アズキに焼かれた魚は
疾風とアズキが一匹ずつ背負って持って帰ることになった
どちらも嫌がっていたのだが
千草の目の笑っていない笑顔で丁寧にお願いされると
素直に従っていた
「今日の採集― いえ捜索はここまでにしてよろしいでしょうか?」
千草が祥吾に尋ねる
少し悩ましげな様子に
「もう少し続けても良いのだが」
「いえ、まずは食料の確保が第一です
幸い、アズキの火加減がちょうど良く
うまい具合に焼けているようですので」
「そ、そうなのか」
「夕餉にはご用意できるかと」
そう言った千草は、すねている神爺に向かって
「魚という食材が手に入れられる目処が付きましたので
お祝いというわけではありませんが
お酒もお出しすることにいたしましょう」
「なに! 酒とな」
うなずく千草に、神爺は上機嫌になる
「では、屋敷へ戻るとしよう」
祥吾は、あきれながらも頷いた
「そうだな
時間はたっぷりあるのだからな」
一行が屋敷にたどり着いた時
日はまだ大きくは傾いていなかった
昼餉を取ってからの帰路であったが
それほど奧へは進んでいなかったようだ
「この森は、どれぐらいの広さなんだろうな?
先が思いやられるな」
げんなりしたように祥吾がつぶやくと
「捜索はお任せ下さい
旦那様」
元気よく千草が答える
「一人ではだめだ
今日のように、全員でなければ
行くことはならん」
とたんにしょんぼりする千草
「いいな」
「……はい」
念を押すが、返事ははかばかしくない
(独断専行しかねんな しっかり見張らねば)
そう思いながら祥吾は屋敷の門を開けた
焼けた魚は、無事台所まで運ばれた
千草にねぎらわれた疾風とアズキは、厩へと帰っていく
アズキのねぐらは、昨日のうちに疾風の隣の厩に決まっていた
その後の千草の、夕餉へ向けての働きは
まさに獅子奮迅の勢いだった
祥吾は手伝おうとして台所に入ったが
「滅相もございません!
御方が台所に立つなど、早く居間へお戻りください」
と言われ、すごすごと引き下がった
そのまま、屋敷の外に出る
改めて見回してみても
祥吾の家の敷地は笑ってしまうほど広大だった。
重厚な正門の先には、美しく木々が配された庭園と池。
その奥に佇む木造の母屋は、伝統的な和風建築そのもので
玄関を除いた周囲をぐるりと立派な縁側が囲んでいる。
母屋の片側には「食料蔵」と「道具蔵」の白壁が二棟並び
反対側には離れが建っていた
さらに母屋の裏手へと回れば
井戸を中心にして鶏や山羊、馬や牛の家畜小屋や厩が整然と並び
その奥には野菜や薬草が青々と育つ広大な畑と
まだ手つかずの土地が広がっている――。
日本にあるうちは、ただの敷地だけが広大な田舎の屋敷だった。
しかし今、その敷地のすべてが
あの地震と神爺の理不尽な力のせいで
この見知らぬ森を……アズキの住処を強引に占拠するように
突如として出現しているのだ
おまけに、敷地を一歩出れば
四方を密に茂った木々に囲まれた
先も見通せない未知の原生林だった
「時間はたっぷりあるが、先は長そうだ」
祥吾は、ため息と共につぶやいた
厩では、疾風とアズキが自分たちのねぐらで休んでいた
疾風もアズキも同じ広さのねぐらなのだが
アズキはすでにそこが窮屈に見えるほど体が大きくなっていた
「明日には、ここには入れなくなりそうだな」
「大丈夫じゃ」
祥吾の独り言に、神爺が答えた
どうやら、アズキが厩に戻るときその背に乗っていたようだ
「どういうことだ?」
「前に言ったじゃろう
このようにしたのはわしじゃと」
「なるほど、同じようにすれば、また小さくできるのか
すごいな」
「そうじゃろう」
自慢げに胸をはる神爺を見ながら
祥吾の脳裏に、出し抜けに新奇な着想が閃いた。
夕餉では、約束通りお酒がつけられた
湯気の立つ真鍮のチロリで温められた琥珀色のお酒を
千草が、まず祥吾の盃へ
そして、神爺の膳におかれぐい呑みにも注ぐ
大喜びする神爺
「久々の御神酒じゃ、喉が鳴るのう」
夕餉の膳には、例の魚が切り身で出された
「毒味はすんでおります」
千草は当たり前のように言う
繰り返される祥吾のため息
彼女の譲れない部分を強く感じるが
いつかこちらの願いが届くのを信じるしかない
ため息と共に身を口に入れた祥吾は
「これは、うまいな」
驚いたように言う
「そうでございましょう
私も驚きました
今度は、刺身や煮付けにもしてみようかと思っております」
「まて、それは
あの魚を、また、取りに行くということではないか?」
「いけませんでしょうか?」
「いや、魚や肉を手に入れるには、
漁(りょう)や 狩猟は必要だと思ってはいるが
安全な方法を考えてからだ」
「そ、それは、当然でございます」
疑わしいそうな目で、千草を見る祥吾
(ぜったい、出たとこ勝負でやるつもりだったな)
「刺身じゃと! それは是非食さねば」
すでに、もうできあがりつつある神爺は
今にも踊り出さんばかりに上機嫌で
「ささ、奥方も、一杯」
と、千草にも酒を勧めようとする
「恐れ入りますが、私は結構でございます。
この後の片付けなどもありますので」
「奥方は、いける口ではないか」
「いえ、不調法なもので、これまで嗜んだことはございません」
神爺は、それは一大事というふうに、大げさに顔をしかめる
「それはいかんのう
毒味役なら、酒の毒味もあろうよ」
はっとする千草
「千草、酔っ払いの戯れ言を真に受けるのじゃないぞ」
祥吾が言うが、千草は真剣な顔で首を振る
「いえ、屋敷神様のご指摘、至極ごもっともでございます
自分の範疇のみを判断の中心に据えるなど
学者にあるまじき考えでございました」
そう言うと、千草は、祥吾が止める暇もなく
いきなり、使ってなかったぐい飲みに、
残りの酒を入れ、一気に飲み干した
「お、おい千草」
驚く祥吾の前で、千草の顔がみるみるうちに、
少し幼さの残る目元や頬、耳の付け根が、
夕焼けのような朱色に染まっていく
それだけではない
千草の目が変である
えらくとろんとして、いつもの目力がない
今まで祥吾が見たこともない
少し甘えるような
とろけるような微笑みがその唇に浮かんでいた
「大丈夫か? 千草?」
おそるおそる尋ねる祥吾に、
今まで視線をさまよわせていた千草が
祥吾を見る
「旦那様?」
問いかけて、祥吾に手を伸ばし、ペタペタと体を触る
全身を得心いくまで触ると、ほっと安心したように息を吐く
やがて、その手は祥吾の両頬をはさみ、自分の顔をぐっと近づけてくる
祥吾は千草の予想外の行動に固まったままだ
「旦那様だぁ」
幼子のような、その笑顔と口ぶりに、祥吾はふと昔の記憶が脳裏を走る
「旦那様ぁは、どうして、わたしを受け入れてくれるのですか?」
「受け入れる?」
「分からないんです
私のしていることは、旦那様を傷つけていると思うのに
怒らないし、ぶたない」
思わず頬に当てられた千草の手を掴む
「ぶつだと!」
祥吾の剣幕の激しさに、千草が顔をゆがめ
頭をかかえ床につける
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
胸によみがえる痛みを抑えつつ
祥吾はやさしく千草の体をおこし
胸に抱きしめると、頭を撫でた
千草は祥吾の胸元に顔を埋めたまま、小さく息を吐き
満足そうに小さく鼻を鳴らすと、祥吾の胸で
すうすうと心地よさそうな寝息を立て始めた
その顔を見つめる
いつもの柔らかな笑顔
キリッとして強いまなざしをむけてくる顔
それらとは違う、無防備ですべてを預け
安心した子どものような寝顔
祥吾は、額にかかった髪の毛を優しくなで上げながら
この顔がいつも見られることを強く願った
「やれ、やれ
とんだ、愁嘆場だのう」
神爺が、千草の顔をのぞき込みながら言う
「誰のせいだと思ってる」
「そう言うな
わしも奥方が、ああまで酒に弱いとは思わなんだ」
「そうだな、今後は気を――」
言いかけた祥吾の胸の中で、
不意に千草がかっ目を開いたかと思うと
一番近くにいた神爺をがっしり掴んだ
「ち、千草?」
その声には反応せず、じっと握った神爺めざして
千草の口から、出てはならないものが吐き出された
「◆□▲※○★!!」
神爺の口からも、出るはずのない悲鳴がほとばしった
疾風とアズキが一匹ずつ背負って持って帰ることになった
どちらも嫌がっていたのだが
千草の目の笑っていない笑顔で丁寧にお願いされると
素直に従っていた
「今日の採集― いえ捜索はここまでにしてよろしいでしょうか?」
千草が祥吾に尋ねる
少し悩ましげな様子に
「もう少し続けても良いのだが」
「いえ、まずは食料の確保が第一です
幸い、アズキの火加減がちょうど良く
うまい具合に焼けているようですので」
「そ、そうなのか」
「夕餉にはご用意できるかと」
そう言った千草は、すねている神爺に向かって
「魚という食材が手に入れられる目処が付きましたので
お祝いというわけではありませんが
お酒もお出しすることにいたしましょう」
「なに! 酒とな」
うなずく千草に、神爺は上機嫌になる
「では、屋敷へ戻るとしよう」
祥吾は、あきれながらも頷いた
「そうだな
時間はたっぷりあるのだからな」
一行が屋敷にたどり着いた時
日はまだ大きくは傾いていなかった
昼餉を取ってからの帰路であったが
それほど奧へは進んでいなかったようだ
「この森は、どれぐらいの広さなんだろうな?
先が思いやられるな」
げんなりしたように祥吾がつぶやくと
「捜索はお任せ下さい
旦那様」
元気よく千草が答える
「一人ではだめだ
今日のように、全員でなければ
行くことはならん」
とたんにしょんぼりする千草
「いいな」
「……はい」
念を押すが、返事ははかばかしくない
(独断専行しかねんな しっかり見張らねば)
そう思いながら祥吾は屋敷の門を開けた
焼けた魚は、無事台所まで運ばれた
千草にねぎらわれた疾風とアズキは、厩へと帰っていく
アズキのねぐらは、昨日のうちに疾風の隣の厩に決まっていた
その後の千草の、夕餉へ向けての働きは
まさに獅子奮迅の勢いだった
祥吾は手伝おうとして台所に入ったが
「滅相もございません!
御方が台所に立つなど、早く居間へお戻りください」
と言われ、すごすごと引き下がった
そのまま、屋敷の外に出る
改めて見回してみても
祥吾の家の敷地は笑ってしまうほど広大だった。
重厚な正門の先には、美しく木々が配された庭園と池。
その奥に佇む木造の母屋は、伝統的な和風建築そのもので
玄関を除いた周囲をぐるりと立派な縁側が囲んでいる。
母屋の片側には「食料蔵」と「道具蔵」の白壁が二棟並び
反対側には離れが建っていた
さらに母屋の裏手へと回れば
井戸を中心にして鶏や山羊、馬や牛の家畜小屋や厩が整然と並び
その奥には野菜や薬草が青々と育つ広大な畑と
まだ手つかずの土地が広がっている――。
日本にあるうちは、ただの敷地だけが広大な田舎の屋敷だった。
しかし今、その敷地のすべてが
あの地震と神爺の理不尽な力のせいで
この見知らぬ森を……アズキの住処を強引に占拠するように
突如として出現しているのだ
おまけに、敷地を一歩出れば
四方を密に茂った木々に囲まれた
先も見通せない未知の原生林だった
「時間はたっぷりあるが、先は長そうだ」
祥吾は、ため息と共につぶやいた
厩では、疾風とアズキが自分たちのねぐらで休んでいた
疾風もアズキも同じ広さのねぐらなのだが
アズキはすでにそこが窮屈に見えるほど体が大きくなっていた
「明日には、ここには入れなくなりそうだな」
「大丈夫じゃ」
祥吾の独り言に、神爺が答えた
どうやら、アズキが厩に戻るときその背に乗っていたようだ
「どういうことだ?」
「前に言ったじゃろう
このようにしたのはわしじゃと」
「なるほど、同じようにすれば、また小さくできるのか
すごいな」
「そうじゃろう」
自慢げに胸をはる神爺を見ながら
祥吾の脳裏に、出し抜けに新奇な着想が閃いた。
夕餉では、約束通りお酒がつけられた
湯気の立つ真鍮のチロリで温められた琥珀色のお酒を
千草が、まず祥吾の盃へ
そして、神爺の膳におかれぐい呑みにも注ぐ
大喜びする神爺
「久々の御神酒じゃ、喉が鳴るのう」
夕餉の膳には、例の魚が切り身で出された
「毒味はすんでおります」
千草は当たり前のように言う
繰り返される祥吾のため息
彼女の譲れない部分を強く感じるが
いつかこちらの願いが届くのを信じるしかない
ため息と共に身を口に入れた祥吾は
「これは、うまいな」
驚いたように言う
「そうでございましょう
私も驚きました
今度は、刺身や煮付けにもしてみようかと思っております」
「まて、それは
あの魚を、また、取りに行くということではないか?」
「いけませんでしょうか?」
「いや、魚や肉を手に入れるには、
漁(りょう)や 狩猟は必要だと思ってはいるが
安全な方法を考えてからだ」
「そ、それは、当然でございます」
疑わしいそうな目で、千草を見る祥吾
(ぜったい、出たとこ勝負でやるつもりだったな)
「刺身じゃと! それは是非食さねば」
すでに、もうできあがりつつある神爺は
今にも踊り出さんばかりに上機嫌で
「ささ、奥方も、一杯」
と、千草にも酒を勧めようとする
「恐れ入りますが、私は結構でございます。
この後の片付けなどもありますので」
「奥方は、いける口ではないか」
「いえ、不調法なもので、これまで嗜んだことはございません」
神爺は、それは一大事というふうに、大げさに顔をしかめる
「それはいかんのう
毒味役なら、酒の毒味もあろうよ」
はっとする千草
「千草、酔っ払いの戯れ言を真に受けるのじゃないぞ」
祥吾が言うが、千草は真剣な顔で首を振る
「いえ、屋敷神様のご指摘、至極ごもっともでございます
自分の範疇のみを判断の中心に据えるなど
学者にあるまじき考えでございました」
そう言うと、千草は、祥吾が止める暇もなく
いきなり、使ってなかったぐい飲みに、
残りの酒を入れ、一気に飲み干した
「お、おい千草」
驚く祥吾の前で、千草の顔がみるみるうちに、
少し幼さの残る目元や頬、耳の付け根が、
夕焼けのような朱色に染まっていく
それだけではない
千草の目が変である
えらくとろんとして、いつもの目力がない
今まで祥吾が見たこともない
少し甘えるような
とろけるような微笑みがその唇に浮かんでいた
「大丈夫か? 千草?」
おそるおそる尋ねる祥吾に、
今まで視線をさまよわせていた千草が
祥吾を見る
「旦那様?」
問いかけて、祥吾に手を伸ばし、ペタペタと体を触る
全身を得心いくまで触ると、ほっと安心したように息を吐く
やがて、その手は祥吾の両頬をはさみ、自分の顔をぐっと近づけてくる
祥吾は千草の予想外の行動に固まったままだ
「旦那様だぁ」
幼子のような、その笑顔と口ぶりに、祥吾はふと昔の記憶が脳裏を走る
「旦那様ぁは、どうして、わたしを受け入れてくれるのですか?」
「受け入れる?」
「分からないんです
私のしていることは、旦那様を傷つけていると思うのに
怒らないし、ぶたない」
思わず頬に当てられた千草の手を掴む
「ぶつだと!」
祥吾の剣幕の激しさに、千草が顔をゆがめ
頭をかかえ床につける
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
胸によみがえる痛みを抑えつつ
祥吾はやさしく千草の体をおこし
胸に抱きしめると、頭を撫でた
千草は祥吾の胸元に顔を埋めたまま、小さく息を吐き
満足そうに小さく鼻を鳴らすと、祥吾の胸で
すうすうと心地よさそうな寝息を立て始めた
その顔を見つめる
いつもの柔らかな笑顔
キリッとして強いまなざしをむけてくる顔
それらとは違う、無防備ですべてを預け
安心した子どものような寝顔
祥吾は、額にかかった髪の毛を優しくなで上げながら
この顔がいつも見られることを強く願った
「やれ、やれ
とんだ、愁嘆場だのう」
神爺が、千草の顔をのぞき込みながら言う
「誰のせいだと思ってる」
「そう言うな
わしも奥方が、ああまで酒に弱いとは思わなんだ」
「そうだな、今後は気を――」
言いかけた祥吾の胸の中で、
不意に千草がかっ目を開いたかと思うと
一番近くにいた神爺をがっしり掴んだ
「ち、千草?」
その声には反応せず、じっと握った神爺めざして
千草の口から、出てはならないものが吐き出された
「◆□▲※○★!!」
神爺の口からも、出るはずのない悲鳴がほとばしった
