勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

02
 
      ☆
 
 夕暮れる車窓を、景色が流れていく。
 その景色を見るともなしに眺めながら、司は今日の出来事と今日知らされたことを反芻していた。
 頭の中は、正直パンクしそうである。
 知らなかった。それにしたって、知らないことが多すぎた。
 そもそも自分は、ちょっと変わった神社の生まれで、ちょっとだけ他の人より強い霊感の持ち主で、兄は神社の仕事をしているけど、自分にはそういう適性はない。自分の人生なんて、そんなようのものだと思っていたのだ。
 なのに――。
 
『貴女は、皇の鬼を殺すために産み落とされた巫女でした』

 それが、あの場所で司が聞かされた最初の言葉だった。
 まったく意味がわからなかった。ただなにか、とても禍々しく物騒な空気を孕んだ言葉が自分に向けられたということは感じた。
 その後、その意味がどういうことであるのか。自分が何者であるのか。自分が生まれてから16歳になるまでにどんな出来事があり、その後自分が失った二十余年の間になにがあったのか。それらのすべてを教えられた。
 兄の柚真人が、それらのことを語るについて、自分には権限がないといった理由もわかった。司が皇の家にまつわることだと認識していたのは、もっと大きな機構の一部にすぎなかったのだ。その中でも兄が最重要的な位置にあること、自分もまたその近くに位置づけられる存在であることも、わかったけれど。
 皇の鬼を殺すために産み落とされた。
 自分がそういうものであるということは、司にとっては少なくなからず衝撃であった。そして兄がその皇の鬼と呼ばれている存在に他ならないということも。
 もっとも、それは司の生まれに関することだけの話ではあり、司をそのように生めと図ったのは、皇家の先々代の当主、つまりは司の皇方の祖父であったらしい。しかし司の母である皇朔子(さくこ)は、司をそのように育てることを拒み、また別の計画を練った。司は、そのように幾重にも張り巡らされた思惑の上に生まれ、16歳になるまで、生きたのだ。本人には、何も知らされることがないままに。
 そもそもの話は、皇の家に、柚真人という男児が生まれたことにはじまる。柚真人は、当時の皇家の次男長女として生まれた双子の間に出来た子供だった。そして、皇の家を含めた異能・退魔の力を引き継いできた者たちの間で語り継がれてきた鬼の生まれ変わりであった。自らの家に鬼が生まれたことを恐れた皇の先々代は、語られてきた伝説になぞらえ、草薙の巫女を求めた。その当時、時代の流れにより没落しかかっていた草薙の家は、皇の家に婿を差し出した。その先に生まれたのが司だ。ゆえに司は、皇司であると同時に草薙司でもあった。司と柚真人は、どちらもが実父と思っていた皇和季人に引き取られた子供であり、母親だけを同じくする半血の兄妹だったのだ。
 司には、幼い頃の記憶があまりない。そのことを特に気にしたことは無かったのだが、それも、その後皇の家で起きた出来事と関連のあることだった。鬼と巫女。その二人を、殺し合うのではなく抑制しあう関係に育てようとした皇朔子(さくこ)と草薙勇(いさみ)の二人は、子供たちを幼いころから距離近く育てた。これが、二人が和季人(おきと)に引き取られる前までのことで、司の中にはほとんど残っていない記憶だ。そのまま朔子と勇の望み通りに二人が育てば、話はまた違う方向へ転んだはずだった。しかし朔子に異様な執着を持ち続けていた朔子の双子の兄が、それを許さなかった。双子の妹を無理やり孕ませたことで一族から放逐されたはずの朔子の兄が、ある日、皇の家に戻ってきた。そうして、事件が起こった。
 朔子と勇は朔子の兄に襲われ、勇が応戦して、三人ともがその日、その場で亡くなった。現場には当時ちょうど祭礼のために皇の家に居合わせた笄(こうがい)優麻(ゆうま)と皇和季人(おきと)の長男・卓史(たくみ)がおり、そう報告を上げたのはその二人だった。
 その後、司と柚真人は兄妹として、皇和季人の籍に入り、生活を始めた。そのあたりの記憶が無いのは、二人がまだ幼かったせいと、事件後のケアに精神科医がかかわったためである。ところがこの精神科医のケアというのがまた曲者で、司と柚真人の命運は、さらに捻じ曲げられることになる。

『このとき、鬼の生まれ変わりであった皇の次代当主には、ある呪いが秘密裏に用いられました。そして彼は、鬼であった前世の記憶を恢復することになりました』

 皇の双子の事件の契機に、皇の一族から造反者が出た。その者が、幼かった皇柚真人に施した呪いにより、やがて柚真人は前世の記憶を取り戻すことになる。その時、前世を鬼として生きた因果がもととなり、柚真人はかつての眷属たちの襲撃を受け、その場に居合わせた司が消えた。司はその時、神社の神刀に守られ匿われたものと思われたが、そこから二十余年のあまり消息不明となり、――今に、至る。

『ただ、貴女自身にも問題はありました。本来、皇の鬼を討てるだけの力を備えて生まれた貴女は、貴方自身のうちに恐ろしい力を持っている。貴女はそれを、無自覚に暴走させました。それも二度。一度目は、貴女のご両親が亡くなった時。そして二度目は、皇の現当主が鬼として襲われた時です。そしてそのまま、貴女は消えた。そこで我々は、貴女をこうして検分しなければならなくなりました。果たしてこちらへ戻ってきた貴女が、正気でいるのか。自分の力をきちんと扱えるのか、そうではないのか』
 
 とはいえそれは、今日、司をこの場に呼び出した、皇の社をも包摂する、異能・退魔の力を引き継いできた者たちを統率するこの国全体に及ぶ――勾玉(みすまる)の血脈(ち)と呼ばれる――機構の事情だ。他方、皇の社を引き継ぎながら鬼の前世も引き継ぐことになった皇の現当主の望みは、あくまでも、己の社の巫女として、家族として、司を取り戻すこと。
 司が無事であるということと、戻る可能性があるということは、勾玉の血脈に名を連ねている、別の霊能者の未来予知によって確約されていた。ただ、それがいつになるか、どうすれば司が取り戻せるのかということはわからなかった。一年先か、十年先か、それとも、もっとか。そこで、皇の現当主は、ひとつの策を考え実行した。己の社の巫女を現世にて待ち続けるために、前世還りすることを選び、人を捨て、鬼として生きることを選んだ。そうすれば――人の寿命、人の理に縛られることがなくなる。不老となり、長寿あるいは不死となり、人とは違った世界に属する者となる。
 むろん、鬼は人と相いれない。また、勾玉の血脈自体がそもそも人が鬼や怪異を退けるために組織されてきたものであり、その最大の仇敵となる鬼となれば、組織に受け入れられるわけもない。従って、その選択については、組織全体が荒れた。許容すべきという者もあれば、許されないという者もあった。そこで鬼に戻ることを選んだ皇の現当主は、自ら、能力に制約を課すことを申し出た。鬼に戻るとはいっても、これは我が社の巫女のため。あくまでも宮司は宮司である。ゆえに皇の社の主として、人の宮司として使役できる以上の力は、使わない。もしその約定を自分が違えた時は、組織のしたいように処分してくれてかまわない、と。

『貴女の兄は、それだけの犠牲を払い、貴女を取り戻してくれた。そういう意味では、貴女のご両親の考えが活きたといえるのかもしれません』

 そして司は、今後、巫として生きるか、その命運を放棄するか、という選択肢を突きつけられた。
 草薙の巫女はこの国に神代より継承されてきた退魔の血筋の中でも最強の巫である。その身は、退魔の剣の宿主であり、存在そのものが象徴的でさえある。ゆえに、出来れば今後の道として前者を選んで欲しい、と。
 どうしても出来ないというのであれば、後者を選択できないわけではない。が、もしもそうしたいのであれば、今後、司はこちらの世界に関わることを許されなくなる。裡にある力が重大重要でありすぎるためだ。一般人として生きるために必要なものはすべて手配されるが、能力は封印されることになる。

『――最後に。私は、貴女の叔母です。しかし私は草薙の家に生まれながら巫として必要な能力を持っていなかったため、この組織に職を得ました。ですから今後、なにかあれば、できるかぎり貴女の後援にあたります。私からは、こういいましょう。よく、戻ってくれました』


 司は、嘆息した。
 衝撃だったのは、自分があまりにもなにも知らなかったことと、兄の柚真人がそれらの全てを知りつつ、自分の存在を許していたこと。それと、兄にそのような前世があり、今の兄は人というよりは前世の鬼そのものに立ち戻ったに等しい存在であるということ。
 不老にしてほぼ不死。人の理を外れた存在。
 兄が、現在あの姿であるのは、そういうことだったのだ。

 ――鬼。

 兄が。
 そして今、自分の隣にいるこの人――も。
 混乱を通り越して情報処理の限界を越え、ぽかんと真っ白になっている。そういってもいいくらいの頭で、司は思った。この人が実は一番謎である。昔から、何でも知っていて、そのうえ何でも知っていそうだなと思っていた。
「――ねえ。……優麻、さんは」
 車窓を眺めながら、つい、ぽろっと洩れた。
 けれどもその先が言葉にならなくて、司はそのまま口を噤んでしまった。
 しばらく、無音だったのは、優麻が続きを待ってくれたからだろう。だが、司が黙ってしまったと察した優麻は、フロントガラスの方向を見ながらいった。
「私は、ただずっとあの方の傍にいただけですよ。それ以上の存在でも、それ以下の存在でもありません」
 また謎めいたことを言う。でもそれが事実なんだろうな、と司は思った。この人は、嘘はつかない。はぐらかしたり、話をまかれたりはするけれど――ということを司は知っていた。
「……人ではないの?」
 少し間を置いてから控えめに尋ねると、
「私は、柚真人さんの同族です。あの方の、前世からの付き合いです。……いろいろ、話せば長くなります」
 そういうことか。
 司は、優麻の答えを受け入れた。
 ということは、優麻も、すべてを最初から知っていたのだろう。というよりも、優麻こそが最初から何もかもを知っていたということになるのかもしれない。いかにもそういう感じがする。
 でもその先は、今の司の思考にはもう手に余る状態で――。
「……そうなんだ」
 とだけ、司は返した。