫相手のアパートにしけ込んでるから、それは間違いないでしょう」
「とにかく、水月さんは大変でしたね」
優麻がやれやれといった体でソファに身を沈めたので、水月は、煙草をはさむ指で優麻を指した。派手な口紅で彩られた唇を尖らせて。
「なあにいってんのよ!? 上手く逃げたくせに。役立たず。あんた弁護士でしょっ」
「ご自分のことを棚に上げないでくださいね、水月さん。私だって、お金にならない仕事はしません。事務管理については忠告しましたでしょう?」
「あんた非道よね。心から非道だわ。ねえ」
どう思う? と三人が一斉に柚真人の方を見たので、柚真人は深くため息をついた。
大の大人がなんだって、一介の高校生にこんなことを相談しにきているのだろう。
――困ったな。
柚真人は、神社の宮司ではあったからそれに纏わる万相談を受けはするが、喧嘩の調停や人生相談室を開いている自覚は、無かった。
「とりあえず……何があって、どうなって、何が疑問なのか……きちんと説明してもらえます?」
それから、主に和泉と水月の話を聞いて、柚真人は何とか事実を整理することができた。
優麻は、余計なことしかいわないのでとりあえず無視しておくに限る。
つまるところこういう話であるようだ。
瀬田美代子と河上真希という二人の女、それと瀬田美代子によく似た身元不明の女がいた。最後の女が、消えたという女だ。
しかもこの女は、誰かを殺害したと言い張っていた。なのに急に、物理的に、消えてしまった。
一方、瀬田美代子という女もまた、自分の夫を殺害したと言い張っている。
河上真希というのは、美代子の夫征雄の不倫相手で、おそらく事件の――事件があるのなら――動機となったはずの女である。そして消えた女はその名前を名乗っていた。
だが、当の瀬田美代子は、夫を殺したというがその動機を語らず、河上真希という女についても知らぬ存ぜぬだと、いう――。
「それからずっと取調べてんのよねえ。今日もやってるわけよ。も、不眠不休」
「あんたなんでここにいんのよ」
「俺はちょおっと休憩よ。いいのよ、本庁の偉い人だから、俺」
「……このドくされキャリアが……」
「和泉君、それはいけません。被疑者には休憩が必要です。夜を徹して取り調べるなど、デュー・プロセスに著しく反する行為ですよ。だいたい警察というのは、そうやって――」
「だまらっしゃい。誰が夜なべで取り調べをやっとるといったかい。書類書きだよ。それに、旦那の方からも話を聞いてる最中なの。どうやら、あの奥さんとりあえず毒は盛ったらしいのよ」
柚真人は、口を挟む隙をすら与えられなかったので、黙って会話を聞いていた。琥珀色のダージリンに、天井の電灯が揺れ写る。
「そっちの女の精神鑑定は? ちょっとおかしいんじゃない? 旦那には、会わせたの?」
「そっれがさあ。旦那の方も奥さんと顔合わせたがらなくってさあ。もう困っちゃうのよ」
「けれどいつまでもそれではいけませんよ、和泉君」
「わかってんのよ。そりゃそうなんだけど。まあ、毒を盛った、てことは確かみたいだからそうなると立件はしないとねえ。明日勾留請求しなきゃなあ」
「それ、本当なの? 毒って」
水月は、二本目の煙草に火を点ける。
「旦那はさ、その――朝食の時のコーヒーにね、自分の奥さんが何か仕込んでるところを見てしまったっていうわけ。それを咄嗟に毒だとおもった。それでにっこり差し出されたもんだから怖くなって、愛人宅に逃げちゃった」
「なにそれ。いやあねえ、情けない。馬っ鹿じゃないの?」
「それが本当だとしたら、殺人未遂ですが」
「だから。殺人未遂のセンで家宅捜索して毒物を探してんのよ。出てきたらそっこー緊逮。文句ないでしょ弁護士先生?」
和泉の視線を受けて、しかし優麻はまだまだと首を振る。
「出なかったらどうします?」
「出ないってこたないでしょう。任意でそう自供してるんだから」
「わかりませんよ。少しばかり精神を病んだ方の言う事を鵜呑みにして大騒ぎし、著しい人権侵害を行った――ということになりますねえ。身柄を拘束されているわけですから、国賠請求も考えられますよ?」
和泉は、大袈裟に両手を上げた。
「は。こじつけもいいとこ。だからいやなのよ弁護士は」
「で。……それ以外には、可能性は無いんですか、絶対?」
やっと一言そういってはみる。
疑問符付きの問い掛けつもりだった。
だが、その日柚真人が会話にまじることができたのはその一言だけで、少年の意見は刑事と弁護士と精神科医に、黙殺されてしまった。
☆
五日後、家宅捜索が打ち切られた。
瀬田の家からは、毒物に該当するようなものは発見されず――事実関係と事件性が確認できなかったため、事件は成立しなかった。
美代子と征雄はともに厳重注意を受け、そして瀬田美代子は警察署から追い出された。
放っておいたらいつまで頑張るかわかったものではない、というのが本当のところである。
精神に異常を来していると結論づけられ、彼女は誰も待つ者のいない家に、返された。
旦那も旦那で、えらく冷たいものである。
そして、結局――あの女の正体も行方も分からなかった。
少なくとも、振り回された警察にとっては。
「それで。……なにも、揃いも揃ってやってこなくてもいいようなもんだけどね……」
さらに翌日。
皇柚真人は腕組みをして、自宅居間にてコーヒーなど啜っている輩を見下ろした。
柚真人はというと、授業と部活動を終えて帰宅して、部屋で着替えてきたところである。
自分の分は紅茶にして、柚真人もソファに腰を下ろした。
隣が笄優麻、向いが、暁水月と陵和泉である。
そして二人の間には、距離があった。
水月が意気込んで、身を乗り出す。
「だって。君が専門でしょう、こういうのは」
「いや……そうかな……」
「いやまあ、うちも由緒ある皇の分家だし、話にはきいてたけど、『あれ』、あんなにはっきりした手応えあるもんだとは思わなかったのよねえ」
体も触ったし、手も握っちゃったわよ、と水月は言った。
「俺もさ。まさかたあ思ったよね。けどさ水っちゃん、するとあの女って何者? あれは奥さんの幽霊? でも、奥さんは死んでないから幽霊にはならないんじゃないのお?」
「あたしの知ったことじゃないわよう。あ、柚真人君煙草いい?」
「どうぞ」
柚真人はテーブルの上の大理石製の灰皿を差し示した。
「もう、昨夜坂田先生以下病院のスタッフ、大変だったみたいよう。あたしも呼ばれちゃってさ、警察。事情聴取よ。ねえ、和泉。あの消えた女の人のことはどうなるわけ? そもそも殺人事件はどうなったのよ?」
「なあに都合の悪うい証言なんてみんな無視無視。人が消えるなんて、あったとしても裁判上役に立たないでっしょう? 世間様では、そおゆうことは起こらないことになってるんだよん? 検察官にだって裁判官にだって、怒られちゃうよ。法廷侮辱罪よ?」
和泉も煙草に火を点けた。
「……あんたも凄い割り切り方してるわね」
「そりゃあねえ。一応、これでも刑事さんですから」
ふ、と煙を吐く。
「それより問題は瀬田美代子だよねえ。消えた女の代わりに警察に出頭してきたと思ったらもう殺した殺したの一点張り。迷惑しちゃうよ。旦那生きてるのにさあ」
「客体錯誤の可能性がありますか?」
「いや、有り得ないと思うよお。家宅捜索これからだけど、彼女犯行は家の中でやったっていってる。まあさ、夫がその日の朝に毒入りコーヒー出されたっつってさ。以来家にも帰らず不倫相手のアパートにしけ込んでるから、それは間違いないでしょう」
「とにかく、水月さんは大変でしたね」
優麻がやれやれといった体でソファに身を沈めたので、水月は、煙草をはさむ指で優麻を指した。派手な口紅で彩られた唇を尖らせて。
「なあにいってんのよ!? 上手く逃げたくせに。役立たず。あんた弁護士でしょっ」
「ご自分のことを棚に上げないでくださいね、水月さん。私だって、お金にならない仕事はしません。事務管理については忠告しましたでしょう?」
「あんた非道よね。心から非道だわ。ねえ」
どう思う? と三人が一斉に柚真人の方を見たので、柚真人は深くため息をついた。
大の大人がなんだって、一介の高校生にこんなことを相談しにきているのだろう。
――困ったな。
柚真人は、神社の宮司ではあったからそれに纏わる万相談を受けはするが、喧嘩の調停や人生相談室を開いている自覚は、無かった。
「とりあえず……何があって、どうなって、何が疑問なのか……きちんと説明してもらえます?」
それから、主に和泉と水月の話を聞いて、柚真人は何とか事実を整理することができた。
優麻は、余計なことしかいわないのでとりあえず無視しておくに限る。
つまるところこういう話であるようだ。
瀬田美代子と河上真希という二人の女、それと瀬田美代子によく似た身元不明の女がいた。最後の女が、消えたという女だ。
しかもこの女は、誰かを殺害したと言い張っていた。なのに急に、物理的に、消えてしまった。
一方、瀬田美代子という女もまた、自分の夫を殺害したと言い張っている。
河上真希というのは、美代子の夫征雄の不倫相手で、おそらく事件の――事件があるのなら――動機となったはずの女である。そして消えた女はその名前を名乗っていた。
だが、当の瀬田美代子は、夫を殺したというがその動機を語らず、河上真希という女についても知らぬ存ぜぬだと、いう――。
「それからずっと取調べてんのよねえ。今日もやってるわけよ。も、不眠不休」
「あんたなんでここにいんのよ」
「俺はちょおっと休憩よ。いいのよ、本庁の偉い人だから、俺」
「……このドくされキャリアが……」
「和泉君、それはいけません。被疑者には休憩が必要です。夜を徹して取り調べるなど、デュー・プロセスに著しく反する行為ですよ。だいたい警察というのは、そうやって――」
「だまらっしゃい。誰が夜なべで取り調べをやっとるといったかい。書類書きだよ。それに、旦那の方からも話を聞いてる最中なの。どうやら、あの奥さんとりあえず毒は盛ったらしいのよ」
柚真人は、口を挟む隙をすら与えられなかったので、黙って会話を聞いていた。琥珀色のダージリンに、天井の電灯が揺れ写る。
「そっちの女の精神鑑定は? ちょっとおかしいんじゃない? 旦那には、会わせたの?」
「そっれがさあ。旦那の方も奥さんと顔合わせたがらなくってさあ。もう困っちゃうのよ」
「けれどいつまでもそれではいけませんよ、和泉君」
「わかってんのよ。そりゃそうなんだけど。まあ、毒を盛った、てことは確かみたいだからそうなると立件はしないとねえ。明日勾留請求しなきゃなあ」
「それ、本当なの? 毒って」
水月は、二本目の煙草に火を点ける。
「旦那はさ、その――朝食の時のコーヒーにね、自分の奥さんが何か仕込んでるところを見てしまったっていうわけ。それを咄嗟に毒だとおもった。それでにっこり差し出されたもんだから怖くなって、愛人宅に逃げちゃった」
「なにそれ。いやあねえ、情けない。馬っ鹿じゃないの?」
「それが本当だとしたら、殺人未遂ですが」
「だから。殺人未遂のセンで家宅捜索して毒物を探してんのよ。出てきたらそっこー緊逮。文句ないでしょ弁護士先生?」
和泉の視線を受けて、しかし優麻はまだまだと首を振る。
「出なかったらどうします?」
「出ないってこたないでしょう。任意でそう自供してるんだから」
「わかりませんよ。少しばかり精神を病んだ方の言う事を鵜呑みにして大騒ぎし、著しい人権侵害を行った――ということになりますねえ。身柄を拘束されているわけですから、国賠請求も考えられますよ?」
和泉は、大袈裟に両手を上げた。
「は。こじつけもいいとこ。だからいやなのよ弁護士は」
「で。……それ以外には、可能性は無いんですか、絶対?」
やっと一言そういってはみる。
疑問符付きの問い掛けつもりだった。
だが、その日柚真人が会話にまじることができたのはその一言だけで、少年の意見は刑事と弁護士と精神科医に、黙殺されてしまった。
☆
五日後、家宅捜索が打ち切られた。
瀬田の家からは、毒物に該当するようなものは発見されず――事実関係と事件性が確認できなかったため、事件は成立しなかった。
美代子と征雄はともに厳重注意を受け、そして瀬田美代子は警察署から追い出された。
放っておいたらいつまで頑張るかわかったものではない、というのが本当のところである。
精神に異常を来していると結論づけられ、彼女は誰も待つ者のいない家に、返された。
旦那も旦那で、えらく冷たいものである。
そして、結局――あの女の正体も行方も分からなかった。
少なくとも、振り回された警察にとっては。

