アズキゴンドラ二号の中
ステラの一言が落ちた瞬間
ゴンドラ内の空気は文字通り凍りついた
「……龍が、白昼堂々、人間の町の上を旋回したら」
ステラは、覗き窓の向こうでみるみる小さくなっていく
王都ソラディアを見つめたまま、血の気を失った真っ青な顔で呟いた
「国が滅びる前触れだと、地上の人間はみんな思います」
静寂の中、ゴンドラが風を切る「ヒュオォォ」という空虚な音だけが
気まずい沈黙の間に響き渡っている
祥吾は、しばらくの間、あんぐりと口を開けたまま
声を発することができなかった
(……やってしまった)
やがて、彼はこめかみを押さえ、ぽつりと尋ねた
「……つまり、今頃、王都は大騒ぎになっているということか?」
「はい……」
ステラは力なく、しかし確信を持ってコクリと頷いた
「王都だけじゃないと思います
あたしたちが最初に飛んだメルフィアも
……きっと、同じように大混乱に陥っているはずです」
「そりゃそうじゃろ」
神爺が、杖をつきながら事も無げに小さく口を挟んだ。
「平和な町の真上を、災厄の象徴である巨大龍が我が物顔で飛んだんじゃ
蜂の巣を突っついたような大騒ぎになっておるわい」
その的確すぎる例えに、祥吾は頭を抱えた。
きな子だけが、いまだに地上の深刻な事情を飲み込めず
不思議そうに小首を傾げている。
「そんなに? みんな、アズキのこと怖いの?」
「そんなになのよ」
ステラは、きな子の目を見て即答した。
「あんなことが起きたら、普通の人は一生忘れられないわ
孫の代まで語り継がれる大事件よ」
その言葉に、千草も少し考え込み
真剣な顔つきで祥吾へ視線を向けた
「旦那様……今日、このまま町へ向かうのは……」
「ああ。得策ではないな」
祥吾は腕を組み
かつて身を置いていた軍人としての思考回路をフル回転させた
もし自分が、町を防衛する側の指揮官ならどうするか
正体不明の巨大龍
目的は不明だが、襲撃の可能性は極めて高い
当然、国境や城門は完全に封鎖され
町中には厳戒態勢が敷かれるはずだ
兵士の目は血走り
少しでも怪しい者は即座に捕縛されるだろう
そんな極限状態の町へ
見慣れない異国の旅人がのこのこ現れればどうなるか
「……余計な疑いを招き、捕まるのがオチだな」
「はい」
ステラも、青ざめたまま頷いた
「今は、検問も普段の何倍も厳しくなっていると思います
親方の様子を見るどころの話ではなくなるかと」
「そうだな、急ぐ理由はない」
祥吾は静かに頷き、結論を出した
「今日は町へ行かないの?」
きな子が、せっかくの遠足が中止になってしまった子供のように
少し残念そうに聞いてきた
祥吾は、そんなきな子の頭を優しく撫でて笑った
「また行けばいい、町は逃げんからな」
「そうじゃそうじゃ
人間どもは、勝手に騒がせておけばよいのじゃ」
神爺が偉そうに腕を組んでふんぞり返る
「……その一番の原因を作った神様が、言うことじゃないわ」
ステラが、思わずジト目を向けて小声で突っ込んだ
「ん? なんか言ったか?」
「い、いえ! 何も!」
神爺には聞こえなかったらしい。
かつては恐れ多すぎて目も合わせられなかった相手に
ごく自然にツッコミを入れられるようになっているステラの成長(?)に
祥吾は思わず苦笑した
「よし、今日は予定変更だ! アズキ、屋敷へ帰ろう!」
「グルルォ!」
祥吾の指示に応え、アズキが短く吠え
再び見慣れた深い魔の森の方角へと機首を向けた
その日の夜
屋敷の食卓には、いつも通り
千草の作った温かく美味しい夕餉が並んでいた
しかし、食事中の話題は
どうしても昼間の龍騒ぎのことばかりになってしまう
「親方、大丈夫かな……」
ステラは、白米のよそわれたお茶碗を持ったまま
箸を止めてぽつりと漏らした。
そんなステラの顔を覗き込み、千草が静かに
温かいおつゆの入った汁椀をステラの手元へ差し出した
「きっと、大丈夫ですわ」
「でも……」
「親方さんは、ステラさんのお話を聞く限り
とても頑固で、不器用で……そして、とても強いお方なのでしょう?」
千草の優しく、芯のある言葉に
ステラは、少しだけ目に涙を浮かべながら、小さく笑った
「……はい。とても、強い人です」
「だったら、その強さを信じましょう
そんなに不安な顔をしていては、親方さんに怒られますよ」
祥吾も、温かい茶を啜りながら深く頷いた
「数日待とう」
「数日、ですか?」
「ああ。町の混乱が少し落ち着き
警戒が緩んだ頃に、改めてメルフィアへ向かう
……その時は、俺たちも一緒に、親方に会いに行こう」
祥吾のその力強い約束の言葉に、ステラの顔の陰りがスッと消えていった
「……はいっ! ありがとうございます……!」
ステラは、目を潤ませながら、祥吾と千草に向かって深く、深く頭を下げた
その夜、ステラは久しぶりに親方の夢を見た
そして数日後――
王都とメルフィアを突如として襲った巨大龍出現という騒ぎは
まだ完全には収まっていなかった
国境警備は強化され、人々の顔には不安の影が落ちている
それでも、龍がその後一度も姿を見せなかったことで
町の人々は少しずつ、たくましく日常を取り戻し始めていた
「よし、今度こそ出発だ!」
祥吾の声と共に、彼らは再びアズキゴンドラ二号へ乗り込んだ
目指すは、ステラの故郷であり、偏屈な親方の待つ商業都市メルフィア
青空の中へ舞い上がるゴンドラの中で
ステラは今度こそ、しっかりと前を見据えていた
ステラの一言が落ちた瞬間
ゴンドラ内の空気は文字通り凍りついた
「……龍が、白昼堂々、人間の町の上を旋回したら」
ステラは、覗き窓の向こうでみるみる小さくなっていく
王都ソラディアを見つめたまま、血の気を失った真っ青な顔で呟いた
「国が滅びる前触れだと、地上の人間はみんな思います」
静寂の中、ゴンドラが風を切る「ヒュオォォ」という空虚な音だけが
気まずい沈黙の間に響き渡っている
祥吾は、しばらくの間、あんぐりと口を開けたまま
声を発することができなかった
(……やってしまった)
やがて、彼はこめかみを押さえ、ぽつりと尋ねた
「……つまり、今頃、王都は大騒ぎになっているということか?」
「はい……」
ステラは力なく、しかし確信を持ってコクリと頷いた
「王都だけじゃないと思います
あたしたちが最初に飛んだメルフィアも
……きっと、同じように大混乱に陥っているはずです」
「そりゃそうじゃろ」
神爺が、杖をつきながら事も無げに小さく口を挟んだ。
「平和な町の真上を、災厄の象徴である巨大龍が我が物顔で飛んだんじゃ
蜂の巣を突っついたような大騒ぎになっておるわい」
その的確すぎる例えに、祥吾は頭を抱えた。
きな子だけが、いまだに地上の深刻な事情を飲み込めず
不思議そうに小首を傾げている。
「そんなに? みんな、アズキのこと怖いの?」
「そんなになのよ」
ステラは、きな子の目を見て即答した。
「あんなことが起きたら、普通の人は一生忘れられないわ
孫の代まで語り継がれる大事件よ」
その言葉に、千草も少し考え込み
真剣な顔つきで祥吾へ視線を向けた
「旦那様……今日、このまま町へ向かうのは……」
「ああ。得策ではないな」
祥吾は腕を組み
かつて身を置いていた軍人としての思考回路をフル回転させた
もし自分が、町を防衛する側の指揮官ならどうするか
正体不明の巨大龍
目的は不明だが、襲撃の可能性は極めて高い
当然、国境や城門は完全に封鎖され
町中には厳戒態勢が敷かれるはずだ
兵士の目は血走り
少しでも怪しい者は即座に捕縛されるだろう
そんな極限状態の町へ
見慣れない異国の旅人がのこのこ現れればどうなるか
「……余計な疑いを招き、捕まるのがオチだな」
「はい」
ステラも、青ざめたまま頷いた
「今は、検問も普段の何倍も厳しくなっていると思います
親方の様子を見るどころの話ではなくなるかと」
「そうだな、急ぐ理由はない」
祥吾は静かに頷き、結論を出した
「今日は町へ行かないの?」
きな子が、せっかくの遠足が中止になってしまった子供のように
少し残念そうに聞いてきた
祥吾は、そんなきな子の頭を優しく撫でて笑った
「また行けばいい、町は逃げんからな」
「そうじゃそうじゃ
人間どもは、勝手に騒がせておけばよいのじゃ」
神爺が偉そうに腕を組んでふんぞり返る
「……その一番の原因を作った神様が、言うことじゃないわ」
ステラが、思わずジト目を向けて小声で突っ込んだ
「ん? なんか言ったか?」
「い、いえ! 何も!」
神爺には聞こえなかったらしい。
かつては恐れ多すぎて目も合わせられなかった相手に
ごく自然にツッコミを入れられるようになっているステラの成長(?)に
祥吾は思わず苦笑した
「よし、今日は予定変更だ! アズキ、屋敷へ帰ろう!」
「グルルォ!」
祥吾の指示に応え、アズキが短く吠え
再び見慣れた深い魔の森の方角へと機首を向けた
その日の夜
屋敷の食卓には、いつも通り
千草の作った温かく美味しい夕餉が並んでいた
しかし、食事中の話題は
どうしても昼間の龍騒ぎのことばかりになってしまう
「親方、大丈夫かな……」
ステラは、白米のよそわれたお茶碗を持ったまま
箸を止めてぽつりと漏らした。
そんなステラの顔を覗き込み、千草が静かに
温かいおつゆの入った汁椀をステラの手元へ差し出した
「きっと、大丈夫ですわ」
「でも……」
「親方さんは、ステラさんのお話を聞く限り
とても頑固で、不器用で……そして、とても強いお方なのでしょう?」
千草の優しく、芯のある言葉に
ステラは、少しだけ目に涙を浮かべながら、小さく笑った
「……はい。とても、強い人です」
「だったら、その強さを信じましょう
そんなに不安な顔をしていては、親方さんに怒られますよ」
祥吾も、温かい茶を啜りながら深く頷いた
「数日待とう」
「数日、ですか?」
「ああ。町の混乱が少し落ち着き
警戒が緩んだ頃に、改めてメルフィアへ向かう
……その時は、俺たちも一緒に、親方に会いに行こう」
祥吾のその力強い約束の言葉に、ステラの顔の陰りがスッと消えていった
「……はいっ! ありがとうございます……!」
ステラは、目を潤ませながら、祥吾と千草に向かって深く、深く頭を下げた
その夜、ステラは久しぶりに親方の夢を見た
そして数日後――
王都とメルフィアを突如として襲った巨大龍出現という騒ぎは
まだ完全には収まっていなかった
国境警備は強化され、人々の顔には不安の影が落ちている
それでも、龍がその後一度も姿を見せなかったことで
町の人々は少しずつ、たくましく日常を取り戻し始めていた
「よし、今度こそ出発だ!」
祥吾の声と共に、彼らは再びアズキゴンドラ二号へ乗り込んだ
目指すは、ステラの故郷であり、偏屈な親方の待つ商業都市メルフィア
青空の中へ舞い上がるゴンドラの中で
ステラは今度こそ、しっかりと前を見据えていた
