01
☆
「あっさりここまで来られたわね。魂に一片の穢れもなく呪痕もなし。凄まじいこと」
そう語るのは、たったいま草薙の巫女――であり、皇の巫女でもある少女を、送り出してきた鬼の姫君である。
「それに、うまくしてやられたようだわ。私たちが危惧していたことは、あの子の中から、記憶ごと、ごっそりと持っていかれてる」
「――こうなることが、わかっていたのね」
問うのは、漣の鎮護官。
この問答を聴く者は、その場に他にもいた。今日は、多くの鎮護官がこの施設に集められた。それが召喚の儀というものだ。
対する鬼の姫君――ときおりはそう呼ばれることもあるが、彼女の人としての名前は、高徳寺桜である――は、問われて、うっすらと笑んだ。
「まあ、そうともいうし、そうでもないとも言えるわ。ただ、あの子はいまのところはもう大丈夫よ。それは、わかったでしょう」
「――そうね」
とはいえ。
『大丈夫』――それが、どこまでのどういう状態をさしていうのかは、また別の異論の余地があるだろう。ここから立ち去ることを許された少女は、そんなふうに漣の目には見えていた。
「まあ、すこし予想外だったところもあるにはあるけれど。だから私たちの能力は完璧ではないのよ」
「……予想外、というと」
「私たちが想定していたより、多くの記憶を、彼女は失っていたわ。これまでのように、封印して濁した――というわけではなく、完全にね。魂の一部を削って剥いだみたいに、よ。だから、しばらくは自分の置かれた状況に対する危機感とか、恐怖心、警戒心が薄い状態が続くでしょうね」
「……力は、使える。でもここまでに積み重ねてきた巫としての経験が、いったん白紙になった、といことね」
「そういうこと。だから、彼女がこれから正式に勾玉の血脈に名を連ねることになるのなら、この先、少し、手ほどきの必要があるかもしれないわ」
「それは……皇のあるじにまかせておいてもいいものかしら」
「さあ。どうかしら。でも、もし、手に余るようなら、私が面倒をみる用意があるわ。……その他の、我々が危惧していたようなことの可能性は消えた。――まったく、お見事よ。皇の御当主が、意地でも妹を守るために、そこまでやるとは思わなかった」
桜の言葉は、その場に居合わせた鎮護官たちに言い聞かせるようでもあり、どこか遠くへなげかける賛辞のようでもあった。
その日の審議式は桜のその言をもって終わりを告げられたことになり、その場にいた鎮護官たちも散っていく。
桜と漣にとっては、なんとかことなきを得た。
そういっても良かったかもしれない。
ただ、そんな鎮護官たちの姿を見つつ、すぐ傍にいた漣環にだけ聞こえるように、桜が付言したことがある。
密かに、耳打ちするように、
「とはいえ……実は、まだ、確定していないこともあるの。というか――いつでも、確定的なことなど知りようもなく、運命なんていうものは、転がり続けているものだけど」
「まだ? それは、皇のことについて?」
漣は、囁きを受けながら眉をひそめた。
だが、聞きかえすまでもないことだったろう。
「でもまあ、あの御当主なら、間違えないでくれると思うけれど」
答える言葉は、桜の願いでもある。
運命は。
確定的なことなど知りようもなく。
転がり続ける。
その幾多の分岐点を、自身の千里眼でもって捉え、間違えるな、と。彼に示した。
その道筋の分岐点は、ここから先にこそあるのである。
それゆえ。ここから、と桜は託し――皇の妹巫女の、うなだれた背と、後ろ姿を、脳裏に思い描いた。
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「あっさりここまで来られたわね。魂に一片の穢れもなく呪痕もなし。凄まじいこと」
そう語るのは、たったいま草薙の巫女――であり、皇の巫女でもある少女を、送り出してきた鬼の姫君である。
「それに、うまくしてやられたようだわ。私たちが危惧していたことは、あの子の中から、記憶ごと、ごっそりと持っていかれてる」
「――こうなることが、わかっていたのね」
問うのは、漣の鎮護官。
この問答を聴く者は、その場に他にもいた。今日は、多くの鎮護官がこの施設に集められた。それが召喚の儀というものだ。
対する鬼の姫君――ときおりはそう呼ばれることもあるが、彼女の人としての名前は、高徳寺桜である――は、問われて、うっすらと笑んだ。
「まあ、そうともいうし、そうでもないとも言えるわ。ただ、あの子はいまのところはもう大丈夫よ。それは、わかったでしょう」
「――そうね」
とはいえ。
『大丈夫』――それが、どこまでのどういう状態をさしていうのかは、また別の異論の余地があるだろう。ここから立ち去ることを許された少女は、そんなふうに漣の目には見えていた。
「まあ、すこし予想外だったところもあるにはあるけれど。だから私たちの能力は完璧ではないのよ」
「……予想外、というと」
「私たちが想定していたより、多くの記憶を、彼女は失っていたわ。これまでのように、封印して濁した――というわけではなく、完全にね。魂の一部を削って剥いだみたいに、よ。だから、しばらくは自分の置かれた状況に対する危機感とか、恐怖心、警戒心が薄い状態が続くでしょうね」
「……力は、使える。でもここまでに積み重ねてきた巫としての経験が、いったん白紙になった、といことね」
「そういうこと。だから、彼女がこれから正式に勾玉の血脈に名を連ねることになるのなら、この先、少し、手ほどきの必要があるかもしれないわ」
「それは……皇のあるじにまかせておいてもいいものかしら」
「さあ。どうかしら。でも、もし、手に余るようなら、私が面倒をみる用意があるわ。……その他の、我々が危惧していたようなことの可能性は消えた。――まったく、お見事よ。皇の御当主が、意地でも妹を守るために、そこまでやるとは思わなかった」
桜の言葉は、その場に居合わせた鎮護官たちに言い聞かせるようでもあり、どこか遠くへなげかける賛辞のようでもあった。
その日の審議式は桜のその言をもって終わりを告げられたことになり、その場にいた鎮護官たちも散っていく。
桜と漣にとっては、なんとかことなきを得た。
そういっても良かったかもしれない。
ただ、そんな鎮護官たちの姿を見つつ、すぐ傍にいた漣環にだけ聞こえるように、桜が付言したことがある。
密かに、耳打ちするように、
「とはいえ……実は、まだ、確定していないこともあるの。というか――いつでも、確定的なことなど知りようもなく、運命なんていうものは、転がり続けているものだけど」
「まだ? それは、皇のことについて?」
漣は、囁きを受けながら眉をひそめた。
だが、聞きかえすまでもないことだったろう。
「でもまあ、あの御当主なら、間違えないでくれると思うけれど」
答える言葉は、桜の願いでもある。
運命は。
確定的なことなど知りようもなく。
転がり続ける。
その幾多の分岐点を、自身の千里眼でもって捉え、間違えるな、と。彼に示した。
その道筋の分岐点は、ここから先にこそあるのである。
それゆえ。ここから、と桜は託し――皇の妹巫女の、うなだれた背と、後ろ姿を、脳裏に思い描いた。

