勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

04
 

 柚真人を圧しとどめて、部屋を出る。
 そのまま向かったのは神社の境内にある社殿のうちの本殿である。
 本殿は、御神体を祀る場所で、皇神社でいえばご神刀のことをさす。これは長らく行方不明になっていて司と一緒に戻ってきたと聞いていたが、司の目的は別だ。
 たしか先日、病院で、柚真人がいっていた。
 じゃああれは本殿にしばらく置いておくか、というようなことを。
 柚真人は本物とは思っていなかったようだが、あれが、もし、『本物』だったら。
 わからない。でも試す価値はある。
 本殿の中に入ると、確かにあった。あの、蜜柑みたいなものが相変わらずついている、緑の葉を茂らせた枝。司はそこから実をもぎ取ると、それを握りしめたまま、居間まで息を切らせてもどってきた。
「柚真人!」
 柚真人は司に言われた通りにその場にいてくれた。
 ちょっと息を弾ませて戻ってきた司に、柚真人は怪訝そうな顔をした。その顔を見返しながら、居間と廊下の襖のところに立った司は、、自分が手にしたものを柚真人に見せた。
「これ!」
 一瞬、柚真人が、さらに怪訝そうに、なに? というような眉のひそめ方をした。
 司は見せた後で、それを、そのまま、自分の口に。
 入れるのと、たぶんそれが何であるか柚真人が気づくのは同時だった。
 柚真人がはっとした顔になったが、司は構わず、口に入れたものに歯を立てた。蜜柑の類を皮ごと食べたことはなかったけれど、金柑なんかはこのままジャムとかお菓子とかになってるのを見たことがある。だからこのまま食べられるはずだ。
 がり、とかじると、甘い味がした。それから、いつかどこかで嗅いだことのあるような、酸味と甘みと懐かしさの混じったような匂いがした。夢の匂いだ。司は思った。この実、いつかみた夢のような匂いと味がする。
 ねえこれ、本当に本物なのかな。
 ときじくのかぐのこのみ、だっけ。
 食べたら、不老不死になる、とかって、言っていたよね。
 私だってありえないと思うけど。
 これが、もし、本物なら。
 本物であって。
 お願い。
 感じた甘味と酸味は、ふしぎな刺激で、司の五感を満たしていった。
 そして。
 柚真人のそんなかお、初めてみる。
 すごい驚愕。
 そん、なに。
 慌てなく、て、も。
 そこで、司の意識は途切れた。


 気が付いた時、司は自分の部屋の自分の布団で寝ていた。
 鼻腔の奥には、なにか甘酸っぱい香りがまだ残っていて。
 あれ。
 私、どうしたんだっけ、と思う。
 その時、
「――こっっっの、バカ!!!」
 横から、しかもすぐ傍からそういう声がした。
「!?」
 と思って意識をそちらに向けると、柚真人が布団の傍に膝をついて、自分の顔を覗き込んでいる。
「――わたし」
「なんっっっ――ってことをしたんだ、このバカ!」
 バカってもう一回言われた。
 どうせバカですよ柚真人に比べたら。
 そう思った。
 それから、思い出す。
 ああ。そうだ。
 私、さっき本殿から柚真人が『非時香菓(トキジクノカグノコノミ)』かもって言ってた実をもってきて、柚真人の前で食べたんだっけ。
 そうしたら気が遠くなって。
「――効いたかな」
「効いた?」
「あれ。『非時香菓(トキジクノカグノコノミ)』。……だったら私も、不老不死になれるんでしょ。……なれた?」
「――……おまえ。マジであれを……『非時香菓』を食ったのか!???」
「うん。本殿にあったのが、本物なら、だけど」
「っっっ……っっ…………」
「本物だと、いいんだけど」
「いいわけないだろ!」
「なんでよ! だって、そうしたら柚真人はひとりにならないでしょ! ……ずっと、一緒にいられるでしょ」
「っっっ……おま……おまえってやつは……なんでそう……」
「なんでって……」
 司は、上半身を起こした。
「一緒にいるくらい、いいでしょ」
「……」
「ずっと兄妹でもいいから」
「……」
「耐えられないよ。誰もいなくなったのに、柚真人がずっとここにひとりでいるなんて。考えられないよ。ムリだよ」
「……ひとりになるのは、お前じゃない。俺だぞ」
「わかってる! ……でも、嫌だったんだもの。どうしても」
 まあ、柚真人なら怒るかな、ともほんのちょっとは思いはしたのだ。
「お前、わかってるのか。……不老、ほぼ不死、っていうのがどういうことか」
「わかってるよ。たぶんだけど。だから、柚真人だけ置いておくのはイヤだと思ったんだもん」
「イヤだと思ったって、お前、そんなこどものワガママみたいに」
 珍しい懊悩と狼狽の色だ、と司は思った。
 兄がこういう悩ましげな声を出したのは、司が兄の料理に勝手に手を加えたり台所を慣れない調理でぐちゃぐちゃにしたときぐらいである。呆れと、困惑を、徒労感とをない交ぜにしたような。
 ただ、あれが本物なのかどうかわからないし、今すぐには効果があったのかどうかもわからないだろう。
 だから柚真人を見返して、
「じゃあこうして。もし、これが本物の『非時香菓』で、でも柚真人がそれでも私についてきちゃダメだっていうのなら、柚真人が、どうにかして私を――」
「!」
 たぶんその先を、柚真人は察した。
 司は、言葉の先を塞ぐように柚真人にいきなり抱き寄せられた。
「やめろ!!!」
 柚真人は司の頭の後に手をまわし、自分の身体に司の顔を押しつけるようにしながら、
「――やめろ。……勢いでも。その先は、俺がお前の口から二度と聞きたくない言葉だ。――頼むから止めてくれ」
 絞り出すような声だと思った。苦しそうな。
 司は驚きの方が先に立ち、それから、柚真人の力が強すぎて痛い、とも思ったのだが。
「お前に、まだ言ってないことがある。俺は、かつて。前世でお前を手にかけた。やむおえないこととはいえ、俺はお前を一度手にかけている。あんなこと、二度はできないっ」
「――……」
「あれは本物なんだよ。この世のものではない霊果だ。俺がこの世の理から外れているからわかる。お前が非時香菓(トキジクノカグノコノミ)といったときは俺だってまさかとは思ったし、なんでそんなものがと思った。意味があるのかと思って祭壇に備え置いたが、……クソっ、さっさと捨てておけばよかった」
「――わかるの? 本物って」
「ああ」
「――本物、なの?」
「ああ」
「なら――――――――よかった。正しかった」
「あ?」
「――だって。あれは、私の望むように使え、っていわれたの」
「……は?」
「――」
「司、いわれたって何だ。そもそもお前がどうして『非時香菓』なんか」
「――? 私、いま、何か言った?」
「あ? ……今自分で、使えといわれたと言ったろ」
「――わからない。ただ、よかった、とは思ったし、今、言ったよ」
「――……」
「本物だったなら、柚真人をおいてかなくてすむ……んでしょう、私?」
 柚真人は答えなかったが、しばらくして、柚真人の腕の力がゆっくりゆるんだ。
 司から腕をほどいた柚真人は、その手をそのままぺたっと畳につき、はぁ――――と深々と息を吐いた。
 それから、静かに抑えたところのある声で、
「…………わかった。わかったよ、ひとまずお前に降参する」
 それこそ何か、腹を括ったように柚真人が発した。
「お前がそういってくれるなら……ここにいてくれ。むしろ目を離すわけにいかない」
 やっとそういってくれたので、司はその続きを待った。
 ところが柚真人は、脱力したように大きく肩を落とすと、また、溜息をつくみたいに息を吐く。
「……それだけ?」
 柚真人が何を思ったのか、どういう感情を持ったのか、本当のところが読めなさすぎる反応だな、と司は思ったのだ。それとも、言いたいことを抑えた、といったところだろうか。そちらのほうが、兄なら、ありうる気もしなくもない。
「それだけって?」
 柚真人からはそう訊き返されて、司は自分の目の前にある兄のややうなだれ気味な、さらさらの黒髪に覆われた頭頂部を見た。
「だって。……いつもなら、もうちょっと何か言うでしょう。もっとこう、……小言、みたいな?」
「……」
「……司」
「うん?」
「……さすがに俺も、今はちょっと内心だいぶん取り乱してる」
 司からしてみると取り乱しているようには見えなかったものの、内心とも柚真人は言ったし、それならそれで柚真人らしい反応だったのかもしれない。
「というか、お前、あれを食って、どこか、不調はないんだな?」
「……体調、ということ? それは、うん。大丈夫だと思う。いまは。なんともないかな。ただ蜜柑を食べたっていう感じ。香りが、強かったけど」
「…………そうか……」
 ならいい、と絞り出すようにいうと、柚真人はそこで立ち上がった。
「――何かあったらすぐに呼ぶこと。夜中でも。俺は俺の部屋にいるから。時々は、様子も見に来る」
「――」
 そこには、たぶん今日はそのまま部屋にいなさいできれば寝ていなさい、何か急変があるかもしれないから、ということを含んでいるんだろう。
 司は頷き、柚真人が部屋を出て行くのを見ていた。
 皇邸は純和風の作りなので、部屋はどこも襖と畳と障子で出来ている。司の部屋も、襖で廊下と仕切られている。その襖が、たん、と軽く静かな音を立てて閉まると、司は部屋にひとりになった。

      ☆

 その後で、廊下を踏みしていく柚真人の足音が遠ざかる。
 考えてみると、確かに皇の家は神社の社家としてずっとここに在り続けているから、これ自体が、古い、家なのだ。遠い昔から自分たちへと受け継がれてきた、異能の血脈と同じぶんだけ。
 ずっと、か。
 それがどんな感じなのかは、16歳の自分には正直なところをいえばかなり想像しがたい。ただただ勢いであの実を食べてしまったけれど、それは別にしようと思ってしたことだからいいのだけれど、実際、この先、ずっと、というのはどういう感じなのかなあ、と司はぼんやり考えた。
 ひとりで生きよう、なんて。
 柚真人はどんな気持ちで考え、決めたんだろう。
 そういえば――子供のころから自分たちの傍にいて、本人も皇に連なる一族の家に生まれたことになっているけれど、あの人。優麻はもともとから人外の生まれで、前世から柚真人につき従ってきたという話だった。
 だったら、優麻にこれからいろいろ訊いてみようか。
 ――というか、だったら優麻さんて、本当のところは何歳ぐらいなんだろう。
 ――千とか、千五百とか……? 
 そんなことを司は思った。やっぱり茫洋として想像はつかない。
 まあ、自分であの実を食べてしまえばと思って食べたわけではあるけれど、実際のところ、不老不死なんて、本当にありえるのかな、という現象のひとつだ。
 兄のあの姿と、その他のイトコたちのきちんと歳を重ねた姿が目の前になかったら、それは、司の中ではきっともっと現実味の無い単語のひとつであったろう。
 老いない死なないとなれば、確かに、たぶん困ることも大変なこともあるはずだ。それも、16歳の経験と思考では具体的には思いつかなかったけれど。
 兄がいるなら――そもそも兄がそうやってひとりで生きようとしていたのであれば――きっと大丈夫なんだろう、というのが、司の肚の括り方だった。