アズキゴンドラ二号へ乗り込む前日
祥吾は意を決してきな子に告げた
「きな子、町へはお前を連れて行けない」
「…………」
きな子の笑顔が、ピシッと音を立てて固まった
「……え?」
「今回は、アズキと待っていてくれ」
「…………」
その言葉の意味を理解するまで、数秒かかったらしい
やがて
「ええええええっ!?」
悲痛な声が響き渡った
「どうして!?」
「どうしても何も――」
「きな子も行く!」
「駄目だ」
「ちゃんと歩けるよ!」
「それは知っている」
「疲れても抱っこって言わない!」
「そういう問題じゃない」
「お腹すいたって言わない!」
「それも問題じゃない」
「お菓子も我慢する!」
「…………」
祥吾は一瞬だけ、その健気な条件闘争に心を揺さぶられた
「それは偉いが……やっぱり、駄目だ」
「どうしてぇ!」
きな子の大きな目が、みるみるうちに涙で潤んでいく
その可哀想な様子に、ステラがひどく困ったように二人を見比べた
「ショウゴさま、あたしがちゃんと手をつないで見ていますから――」
「いや」
祥吾は毅然として首を振った。
「ステラを信用していないわけじゃないんだ」
そして、祥吾はきな子の前に静かにしゃがみ込んだ
「きな子」
「……うん」
「俺たちが明日行くのは、誰も知らない町だ」
「ステラお姉ちゃんは、知ってるよ?」
「俺と、ははは知らないんだ」
「…………」
「しかも数日前には、龍が町の上を飛んだばかりだ」
「アズキだよ?」
「そのアズキが原因なんだ」
「グルッ!?」
少し離れた場所でくつろごうとしていたアズキが
心外そうに顔を上げた
「町の人間がどんな心理状態なのか分からない
血気盛んな兵士がどれくらいいるのかも分からない
俺たちのようなよそ者が怪しまれるかもしれないし
何か予期せぬ騒ぎに巻き込まれるかもしれない」
「…………」
「だから、まずは俺たち大人が行って、安全を確かめてくる」
きな子は、不満そうに唇を尖らせた。
「でも……」
「ん?」
「みんな行くのに……」
ぽつりとこぼれた、小さな震える声だった。
「ステラお姉ちゃんも、ちちも、ははも……」
そして、祥吾の胸元から顔を出している神爺を恨めしそうに見る
「神爺も行くのに……」
「儂?」
突然話を振られた神爺が、きょとんとして自分を指差した
「きな子だけ、お留守番……」
俯いたきな子の姿を、祥吾は困り半分、嬉しさ半分で見つめた
きな子もわがままを言ってくれるようになったのだ
「……きな子」
今度は、千草がふわりとしゃがみ込んだ。
そっと、きな子の小さな両手を、自分の温かい手で優しく包み込む。
「私たちと、どうしても一緒に行きたいのですね」
「……うん」
「町を見たいから?」
「それも、あるけど……」
きな子は少し考え、涙を拭ってステラを見た。
「ステラお姉ちゃんの、親方に会いたい」
「……え?」
ステラが、驚きで目を見開く
「あのね」
きな子は、一生懸命に言葉を探した
「ステラお姉ちゃんが一人で泣いてたときに……助けてくれた人でしょ?」
「…………うん」
「だから、きな子も……ステラお姉ちゃんを助けてくれて
『ありがとう』って、言いたい」
その純粋すぎる思いに、ステラの顔がくしゃりと歪んだ。
「きな子……っ」
その言葉には、祥吾も心が揺らぎ、思わず千草を見る
千草も、心を打たれたのか、ひどく困ったように眉を下げていた
しかし――千草は、一瞬の迷いの後
静かに、しかし断固として首を横に振った
祥吾も頷いた
ここで情に流されてはいけない。それが親の責任だ
「きな子」
祥吾は、声のトーンを落として改めて言った。
「お前の優しい気持ちはすごく嬉しい
……それでも、今日は駄目だ」
「……ちち」
「お前を置いていくのは
足手まといで邪魔だからじゃない」
「…………」
「お前が、誰よりも大切だからだ」
きな子が、ハッとして顔を上げた。
祥吾は大きな手を、きな子の頭にポンと置いた。
「何が起きるか分からない危険な場所へ
自分の大切な子供を連れて行く親がどこにいる」
「…………」
「俺はまだ、メルフィアという町を知らない
だから今日は、ちちとははが、お前のために先に安全を見てくる」
千草も、優しく微笑んだ
「大丈夫だと分かったら、今度は必ず、一緒に参りましょうね」
「……ほんと?」
「ええ、本当です」
「約束……?」
「ええ、約束ですわ」
千草が、すっと美しい小指を差し出した。
きな子はしばらくそれを見つめ――おずおずと、自分の小さな小指を絡めた
「……約束」
「はい」
それでも、まだ少し寂しそうに俯くきな子。
そこで祥吾が、わざと改まった声で口を開いた。
「それに、きな子には大事な仕事がある」
「……仕事?」
「ああ、アズキを頼む」
「アズキを?」
「こいつが勝手に飛んでいかないように、しっかり見張っていてくれ」
「グル?」
「もしアズキが留守番に飽きて、
みんなのところへ行こうなんて町へ飛んできたら――」
祥吾は、かつてないほどの真顔になった
「国が滅びるかもしれん」
「グルルルッ!?」
アズキが、とんでもない濡れ衣だとばかりに叫んだ
「だから、きな子」
祥吾は、一人の大人を相手にするような真剣そのものの顔で言った
「これは、お前にしか頼めない、重大な任務だ」
「…………!」
きな子の表情が、パッと変わった。
自分だけ置いていかれる可哀想な子供の顔から
重要な役目を任された人の顔になる
「分かった! アズキが飛んでいかないように、しっかり見張ってる!」
「ああ、頼んだぞ」
「うん!」
「アズキも、きな子をしっかり守ってやってくれよ」
「グルルッ!」
今度はアズキも、任せろとばかりに力強く頷いた
祥吾は満足そうに頷き――ふと、動きを止めた。
「…………」
「旦那様?」
「いや……」
いくら規格外のアズキがいるとはいえ
幼い子供一人を山中に残す
それもまた、きな子の安全を考えていない行動ではないか
すると、胸元から神爺がひょっこりと顔を出した
「心配せんでもよいわい」
「神爺?」
「お主が降りるつもりの山辺りには、大した魔物はおらん」
「そもそもじゃ。これほどバカでかいアズキがおる時点で
まともな生存本能を持つ魔物なら絶対に近寄ってこんわい」
「そうなのか?」
「当たり前じゃ。お主は
巨大な虎の横で呑気に昼寝する鼠を見たことがあるか?」
「人間はどうだ?」
「そのために明日は、わざわざ街道から離れた山陰の林を選んだのであろうが」
「まあ、そうだが……万が一ということも」
神爺は、心底呆れたように深いため息をついた
「……度胸が据わっておるのかおらんのか
難儀な心配性じゃのう」
「親なら当然だ」
祥吾が、間髪入れずに即答した
神爺が一瞬、目を丸くして黙り込む
千草が、祥吾のその言葉を聞いて
花がほころぶように嬉しそうに微笑む
きな子も――
照れたように、とても嬉しそうに笑った
「何だ?」
「なんでもない」
「?」
祥吾には、千草ときな子がなぜそんなに嬉しそうな顔をしたのか分からなかった
だが、千草には分かったらしい
何も言わずきな子の頭を愛おしそうに優しく撫でていた
祥吾は意を決してきな子に告げた
「きな子、町へはお前を連れて行けない」
「…………」
きな子の笑顔が、ピシッと音を立てて固まった
「……え?」
「今回は、アズキと待っていてくれ」
「…………」
その言葉の意味を理解するまで、数秒かかったらしい
やがて
「ええええええっ!?」
悲痛な声が響き渡った
「どうして!?」
「どうしても何も――」
「きな子も行く!」
「駄目だ」
「ちゃんと歩けるよ!」
「それは知っている」
「疲れても抱っこって言わない!」
「そういう問題じゃない」
「お腹すいたって言わない!」
「それも問題じゃない」
「お菓子も我慢する!」
「…………」
祥吾は一瞬だけ、その健気な条件闘争に心を揺さぶられた
「それは偉いが……やっぱり、駄目だ」
「どうしてぇ!」
きな子の大きな目が、みるみるうちに涙で潤んでいく
その可哀想な様子に、ステラがひどく困ったように二人を見比べた
「ショウゴさま、あたしがちゃんと手をつないで見ていますから――」
「いや」
祥吾は毅然として首を振った。
「ステラを信用していないわけじゃないんだ」
そして、祥吾はきな子の前に静かにしゃがみ込んだ
「きな子」
「……うん」
「俺たちが明日行くのは、誰も知らない町だ」
「ステラお姉ちゃんは、知ってるよ?」
「俺と、ははは知らないんだ」
「…………」
「しかも数日前には、龍が町の上を飛んだばかりだ」
「アズキだよ?」
「そのアズキが原因なんだ」
「グルッ!?」
少し離れた場所でくつろごうとしていたアズキが
心外そうに顔を上げた
「町の人間がどんな心理状態なのか分からない
血気盛んな兵士がどれくらいいるのかも分からない
俺たちのようなよそ者が怪しまれるかもしれないし
何か予期せぬ騒ぎに巻き込まれるかもしれない」
「…………」
「だから、まずは俺たち大人が行って、安全を確かめてくる」
きな子は、不満そうに唇を尖らせた。
「でも……」
「ん?」
「みんな行くのに……」
ぽつりとこぼれた、小さな震える声だった。
「ステラお姉ちゃんも、ちちも、ははも……」
そして、祥吾の胸元から顔を出している神爺を恨めしそうに見る
「神爺も行くのに……」
「儂?」
突然話を振られた神爺が、きょとんとして自分を指差した
「きな子だけ、お留守番……」
俯いたきな子の姿を、祥吾は困り半分、嬉しさ半分で見つめた
きな子もわがままを言ってくれるようになったのだ
「……きな子」
今度は、千草がふわりとしゃがみ込んだ。
そっと、きな子の小さな両手を、自分の温かい手で優しく包み込む。
「私たちと、どうしても一緒に行きたいのですね」
「……うん」
「町を見たいから?」
「それも、あるけど……」
きな子は少し考え、涙を拭ってステラを見た。
「ステラお姉ちゃんの、親方に会いたい」
「……え?」
ステラが、驚きで目を見開く
「あのね」
きな子は、一生懸命に言葉を探した
「ステラお姉ちゃんが一人で泣いてたときに……助けてくれた人でしょ?」
「…………うん」
「だから、きな子も……ステラお姉ちゃんを助けてくれて
『ありがとう』って、言いたい」
その純粋すぎる思いに、ステラの顔がくしゃりと歪んだ。
「きな子……っ」
その言葉には、祥吾も心が揺らぎ、思わず千草を見る
千草も、心を打たれたのか、ひどく困ったように眉を下げていた
しかし――千草は、一瞬の迷いの後
静かに、しかし断固として首を横に振った
祥吾も頷いた
ここで情に流されてはいけない。それが親の責任だ
「きな子」
祥吾は、声のトーンを落として改めて言った。
「お前の優しい気持ちはすごく嬉しい
……それでも、今日は駄目だ」
「……ちち」
「お前を置いていくのは
足手まといで邪魔だからじゃない」
「…………」
「お前が、誰よりも大切だからだ」
きな子が、ハッとして顔を上げた。
祥吾は大きな手を、きな子の頭にポンと置いた。
「何が起きるか分からない危険な場所へ
自分の大切な子供を連れて行く親がどこにいる」
「…………」
「俺はまだ、メルフィアという町を知らない
だから今日は、ちちとははが、お前のために先に安全を見てくる」
千草も、優しく微笑んだ
「大丈夫だと分かったら、今度は必ず、一緒に参りましょうね」
「……ほんと?」
「ええ、本当です」
「約束……?」
「ええ、約束ですわ」
千草が、すっと美しい小指を差し出した。
きな子はしばらくそれを見つめ――おずおずと、自分の小さな小指を絡めた
「……約束」
「はい」
それでも、まだ少し寂しそうに俯くきな子。
そこで祥吾が、わざと改まった声で口を開いた。
「それに、きな子には大事な仕事がある」
「……仕事?」
「ああ、アズキを頼む」
「アズキを?」
「こいつが勝手に飛んでいかないように、しっかり見張っていてくれ」
「グル?」
「もしアズキが留守番に飽きて、
みんなのところへ行こうなんて町へ飛んできたら――」
祥吾は、かつてないほどの真顔になった
「国が滅びるかもしれん」
「グルルルッ!?」
アズキが、とんでもない濡れ衣だとばかりに叫んだ
「だから、きな子」
祥吾は、一人の大人を相手にするような真剣そのものの顔で言った
「これは、お前にしか頼めない、重大な任務だ」
「…………!」
きな子の表情が、パッと変わった。
自分だけ置いていかれる可哀想な子供の顔から
重要な役目を任された人の顔になる
「分かった! アズキが飛んでいかないように、しっかり見張ってる!」
「ああ、頼んだぞ」
「うん!」
「アズキも、きな子をしっかり守ってやってくれよ」
「グルルッ!」
今度はアズキも、任せろとばかりに力強く頷いた
祥吾は満足そうに頷き――ふと、動きを止めた。
「…………」
「旦那様?」
「いや……」
いくら規格外のアズキがいるとはいえ
幼い子供一人を山中に残す
それもまた、きな子の安全を考えていない行動ではないか
すると、胸元から神爺がひょっこりと顔を出した
「心配せんでもよいわい」
「神爺?」
「お主が降りるつもりの山辺りには、大した魔物はおらん」
「そもそもじゃ。これほどバカでかいアズキがおる時点で
まともな生存本能を持つ魔物なら絶対に近寄ってこんわい」
「そうなのか?」
「当たり前じゃ。お主は
巨大な虎の横で呑気に昼寝する鼠を見たことがあるか?」
「人間はどうだ?」
「そのために明日は、わざわざ街道から離れた山陰の林を選んだのであろうが」
「まあ、そうだが……万が一ということも」
神爺は、心底呆れたように深いため息をついた
「……度胸が据わっておるのかおらんのか
難儀な心配性じゃのう」
「親なら当然だ」
祥吾が、間髪入れずに即答した
神爺が一瞬、目を丸くして黙り込む
千草が、祥吾のその言葉を聞いて
花がほころぶように嬉しそうに微笑む
きな子も――
照れたように、とても嬉しそうに笑った
「何だ?」
「なんでもない」
「?」
祥吾には、千草ときな子がなぜそんなに嬉しそうな顔をしたのか分からなかった
だが、千草には分かったらしい
何も言わずきな子の頭を愛おしそうに優しく撫でていた
