とある大正新婚夫婦の異世界転移サバイバル!日記 〜動植物学者の父に鍛えられたマイペース妻の知識がチートすぎて、未知の魔境を無双でまったり開拓していきます〜

結局のところ、きな子にとって初めてとなる外の世界への探索には
祥吾も同行することに決めた
目的を千草の採集作業の護衛というよりは
家族三人での「ピクニック」として楽しむことにしたのだ

夫の提案に千草も大賛成で
当日の朝はまだ星が瞬くうちから起き出し
意気揚々と台所に立っていた
パチパチと油の跳ねる心地よい音と
食欲をそそる香ばしい匂いが屋敷に広がる
おにぎりに色鮮やかなサンドイッチ
きつね色に揚がったコロッケやフライなど
いつもよりずっと手の込んだ弁当箱が並べられていった

きな子は、そこまで早くは起きられなかった
しばらくして目を覚ましたきな子は
隣に千草の温もりがないことに気づき
慌てて布団を抜け出し
パタパタと裸足のまま台所へと駆け込む

その間、祥吾は千草の代わりに朝の力仕事や水汲みを引き受け
手早く済ませると厩舎へと向かった
疾風とアズキの鼻先を撫でながら
「今日はピクニックだ。お前たちも楽しんで
 そして二人をしっかり守ってやってくれよ」
と念を押すように言い聞かせる。

にぎやかな朝餉を済ませると
三人と神爺、そして二頭の獣たちは連れ立って屋敷を出発した。

目指すは、千草が以前の探索で見つけたという滝だ。
出発の際、祥吾はきな子の小さな身体を気遣い
疾風の背に乗せようとした
しかし、きな子はふるふると首を振り
「自分も歩く」と身振りで示して
ぎゅっと千草の小さな手を握ってきた。
頼られた千草の顔は
それはもう「でれっ」とだらしなく崩れてしまう。
「ふふっ、疲れたらすぐに言うのですよ?」
千草はすっかり甘やかす母親の顔になって
小さな手をしっかりと引き寄せた。

しかし、屋敷の敷地を抜け、深い森へと足を踏み入れた途端
きな子の足取りに微かなこわばりが混ざり始めた

きな子はかつて、エルフの集落の端で
日々の糧を得るために何度も森へ入っていた
だが、集落周辺の森はエルフたちの強力な結界と管理が行き届いた
いわば巨大な「庭」のようなものであり
森そのものはそれほどの驚異も恐れも抱く対象ではなかった

だが、祥吾たちと共に進むこの未知の森は
きな子の知るそれとは全く異なっていた
きな子の胸の内に渦巻く「驚き」と「恐れ」は
神爺の力を借りずとも
千草や祥吾に直接伝わってくるほどだった。

頭上を覆う梢は分厚く
差し込むはずの日の光は進むことを拒絶されたように弱々しく
少しでも気を抜けば
足元から這い寄る黒い影の底へ呑み込まれてしまいそうだった

エルフの森の木々は神聖で整然とした姿をしていたが
ここの樹々は荒々しく、おどろおどろしい
地を這う太い根は、まるで巨大な獣の骨の残骸のように白くねじれ
立ち塞がる幹は行く手を阻み
風に揺れる頭上の枝葉は
油断する獲物を絡め捕ろうと蠢く
邪悪な手のひらのように見える

きな子が思わず千草の手にすがりつくと
祥吾がその肩に安心させるように
自分の手を置いた

きな子が、祥吾を見上げ、ほっとした笑顔を返した、その時だった

重苦しい木々の隙間から
ゴォォォという低い地鳴りのような音が聞こえてきた。
視界を覆っていた邪悪な枝の壁が唐突に途切れ、ぱっと目の前が開ける

「着きましたわ。あそこです!」

千草が指さした先
天の高い場所から白銀の滝が真っ直ぐに落ちていた
凄まじい水量が生み出す轟音と
陽光を乱反射してきらきらと輝く無数の水しぶき
「あっ……」

きな子は千草の手を握ったまま、立ち尽くした
強張っていた瞳が
今は信じられないほどの驚きと
純粋な感動に見開かれている

「綺麗だろう?」

祥吾がしゃがみ込み、きな子と同じ目線になって微笑みかける
きな子は言葉の代わりに、満面の笑みで力強くこくりと頷き
もう一度、虹のかかる白い滝をひときわ眩しそうに見上げた

「もっと近くで見よう」

きな子に、そう言って立ち上がると、祥吾は千草にひとつ頷いて
二人の前を歩き始めた
すぐ後ろを、疾風とアズキが続き、最後に千草ときな子がついていく

少し歩くと、以前にも来た川縁に着いた
滝からの水が流れてくる
先程よりずっと近くに滝が見える
流れ落ちる水の迫力も轟音も先程の比ではない

だが、滝壺から巻き上がる清涼な風が
きな子の頬を優しく撫でていく
飛沫の中に、うっすらと七色の虹が架かっていた

きな子の感動の余韻が、美しい水飛沫の中にまだ漂っていた、その時だった。
穏やかに流れる川面に、暴力的な水柱が連続して跳ね上がった

ゴァバァッ!

穏やかな静寂を引き裂いて、水面から巨大な物体が飛び出してきた
人間を超える太さの巨体、どす黒く硬質な鱗
大きく裂けた顎には、鋭く凶悪な牙がびっしりと並んでいる
それが一匹だけではなく、二匹、三匹と続けて跳ね上がって襲いかかってくる

だが、それよりも疾く、祥吾が動く
地を滑るように踏み込み
腰に帯びた軍刀の鯉口を、親指で弾くと
飛びかかってくる魚へと、刀を走らせる

ただし、柄を握る手首を返し、分厚い「峰」を前方へと向ける
そのまま、迫り来る先頭の一匹に
真上から鋭く軍刀を振り下ろした
さらに返す刀で、もう一匹は水平に薙ぐ

ドゴォォンッ!

2つの、斬撃ではなく、強烈な鈍器の衝撃音が
ほとんど同時に響くと
2匹の狂暴な人食い魚が
白目を剥いて空中で「くの字」に折れ曲がり
川辺に叩き落とされた

残りの魚がなおも宙を舞い、牙を剥いて迫る。
だが、そちらには
疾風が後ろ足で立ち上がり、魚たちに向けて
見事なまでの前足の蹴りを放った

バキィッ! ドゴォッ!

強靭な蹄が、怪魚の硬い鱗を軽々と打ち砕く
見事な蹴りを腹に食らった魚たちは、
ゴム鞠のように蹴り飛ばされ
川辺の岩に激突して次々と沈黙していった

あっという間に片付いた脅威

いや、一匹だけ
見当違いに飛び出し、川辺であがいている魚がいた

その魚めがけて、こぶし大ほどの礫が次々と襲いかかった
「アズキ! その一匹、こんがりとお願いしますわ!」
千草が指をさして嬉々として命じる。

主人の意図を完璧に察したアズキが、「グルッ!」と短く吠えた
アズキが大きく口を開いた瞬間
そこから高熱を帯びた炎の息吹が一直線に放たれる
ゴォォォッという熱波とともに
もがいていた怪魚は瞬く間に炎に包まれた

数秒後、なんとも言えない香ばしい匂いが周囲に漂い始める
「見事ですわアズキ
 火加減を覚えましたのね」
ほめる千草に、誇らしげに胸を張るアズキ
絶妙な火加減により猛魚は、外はカリッと、中はふっくらとした
見事な「丸焼き」と化していた

祥吾は、チャキリと静かな音を立てて軍刀を鞘に納めた。

「さて……一段落ついたな
 シートを広げて、お昼にしよう」
「そうでございますね}

祥吾に笑顔で答えた千草が
持っていた荷物から大きな敷物を取り出し
滝がよく見える岩場に広げた
それから、
先ほどの焼き魚を、木の枝で器用に転がしながら
お弁当の準備に取り掛かかり始めた

「奥方。して……『あれ』も用意しておるのかの?」
つい先ほどまで何一つ仕事をしていなかった神爺が
敷物の端にちょこんと座り
臆面もなく鼻をひくつかせて聞いてくる
「ふふ、お酒なら、少しだけお持ちしておりますわよ」
千草が竹筒を振って見せると
神爺は顔をだらしなく崩し
「おお……!」
と歓喜の声を上げた

その傍らでは、祥吾と疾風、そしてアズキが
自分たちが倒した残りの魚の残骸を
川に流れないように一箇所へとまとめていた

その一連の光景を、きな子はただただ
ぽかんと口を開けて唖然と見つめていた

森に潜む魔物は、恐ろしいもの
見つかれば命を奪われるもの
きな子の常識ではそうだったのだろう

しかし、目の前の人たちは
襲い来る化け物たちを
まるで「ちょっとした害虫を払う」かのようにあしらい
平然と食事の用意をしている

「きな子、ぼんやりしていないで
 あなたも手伝ってちょうだい」
千草が、広げた敷物の上から手招きをした
「水筒と、コップを出してくれる?」

ハッと我に返ったきな子は、急いで頷くと
小走りで敷物の上へと向かった
バスケットの中から
千草が朝早くから作ってくれた
おにぎりやサンドイッチ、コロッケが次々と並べられていく
そしてその隣には
アズキ特製の「怪魚の丸焼き」が
なんとも場違いな存在感を放って鎮座していた

「さあ、冷めないうちに食べましょう」
千草が笑いかけ、三人と二頭、そして一人の屋敷神の
にぎやかな昼餉が始まった

轟々と落ちる滝の音を背景に
美味しいご飯を頬張る千草の笑顔と
神爺と軽口を叩き合う祥吾の声

きな子は両手でおにぎりを持ち
それを小さくかじりながら
目の前の光景を眩しそうに見つめた

ふと、きな子がじっと自分たちを見つめていることに気づいた祥吾が
お茶を飲みながら首を傾げた
「ん? どうかしたか、きな子」
問われたきな子は、
夢から覚めたようにハッとして
慌ててぶんぶんと首を振った

その様子を見て、酒が回り少し顔を赤くした神爺が
ニヤニヤと笑いながら言う
「なんのことはない
 きな子は、おぬしの強さに驚いておるのじゃよ」
「俺が、強い?」
「そうじゃ。初めてあんな鮮やかな太刀筋を見ればな
 そりゃあ尊敬の念も抱くというものじゃて」

「そうか……初めて見れば、そうか……」
神爺の言葉を反芻した祥吾の瞳が
ふっと、遥かに遠い目になった

『強さ』――
確かに、今の祥吾は迷いなく魔物を一刀両断できる
だが、その脳裏にまざまざと蘇ってきたのは
決してひたむきな修行の成果などではなかった

千草からの笑顔の「食料調達」のお願い
それに逆らえず、泥にまみれ、時には逃げ惑いながら
必死に未知の化け物たちと命がけの死闘を繰り広げてきた

その汗と涙に塗れた苦闘の日々が
祥吾の魂には深く深く刻み込まれていたるのだ

(……俺は、立派な夫という、千草の期待に応えるために
 必死でやってきただけなのだ……)

その、あまりにも哀愁に満ちた祥吾の悲痛な心の声は
神爺の手を借りずとも、無意識のうちに
きな子の心へと流れ込んでいた

祥吾がはっときな子を見る
先ほどの信頼の混じった目つきはどこにもなく
気の毒そうなかわいそうなものを見る目がそこにあった

「ち、違うぞきな子! 今のは違う! 誤解だ!」
思わず身を乗り出して弁明しようとする祥吾と
何事かと不思議そうに首を傾げる千草
そして腹を抱えて笑い転げる神爺

そんなみんなを見て、きな子もクスクスと笑った
祥吾には、それが、
きな子の見せたはじめてのくったくない笑いに見えた