千草が、見事な一本背負いで天高く投げ飛ばしたその女性は
見事な放物線を描いて地面に叩きつけられ
そのまま白目を剥いて気絶してしまった
幸いなことに、落下地点が茂った草むらと、柔らかい土の上であったため
大きな怪我もなく打ち身程度で済んだようだった
しかし、そんな幸運の事実など
妻の暴走を止められなかった祥吾にとっては
一ミリの慰めにもならなかった
『森から出てきた人間の女性が、倒れ込んでいただけだ!』
事の顛末を祥吾が急いで説明すると
千草の瞳にスッと理性の光がよみがえった
自分がたった今、
見ず知らずの弱った人間を全力で投げ飛ばしたという事実が
つい数秒前まで顔を赤く染め上げていた
「嫉妬」と「格闘」の興奮を一瞬で消し去り
千草の顔は、血の気が失せて真っ青になっていった
だが、千草が後悔に崩れ落ち
祥吾が次の行動に移ろうとするよりも早く
「×××××ッ!!」
屋敷から飛び出してきたきな子が
エルフ語を叫びながら
倒れた女性の元へと駆け寄った
きな子は泥だらけの女性の傍らに膝をつき
心配そうにその顔や腕をぺたぺたと小さな手で触り始めた
その様子を唖然として見ていた祥吾と千草だったが
ハッとしてすぐさま女性の元へと駆け寄った。
祥吾はきな子の小さな手を優しく包み込んで落ち着かせ
千草は青ざめた顔のまま
手早く女性の脈を取り、全身の骨や怪我の状態を確かめた
「……どうだ?」
祥吾が固唾を飲んで尋ねる
「……大丈夫でございます
強い衝撃で、気絶しておられるだけでございますわ」
「そうか……」
千草の、心底ホッとしたように深く息を吐きながらの答えに
祥吾も安堵の息を漏らす。
祥吾はきな子の目を見つめ
覚えたてのエルフ語の単語を紡いで
「大丈夫だ。怪我はないそうだ」
とゆっくり教えた。
その言葉に、きな子は安堵したように女性を見つめた
そして、きな子は祥吾と千草に向かって
必死にエルフ語で何かを説明しようと身振り手振りを交え始めた
だが、祥吾はそれを優しく手で制し
千草と二人で女性の身体をそっと抱き起こした。
「話は後にしましょう
今は、この方を介抱するのが先ですよ」
千草がきな子の手を取り
祥吾が泥だらけの女性を背負って
急ぎ足で屋敷へと向かった
客間に布団を敷き、女性を静かに寝かせる。
ぬるま湯で顔の泥を拭い
改めて明るい場所で見てみると
その姿はあまりにも痛ましかった
かつてきな子が森をさまよっていた時と同じように
着ている衣服も髪も泥と樹液でボロボロに汚れ
露出した手足は無数の生傷や擦り傷で覆われていた
「旦那様」
女性の衣服を解こうとしていた千草が
ふと手を止めて振り返った。
「この方は、胸にさらしのような布をきつく巻いておられます
呼吸のためにも、外して身体を拭いてあげた方が楽になると思いますので――」
千草の言葉の最後には、あきらかな圧がこもっていた
「そ、そうか! 分かった
俺は部屋から出ているので、あとはよろしく頼む!」
祥吾はそそくさと立ち上がり、逃げるように客間を後にした
廊下に出ると、行灯の影から神爺がニヤニヤと面白そうな顔で声をかけてきた。
「ほう、奥方に追い出されたか?」
「別に追い出された訳ではない
……これは、紳士たる者の礼儀というものだ」
「ふぉっふぉっふぉ
それにしては、随分と奥方に気圧されておったように見えたがの?」
「べ、別に……
いや、そうなのだ」
祥吾はため息をつき、首を傾げた
「何故かさっきから、千草が俺を見る目が『きつい』気がするのだ
……神爺は、何故だか分かるか?」
祥吾の純粋な疑問に
神爺は呆れ果てた顔で深く、深くため息をついた
「やれやれ。ここまで鈍感じゃとは」
あまりの物言いに祥吾が抗議しようと口を開きかけた時
客間の襖が静かに開いた
「屋敷神様、丁度いいところに」
女性の世話を終え、綺麗に身支度を整えさせた千草が
廊下の二人に声をかけた
「旦那様、きな子が私たちに
どうしても話したいことがあるそうですわ」
「分かった
先ほど庭で言おうとしていた件だろうな」
二人は神爺を伴って、再び客間へと足を踏み入れた
きな子が神爺を通じて語った話の内容は
祥吾たちにとって非常に意外なものだった。
布団で眠るこの女性は
きな子にとって見知らぬ他人の人間ではないというのだ
エルフの集落で誰からも虐げられていたきな子と、その母親
その二人に、こっそりと売れ残りのパンや干し肉を分け与え
生きる希望を繋いでくれていた商人見習いの女性こそが
この彼女なのだという。
「そうか……! あの時の女性だったのか」
祥吾が膝を打って納得する。
「旦那様は、この方をご存じだったのですか?」
いまだ、声の端々にほんの少しだけ圧をにじませた千草の問い
しかし、意外な邂逅に意識を持っていかれている祥吾は
その妻の不機嫌の理由に全く気づかぬまま、明るく答えた
「ああ、きな子の意識に入り込んだ時に
何度か見た記憶があるのだ
そうか、それでやっと腑に落ちた」
祥吾は納得顔で頷き続ける。
「見た瞬間、どこかで見たような気がしたのだ
しかも女性だと思ったのも、その記憶があったからだな」
「……そうなのですか?」
その瞬間、千草の纏っていた
あのチクチクとした理不尽な圧が
春の雪解けのようにスッと綺麗に消え去り
再び穏やかで愛情深い微笑みが戻った
祥吾は、その変わり様を、ただ機嫌が直ってよかったと思うばかりで
その根本的な理由には最後まで一切気づかないままだった
「やれやれ。前途多難じゃのう
これからが思いやられるわい
まあ、奥方や嬢ちゃんにとっては悪くはないがな」
神爺のため息混じりの言葉は、誰にも届かなかった
見事な放物線を描いて地面に叩きつけられ
そのまま白目を剥いて気絶してしまった
幸いなことに、落下地点が茂った草むらと、柔らかい土の上であったため
大きな怪我もなく打ち身程度で済んだようだった
しかし、そんな幸運の事実など
妻の暴走を止められなかった祥吾にとっては
一ミリの慰めにもならなかった
『森から出てきた人間の女性が、倒れ込んでいただけだ!』
事の顛末を祥吾が急いで説明すると
千草の瞳にスッと理性の光がよみがえった
自分がたった今、
見ず知らずの弱った人間を全力で投げ飛ばしたという事実が
つい数秒前まで顔を赤く染め上げていた
「嫉妬」と「格闘」の興奮を一瞬で消し去り
千草の顔は、血の気が失せて真っ青になっていった
だが、千草が後悔に崩れ落ち
祥吾が次の行動に移ろうとするよりも早く
「×××××ッ!!」
屋敷から飛び出してきたきな子が
エルフ語を叫びながら
倒れた女性の元へと駆け寄った
きな子は泥だらけの女性の傍らに膝をつき
心配そうにその顔や腕をぺたぺたと小さな手で触り始めた
その様子を唖然として見ていた祥吾と千草だったが
ハッとしてすぐさま女性の元へと駆け寄った。
祥吾はきな子の小さな手を優しく包み込んで落ち着かせ
千草は青ざめた顔のまま
手早く女性の脈を取り、全身の骨や怪我の状態を確かめた
「……どうだ?」
祥吾が固唾を飲んで尋ねる
「……大丈夫でございます
強い衝撃で、気絶しておられるだけでございますわ」
「そうか……」
千草の、心底ホッとしたように深く息を吐きながらの答えに
祥吾も安堵の息を漏らす。
祥吾はきな子の目を見つめ
覚えたてのエルフ語の単語を紡いで
「大丈夫だ。怪我はないそうだ」
とゆっくり教えた。
その言葉に、きな子は安堵したように女性を見つめた
そして、きな子は祥吾と千草に向かって
必死にエルフ語で何かを説明しようと身振り手振りを交え始めた
だが、祥吾はそれを優しく手で制し
千草と二人で女性の身体をそっと抱き起こした。
「話は後にしましょう
今は、この方を介抱するのが先ですよ」
千草がきな子の手を取り
祥吾が泥だらけの女性を背負って
急ぎ足で屋敷へと向かった
客間に布団を敷き、女性を静かに寝かせる。
ぬるま湯で顔の泥を拭い
改めて明るい場所で見てみると
その姿はあまりにも痛ましかった
かつてきな子が森をさまよっていた時と同じように
着ている衣服も髪も泥と樹液でボロボロに汚れ
露出した手足は無数の生傷や擦り傷で覆われていた
「旦那様」
女性の衣服を解こうとしていた千草が
ふと手を止めて振り返った。
「この方は、胸にさらしのような布をきつく巻いておられます
呼吸のためにも、外して身体を拭いてあげた方が楽になると思いますので――」
千草の言葉の最後には、あきらかな圧がこもっていた
「そ、そうか! 分かった
俺は部屋から出ているので、あとはよろしく頼む!」
祥吾はそそくさと立ち上がり、逃げるように客間を後にした
廊下に出ると、行灯の影から神爺がニヤニヤと面白そうな顔で声をかけてきた。
「ほう、奥方に追い出されたか?」
「別に追い出された訳ではない
……これは、紳士たる者の礼儀というものだ」
「ふぉっふぉっふぉ
それにしては、随分と奥方に気圧されておったように見えたがの?」
「べ、別に……
いや、そうなのだ」
祥吾はため息をつき、首を傾げた
「何故かさっきから、千草が俺を見る目が『きつい』気がするのだ
……神爺は、何故だか分かるか?」
祥吾の純粋な疑問に
神爺は呆れ果てた顔で深く、深くため息をついた
「やれやれ。ここまで鈍感じゃとは」
あまりの物言いに祥吾が抗議しようと口を開きかけた時
客間の襖が静かに開いた
「屋敷神様、丁度いいところに」
女性の世話を終え、綺麗に身支度を整えさせた千草が
廊下の二人に声をかけた
「旦那様、きな子が私たちに
どうしても話したいことがあるそうですわ」
「分かった
先ほど庭で言おうとしていた件だろうな」
二人は神爺を伴って、再び客間へと足を踏み入れた
きな子が神爺を通じて語った話の内容は
祥吾たちにとって非常に意外なものだった。
布団で眠るこの女性は
きな子にとって見知らぬ他人の人間ではないというのだ
エルフの集落で誰からも虐げられていたきな子と、その母親
その二人に、こっそりと売れ残りのパンや干し肉を分け与え
生きる希望を繋いでくれていた商人見習いの女性こそが
この彼女なのだという。
「そうか……! あの時の女性だったのか」
祥吾が膝を打って納得する。
「旦那様は、この方をご存じだったのですか?」
いまだ、声の端々にほんの少しだけ圧をにじませた千草の問い
しかし、意外な邂逅に意識を持っていかれている祥吾は
その妻の不機嫌の理由に全く気づかぬまま、明るく答えた
「ああ、きな子の意識に入り込んだ時に
何度か見た記憶があるのだ
そうか、それでやっと腑に落ちた」
祥吾は納得顔で頷き続ける。
「見た瞬間、どこかで見たような気がしたのだ
しかも女性だと思ったのも、その記憶があったからだな」
「……そうなのですか?」
その瞬間、千草の纏っていた
あのチクチクとした理不尽な圧が
春の雪解けのようにスッと綺麗に消え去り
再び穏やかで愛情深い微笑みが戻った
祥吾は、その変わり様を、ただ機嫌が直ってよかったと思うばかりで
その根本的な理由には最後まで一切気づかないままだった
「やれやれ。前途多難じゃのう
これからが思いやられるわい
まあ、奥方や嬢ちゃんにとっては悪くはないがな」
神爺のため息混じりの言葉は、誰にも届かなかった
