家畜たちからの視線に晒され続け
これ以上、精神を削られることに耐えられなくなった祥吾は
悲壮な玉砕覚悟で、きな子を言いくるめ――いや、説得にかかった
「きな子。……俺と千草のために
いろいろと考えてやってくれているのは
本当に嬉しい
そう、ほら、涙が出るほど嬉しいのだ」
祥吾は両手できな子の小さな肩を掴み
そう言いながらポロポロと本物の涙を流した
ただ、それは決して感動の嬉し涙などではなく
己の不甲斐なさに対する、情けなさの涙であった
しかし、それをきな子に知られてはならない
鉄壁の神爺の防御と厳密なイメージ伝達の下
祥吾の決死の情けない演技が続く
満足そうに頷くきな子を見て
祥吾は涙を拭き、スッと真剣な顔を作った。
祥吾の纏う空気がピリッと変わったことに気付いたきな子も
居住まいを正す
「しかしだな、きな子
これは、俺自身でなすべきものなのだ
他の者の手を借りてしまっては
俺の、千草に対する、じゅ、純粋な想いがだな――」
自分でも何を言っているのか分からなくなり
途中からしどろもどろになる祥吾
だが、切実すぎる念だけは
きな子にしっかりと伝わったらしく
彼女はすこししょんぼりとした顔になってうつむいてしまった
「誤解しないでくれ
きな子が余計なことをしたと怒っている訳ではないんだぞ
俺のために動いてくれた
きな子のその気持ちは、とてもうれしいんだ」
「……う、れ、し、い?」
「えっ?」
祥吾は、耳を疑った。
今、きな子の口からこぼれ落ちたのは、日本語だった
きな子には、
千草と共に神爺を通じて彼女の故郷の言葉(エルフ語)を
教えてもらっているが
こちらから意図して日本語の単語を教えたことは
まだ一度もなかったはずだ
「たいしたものじゃな」
肩に乗った神爺が、感心したようにヒゲを撫でる。
「おぬしたちがエルフ語を学んでいる合間に
あの子は祥吾や千草の言葉の響きを聞き取って
意味と結びつけて覚えていっておるようじゃ」
「きな子、そうなのか……?」
驚いて尋ねる祥吾に、きな子は少し恥ずかしそうに
けれど誇らしげにこくりと頷いた
「すごいな、きな子は!」
祥吾は感極まって、きな子の柔らかな髪を優しく撫でた。
「……わ、た、し、す、ご、い?」
「ああ、すごい。本当にすごい!」
その純粋な賞賛の気持ちは
神爺を通さずとも直接きな子の心にすっと入り込んでいった
褒められたきな子の表情が
まぶしいぐらいに輝く
「千草には、もう話したのか?
……そうか、まだか
千草にも聞かせてやってくれ
きな子といっぱい喋りたいとずっと言っていたからな」
そういって、祥吾はきな子の小さな手を引いて千草の元へと向かう
きな子は、温かく包み込まれたその手を
嬉しそうに見つめながら後をついてきた
「あっ」
廊下の途中で不意に思い出して
祥吾が立ち止まり、話を戻す。
「さっきの話だが、俺と千草のことは……
俺に任せてくれるな?」
今度はしょんぼりすることなく
素直に大きく頷いてみせたきな子を見て
祥吾は心底ほっと胸を撫で下ろした。
千草に、きな子が日本語を覚えている件を伝えると
千草は驚くと共に大喜びした
さっそく、二人で片言の単語を並べて
楽しそうにやりとりを始めている
やがて、きな子の覚えている単語が尽きると
千草は祥吾の方に向き直って言った
「旦那様、これからは、
きな子の日本語の勉強も一緒に行いましょう!」
「そうだな。きな子も望んでいるようだしな」
そうして、きな子の日本語の勉強が
西園寺家の日常に新たに追加された
その後、きな子が神爺と一緒に
日課となっている疾風やアズキたちの世話に向かい、二人きりになると
千草が先ほどまでの柔らかな笑顔を引っ込め
真剣な顔つきで祥吾に向き直った。
「旦那様。……実は、ひとつ心配なことがあります」
「心配なこと? なんだ、改まって」
「はい。……塩の事なのです」
「塩? ――っ! そうか!」
祥吾はハッと膝を打った。
「はい。先ほど、蔵に保存しております塩の残量を確認して参りました
当面は心配ないかと思われますが、いずれは必ず尽きてしまいます」
「そうだな……。この森の中で、塩を得ることはできないか」
祥吾の頭に浮かんだのは
海岸に広がる塩田の風景だった
塩というものは
海や海水がなければ手に入らないものだと思っていた。
だが、千草は首を振った。
「いえ、森や山でも塩を得る方法は幾つかございますわ」
「えっ? そうなのか?」
「はい。海水でなくとも、地中に岩塩の層があったり
塩分を含んだ水が湧き出ている場所があったりいたします
この森や山脈にそれがあるかどうかは
調べてみないとわかりませんが」
「なるほど、そうか
今後の空中捜索には、それも含めることにしよう」
妻の軍隊もかくやという非常時の知識に感心し、祥吾が頷く
「わかりました、……そのほかにも
塩分を多く含んだ特定の植物から取り出すこともできますし」
千草の言葉が、徐々に不穏な空気を帯び始める。
「最悪の場合は、仕留めた魔物や動物の血を使って
料理をするということも――」
「ちょ、ちょっと待て千草」
祥吾は、全身の毛穴がざわっと粟立つのを感じながら
結果の分かっている空しい問いを投げかけた。
「……それは、実際にやったことがあるような口ぶりだが」
「はい! ご安心下さいませ!」
千草は、不安など微塵も感じさせない
極上の笑顔を向けた
「父との調査生活で、
それらはすべて体験して実践しております
ですから……最悪、塩が尽きましても大丈夫でございます!」
自慢げに胸を張る千草
(いや……全然、大丈夫ではないだろう)
誇らしげな妻を、表面上は
「おお、それは頼もしいな」
と引きつった笑顔で見つめながら
祥吾の内心は、いつか食卓に
得体の知れない魔物の血がたっぷり入った真っ赤なスープが
千草の嬉々とした笑顔と共に並べられる光景を想像して
心の底から震え上がっていた
これ以上、精神を削られることに耐えられなくなった祥吾は
悲壮な玉砕覚悟で、きな子を言いくるめ――いや、説得にかかった
「きな子。……俺と千草のために
いろいろと考えてやってくれているのは
本当に嬉しい
そう、ほら、涙が出るほど嬉しいのだ」
祥吾は両手できな子の小さな肩を掴み
そう言いながらポロポロと本物の涙を流した
ただ、それは決して感動の嬉し涙などではなく
己の不甲斐なさに対する、情けなさの涙であった
しかし、それをきな子に知られてはならない
鉄壁の神爺の防御と厳密なイメージ伝達の下
祥吾の決死の情けない演技が続く
満足そうに頷くきな子を見て
祥吾は涙を拭き、スッと真剣な顔を作った。
祥吾の纏う空気がピリッと変わったことに気付いたきな子も
居住まいを正す
「しかしだな、きな子
これは、俺自身でなすべきものなのだ
他の者の手を借りてしまっては
俺の、千草に対する、じゅ、純粋な想いがだな――」
自分でも何を言っているのか分からなくなり
途中からしどろもどろになる祥吾
だが、切実すぎる念だけは
きな子にしっかりと伝わったらしく
彼女はすこししょんぼりとした顔になってうつむいてしまった
「誤解しないでくれ
きな子が余計なことをしたと怒っている訳ではないんだぞ
俺のために動いてくれた
きな子のその気持ちは、とてもうれしいんだ」
「……う、れ、し、い?」
「えっ?」
祥吾は、耳を疑った。
今、きな子の口からこぼれ落ちたのは、日本語だった
きな子には、
千草と共に神爺を通じて彼女の故郷の言葉(エルフ語)を
教えてもらっているが
こちらから意図して日本語の単語を教えたことは
まだ一度もなかったはずだ
「たいしたものじゃな」
肩に乗った神爺が、感心したようにヒゲを撫でる。
「おぬしたちがエルフ語を学んでいる合間に
あの子は祥吾や千草の言葉の響きを聞き取って
意味と結びつけて覚えていっておるようじゃ」
「きな子、そうなのか……?」
驚いて尋ねる祥吾に、きな子は少し恥ずかしそうに
けれど誇らしげにこくりと頷いた
「すごいな、きな子は!」
祥吾は感極まって、きな子の柔らかな髪を優しく撫でた。
「……わ、た、し、す、ご、い?」
「ああ、すごい。本当にすごい!」
その純粋な賞賛の気持ちは
神爺を通さずとも直接きな子の心にすっと入り込んでいった
褒められたきな子の表情が
まぶしいぐらいに輝く
「千草には、もう話したのか?
……そうか、まだか
千草にも聞かせてやってくれ
きな子といっぱい喋りたいとずっと言っていたからな」
そういって、祥吾はきな子の小さな手を引いて千草の元へと向かう
きな子は、温かく包み込まれたその手を
嬉しそうに見つめながら後をついてきた
「あっ」
廊下の途中で不意に思い出して
祥吾が立ち止まり、話を戻す。
「さっきの話だが、俺と千草のことは……
俺に任せてくれるな?」
今度はしょんぼりすることなく
素直に大きく頷いてみせたきな子を見て
祥吾は心底ほっと胸を撫で下ろした。
千草に、きな子が日本語を覚えている件を伝えると
千草は驚くと共に大喜びした
さっそく、二人で片言の単語を並べて
楽しそうにやりとりを始めている
やがて、きな子の覚えている単語が尽きると
千草は祥吾の方に向き直って言った
「旦那様、これからは、
きな子の日本語の勉強も一緒に行いましょう!」
「そうだな。きな子も望んでいるようだしな」
そうして、きな子の日本語の勉強が
西園寺家の日常に新たに追加された
その後、きな子が神爺と一緒に
日課となっている疾風やアズキたちの世話に向かい、二人きりになると
千草が先ほどまでの柔らかな笑顔を引っ込め
真剣な顔つきで祥吾に向き直った。
「旦那様。……実は、ひとつ心配なことがあります」
「心配なこと? なんだ、改まって」
「はい。……塩の事なのです」
「塩? ――っ! そうか!」
祥吾はハッと膝を打った。
「はい。先ほど、蔵に保存しております塩の残量を確認して参りました
当面は心配ないかと思われますが、いずれは必ず尽きてしまいます」
「そうだな……。この森の中で、塩を得ることはできないか」
祥吾の頭に浮かんだのは
海岸に広がる塩田の風景だった
塩というものは
海や海水がなければ手に入らないものだと思っていた。
だが、千草は首を振った。
「いえ、森や山でも塩を得る方法は幾つかございますわ」
「えっ? そうなのか?」
「はい。海水でなくとも、地中に岩塩の層があったり
塩分を含んだ水が湧き出ている場所があったりいたします
この森や山脈にそれがあるかどうかは
調べてみないとわかりませんが」
「なるほど、そうか
今後の空中捜索には、それも含めることにしよう」
妻の軍隊もかくやという非常時の知識に感心し、祥吾が頷く
「わかりました、……そのほかにも
塩分を多く含んだ特定の植物から取り出すこともできますし」
千草の言葉が、徐々に不穏な空気を帯び始める。
「最悪の場合は、仕留めた魔物や動物の血を使って
料理をするということも――」
「ちょ、ちょっと待て千草」
祥吾は、全身の毛穴がざわっと粟立つのを感じながら
結果の分かっている空しい問いを投げかけた。
「……それは、実際にやったことがあるような口ぶりだが」
「はい! ご安心下さいませ!」
千草は、不安など微塵も感じさせない
極上の笑顔を向けた
「父との調査生活で、
それらはすべて体験して実践しております
ですから……最悪、塩が尽きましても大丈夫でございます!」
自慢げに胸を張る千草
(いや……全然、大丈夫ではないだろう)
誇らしげな妻を、表面上は
「おお、それは頼もしいな」
と引きつった笑顔で見つめながら
祥吾の内心は、いつか食卓に
得体の知れない魔物の血がたっぷり入った真っ赤なスープが
千草の嬉々とした笑顔と共に並べられる光景を想像して
心の底から震え上がっていた
