勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語


「角、ですか?」
 優麻が意外なことを聞かれたというように目を瞠るので、司は頷いた。
「病院の屋上で……柚真人を見た時、霊視えたような気がしたの。だからもしかしたらあれ、いわゆる角、なんじゃないかなって思ってて。優麻さんなら、知ってるかなって」
 日曜日の午後の皇邸である。
 優麻は柚真人に用事があって来たようだが、柚真人は今ちょっと神社のことで忙しいという。なのでこれ幸いと、司が優麻を借りていた。いろいろと、訊きたいことがあったのだ。とくに、非時香菓なるものを勢い食べてしまったこともあって。
 居間のテーブルにお茶を出して、優麻にはそこに座ってもらって、話を聞いてもらっている。
「柚真人が、黒いもやっとしたものを追い払ってくれた時にね。額にこう……」
 司は、そう言って自分の額の両端のあたりを優麻に示した。それはおおむね、フィクションのマンガや映画などでよく見る鬼の角的なものがある位置だった。
「あれ、霊気みたいなものだと思うのね。私の目には、青白い光に見えた。一瞬だったんだけど、こういうふうに一対だったから、もしかしたら、って。……鬼だっていうから」
 優麻はそうですねえ、と唸った。
 そうしてわずかに考えたようであったが、
「まあ、肯定して問題はないんでしょう。鬼の角というものは、絵画的な表現などでは物理的に物質的に描かれることもありますが、基本的に現世の人間の肉体を構成する物質とは違うもので出来ていますから、霊気と言われればそうなのかもしれません」
「それって……優麻さんにも、ある?」
「ありますよ。もっとも、今は人に擬態していますし、我々は温和な種族なのであまり人に見せることもありませんが」
「……」
 人に擬態。
 そう聞いて、そういえば、と思った司だ。
「あの。優麻さんて、その……本当に千年生きてるのよ、ね?」
 すると対する優麻は、
「はい」
 まったくなんでもないことのように穏やかに頷いた。
 その返事があまりに端的で素直なものだったので、司は思わず重ねて訊いてしまった。
「じゃあ……柚真人が生まれる前のことも知っていて、柚真人がここに生まれ変わってくることもわかっていて、全部知っていて、私と柚真人の傍にいた……ってことになるよね?」
「はい」
「その間、自分のことをわかってもらおうとは思わなかったの?」
 ただただ黙って傍にいた。
 そんなこと、自分ならできないけど、この人はそういうあり方をしてきたてということなのかな、と思ったのだ。そして、それほどまでに前世からの柚真人との縁がこの人にとっては大事なものだったのかなあ、と。
 優麻は答える。
 「そうですね。私は、柚真人さんがどうして人への転生を選んだのか知っていましたし、そうやって生まれ変わったとしても柚真人さんの行く末を見守りたいというのが望みでしたから。それから、出来ることなら柚真人さんの願ったことが叶うように見届けたい、と」
「……千年も生きて?」
「ええ。というより、どちらかというと、だから生きてこられたといった方がよいかと思いますよ。私のような者は、想いの力で生きてますので。そのうえで、生まれ変わりを得た柚真人さんの運命は、今の柚真人さんのものであって欲しかったのです。そのために、あの人が選んだことでしたから」
「…………優麻さんて」
「はい」
「柚真人と同じようなことをいうのね」
 そう、司は考えた。
 いま、優麻から聞かされたことは、先日、司が真人と、柚真人が選んだこの先の未来について言い争った時に聞かされたことと似ていたからだ。
「柚真人さんは、司さんにそのようなことをおっしゃいましたか?」
 こく、と司がまた頭を縦に動かすと、優麻はやわらかい声音で、
「そうですか」
 となぜか満足そうに見える反応をした。
「千年生きるって……どんな感じ?」
「どんな……と言われますと、そうですねえ。我々はもともとそのように生まれついて生きていますので、千年、と言われても、とくに何も感じないのですよ。感覚としていうなら、人より樹木などに近い……ようなものなのかもしれません。ですから、司さんや、柚真人さんとは、感覚として単純に比較できるものでもないのかもしれませんね」
 優麻の答えからして、優麻は司が訊きたいと思ったことが何であるかをちゃんと察してくれているんだろうなと思った。
 続けて、
「ですが、これからは私もずっとお供できますので、それがおふたりの助けになればよいとは思いますよ」
 とも言ってくれたのも、だからだろう。
「柚真人さんが人として生きている限り、私はただあなたがたの傍にいられればよく、なにも言うつもりもありませんでした。司さんは大変なことに巻き込まれてしまいましたが、それが結果として、私にすべてを告白する機会をくれたともいえます。一種の、怪我の功名でしょうねえ」
 そうか、と司はなんとなく胸にすとんと落ち着くものを感じた。優麻が本当の意味でどういう存在なのかはまだいまいちよくわからない。だが、優麻が昔から妙に頼れる存在だった理由はわかった気がした。
 それから、だったら――と、もうひとつ思い至ることがある。
「……あの。前世って、私にはよくわからないんだけど」
「はい」
「昔の柚真人ってどんなだったの? それも、優麻さんは知ってるってことよね?」
 鬼だった、ということは理解した。だから、あんまりよろしい姿は、司も想像していなかった。ただ、そうはいってもやっぱり気になるものは気になるではないか。
 優麻いわく、
「現在の柚真人さんは、記憶を取り戻してらっしゃいます。なので性格はあのままです。ほぼ」
「そうなの???」
「はい。ただ――そうはいっても、本性は、鬼ですから」
「ですから?」
「――しかもあの方は、かつてその頂点にあり、鬼に属するすべての怪異を統べていた。その力に、逆らえる者はありませんでした。基本的に、欲の赴くまま、好き勝手に生きてきた方です。なのであまりそこは掘り下げない方がよろしいかと」
「……」
「ただ、巫女に出会ってからのあの方は、まるで別人でしたね。どちらかというと、今の柚真人さんはこちらに近いでしょう。もちろん鬼としても何度か巫女と刃を交えることはありましたが、おそらくあの方のほうは出会ってすぐ、かの巫女に惹かれたのでしょう。それもまさに運命という感じではありましたよ」
「その巫女、っていうのは……」
「もちろん、司さん。あなたです」
 司は司で、そこは首をちょっと傾げたくなった。
「……『私』、ではないと思うな……。そう言われても、なにも、思い出せることもないし。なにより柚真人と物理でケンカ出来る気も全然しないし。……刃を交えた、ってそういうことよね?」
「そうですね。でも、あなたが生まれ変わったかの巫女であることには違いありませんよ」
「……」
 柚真人や優麻にとってはそうなんだろうなあ、と司は思った。でも、自分にとっては前世は自分とは切り離されている存在なので、どうも同じようには認識できない。
「その……柚真人が昔好きになった巫女っていうのは、どんな人だったの?」
 自分とは別人、という認識があるので、実は少し嫉妬に似たものを感じた司だった。それに、柚真人は、司がこの先もひとりで生きるのかと訊いたときに、司がまた生まれ変わるならそれでいいというようなことを言った。ということはすなわち、柚真人にとって司が司であることはそれほど重要なことではないのだろうか、とも思ってしまうのだ。柚真人が好きだというのは、あくまでも最初に恋をしたという、その巫女なのではないか、と。
「優しく、清らかで、美しくて、強い方でしたよ」
 と、優麻は答えた。
 そりゃ、退魔の剣で当代最強の鬼と渡り合ったというのであれば、とんでもなく強いだろう。霊力的にも、物理的な武術力としても。そこからして、司には想像もつかない。鬼と剣技で互角に渡り合える巫女ってどんなだ。司の浅い知識でも、鬼がなにかすごく禍々しく強いことは知っているのに。
「……私とは、全然違う気がする」
「そこは、生きた時代も、生き方も、まったく違いますから、致し方ないことでしょう。前世のすべてをそのまま取り戻してしまった柚真人さんとは違いますよ」
 それはそうだろう。
 でも。柚真人が最初に恋をした、それはどんな人だったのかな、と司も思わずにはいられない。
 自分とは全然違う、というのであれば。今の自分でなくても良い、と柚真人が言い切れるのならば、それはやっぱり、最初に恋をした人に、自分は敵わないということになるのかな、と思えてしまう。
 その人に、しばらく思いを馳せてから。
「……柚真人って。強くてかっこいい女の人、好きそうだなあ……」
 そう言ったら、
「……否定はしません」
 と、優麻が応じた。
「それも、あの人がかの巫女に惹かれた理由のひとつでしょう」

      ☆

「はあ?」
 聞き捨てならないことを言われて、柚真人は思わず相手を二度見した。
 自分の仕事を片付けて、優麻のところへやってきて、である。かわりに、司は神社の方へ行かせた。
「どうも、昔のあなたが添い遂げたいと願った相手に、興味と、やきもちのような感情があるようです」
「…………」
 何を勝手に話してくれてんだ何を、と柚真人は思う。
 無言で相手をかるく睨むが、優麻は少しも悪びれた様子を見せなかった。それどころか、むしろ今柚真人が置かれている状況を、楽しんでいるようなふしすらある。
「ですから、私が知る限りのことは司さんにお伝えしておきました。あなたが愛した剣の巫女は、とても強くて美しい方でした、と」
「…………」
 いらんことをしやがって、内心で舌打ちをしたくなる。
 だが、優麻が意図していることがわからなくもないので、柚真人はさらに苦々しい。本当に、余計なことをしてくれる。
「あいつはあいつだ。俺はそんなことであいつを煩わせたいとは思ってない。煩わされる必要もないこどだが」
 柚真人はふんと鼻を鳴らした。
 それでも、相手は柚真人に何かを促すように、比較的穏やかな笑顔を浮かべている。
 わかっている、と柚真人はその苦々しさを噛み締める。わざわざ司にそんな話をしておいて――煩わせたくないのならなんとかしろというのだろう。
 必要ならば、言われなくともそうするさ。
 千年生きているくせに、そんなつまらないこと、察してくれよな。そう思うも、いや、違うのか。千年いきているからこその、老獪さってやつなのか。とも思う。
 お前は俺の味方じゃないのかよ、と柚真人は胸の奥で嘆息した。
 もし、柚真人がその問いを相手に向けたら相手は確実にこう答えたろう――だからですよ、と。