とある大正新婚夫婦の異世界転移サバイバル!日記 〜動植物学者の父に鍛えられたマイペース妻の知識がチートすぎて、未知の魔境を無双でまったり開拓していきます〜

ステラがかつて住んでいた
商業都市メルフィアを擁する「ソラディア王国」
魔の森の南側に広がる肥沃な大地を治めるだけでなく
森の西側と東側の一部にまで広大な領地を有する
森を囲む東西南北の四ヶ国の中で最大の力を持つ大国である

その王国の心臓部たる王都ソラディア。
昼下がりの大通りは
今日もむせ返るような活気と多くの人々で賑わっていた

商人が声を張り上げて客を呼び込み
重そうな荷車が石畳をゴトゴトと行き交う
大道芸人の周囲には人だかりができ
子どもたちの無邪気な笑い声が陽光の中に響いている
平和で、豊かな、ありふれた昼の光景だった。

その時だった

「……ん?」

店先の果物を磨いていた果物屋の老人が
ふと南の空を見上げた。
太陽の光を遮るように
空に小さな黒い影が浮かんでいる。
鳥にしては妙に大きい
いや、大きすぎる

老人が怪訝そうに目を細め
その影の輪郭をはっきりと捉えた、次の瞬間だった。

「りゅ、龍だぁぁぁぁぁぁっ!!」

老人の喉から絞り出された悲鳴のような絶叫が
平和な王都の大通りに響き渡った

一瞬、時間が止まったかのように市場中が凍り付く
そして老人の指さす上空へと皆が目を向ける
次の瞬間、大通りは阿鼻叫喚の大混乱へと陥った

「逃げろ!!」
「子どもを連れて来い!! 早く!!」
「門を閉めろーー!!」

商人たちは命より大事な商品や金貨も放り出して逃げ出し
母親たちは半狂乱で泣き叫ぶ子どもを抱きかかえる
逃げ惑う人々の波で露店は次々とひっくり返り
果物や野菜が石畳に散乱する
行き場を失った荷車が横転し
人の波は雪崩を打つように一斉に王城方面へと押し寄せていった


その頃、ソラディア王国の王城・謁見の間
「ご報告!!」
重厚な扉がバンッと乱暴に開かれ
顔面を蒼白にさせた近衛騎士が転がるように飛び込んできた

「南方より、巨大龍が接近!! 現在、王都上空に到達いたしました!!」
「規模は!」
「史料級です! 過去の文献にあるどの個体よりも巨大かと!」

「何っ!!」
玉座に座っていた国王が、弾かれたように立ち上がる
その場に控えていた重臣たちも、一斉に顔色を失った

「なぜ、もっと早くに報告しなかった!
 近づいてくるのは見えていたであろう」
近衛騎士は、いきなりの叱責にたじろぎながら答えた
「そ、それが、いきなり現れたのです」
「いきなり?」
「は、はい、はるか上空から恐ろしいぐらいの速度で
 一直線に降下してきたのです」

「被害は出ているか!」
「……まだ、ありません!」
「まだ、だと?」
「はい! 攻撃の素振りはなく
 現在、王都上空をゆっくりと旋回しております!」

「旋回だと……?」
謁見の間の空気が、一気に限界まで張り詰める

龍は、人間の街を見つければ容赦なく襲ってくる
それがこの世界の絶対的な常識だった
だが、今回の龍は襲ってこない
ただ、ゆっくりと
品定めをするかのように王都の上を見下ろしているだけだという

「目的は何だ!」
「分かりません!」
「どこぞの国の使者か!」
「龍を使役できる人間など、歴史上存在しません!」
「討伐隊はどうなっている!」
「現在、城壁へ急遽展開中です!」

「撃てるか!」
国王の悲壮な問いに、
近衛隊長が奥歯を噛み締め、苦々しく答えた。

「撃つことは、できます。……ですが」
隊長は拳を握りしめ、絶望的な事実を口にした。
「あの規模の龍です
 一度でも攻撃を仕掛けて怒らせれば……王都が地図から消えます」

静寂
その場にいる誰一人として、言葉を発せなかった

今この瞬間も、城壁の上では巨大な弩(いしゆみ)が空へ向けられ
宮廷魔導士たちが汗だくで迎撃の詠唱を始めているだろう
だが、誰一人として、その「最初の一撃」を放つ勇気はなかった
ひとたび牙を剥かれれば、国が終わるのだ

「……刺激するな」
国王は、玉座の肘掛けを強く握りしめ
静かに、しかし絶対の命令を下した。
「こちらからは絶対に手を出すな。……全軍、待機だ」

その頃、王都の人間たちが絶望の底で震え上がっている
まさにその上空では

「わぁっ!」
きな子が、アズキゴンドラ二号の覗き窓から身を乗り出、
歓声を上げていた。
「お城、おっきい! きれいだねぇ!」
「本当に、立派な城壁ですわね」
千草も、興味深げな笑みを浮かべ
感心したように頷いている

祥吾は、広げた羊皮紙へ眼下の地形を
サラサラと書き込みながら、感心したように呟いた。
「東西南北に、大きな街道が四本か
 なるほど、思った以上に交通の要衝だな、この国は」
「おい祥吾。美味い酒を置いてそうな酒蔵はどこじゃ?
 上から見えんか?」
神爺に至っては、眼下のパニックなど知る由もなく
呑気極まりないことを言っている

そのゴンドラの真下では、
王都中の非常ベルという鐘が狂ったように鳴り響き
緊急事態を知らせる真っ赤な狼煙(のろし)が次々と上がり
重武装の兵士たちが死を覚悟して城壁へと殺到していた

「……うん?」
羊皮紙から顔を上げた祥吾が、ふと首を傾げた。
「なんだ?」
「いや。なんだか下の大通りに、人がものすごく増えてきた気がしてな」
祥吾の言葉に、千草も下を覗き込む。
「本当ですわね。人が集まってきているようですわ」

「お祭り?」
きな子が無邪気に問う
「かもしれんな。まあ、上空にいる俺たちには関係ないが
 こんな状況でなければ、お祭りに連れて行ってやれたのにな」
祥吾はそう言って、きな子の頭を優しく撫でた

「このへんでもういいだろう
 アズキ、メルフィアへ戻ってくれ」
祥吾の指示に、アズキが咆哮をあげて応え
巨大な翼を傾け、王都の上空で大きく旋回行動をとった

アズキの咆哮は、かなり上空にもかかわらず地上にも響き渡った
「ブレスが来るぞォォォ!!」
咆哮と共に大きく口が開いたのが見えた、物見の兵士から絶望の悲鳴が上がる
城壁では極度の緊張から弓兵が腰を抜かし
魔導士が詠唱を噛んで泡を吹き
兵士たちは盾を構えながらガタガタと震えていた。

だが、龍は攻撃しない
ゆっくり。本当にゆっくりと
旋回してそのまま北の空へと向きを変えた。

「……去る、のか?」
城壁の誰かが、ぽつりと呟く。

龍は、何事もなかったかのように
青空の彼方へと、みるみるうちに遠ざかっていった

王城、謁見の間
龍の影が見えなくなってからもしばらくの間
誰一人として言葉を発することができなかった。

やがて、近衛隊長が息を呑み、恐る恐る国王へ報告する
「……攻撃は……なかったようです」

「奴の目的は……いったい何だったのだ?」
「……完全に、不明です」

再び、重く冷たい沈黙が降りた
その時、知恵者として知られる宰相が
青ざめた顔で重々しく口を開いた

「陛下」
「申せ」
「あの動き……
 龍は、我々を襲わなかったのではなく……
 我が王都の戦力と防りを、見定めに来たのではないかと」

その一言に、謁見の間の全員から、スッと血の気が引いた

その頃、当の龍のゴンドラの中では。

「ねえ、ステラお姉ちゃん」
きな子が、大まかな地図を描き終えて小首を傾げた
「さっき、何か大事なことを忘れてるって言ってたけど
 ……何か思い出した?」

ステラは、覗き窓から遠ざかる王都ソラディアをじっと見つめていた
その顔は、幽霊でも見たかのように真っ青だった

「……思い出したわ」
「何を?」

ステラは、ゆっくりと顔を上げた。
のんびりと空を飛ぶアズキを見上げ、用紙を片付ける祥吾を見て
最後に王都を振り返る
そして、ガタガタと震える声で、その常識を口にした

「……龍が、白昼堂々、人間の町の上を旋回して飛んだら……」
「飛んだら?」

「国が滅びる前触れだと、地上の人間はみんな思います」

「…………」

ゴンドラの中から、スッと一切の音が消えた
風きりの音だけが、気まずすぎる沈黙の中を
空しく吹き抜けていった