勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

08
  
     ☆

 翌日、結局のところ、優麻が車で司を迎えにきた。
 優麻もまた、歳を取ったはずだと思っていたが、どちらかというと柚真人寄りの老けてなささでは? と司は思った。
 優麻に確認してみると、優麻は自分は柚真人と同じなのだと教えてくれた。ただ、やはり柚真人と同じように、
「そのあたりの事情は少し複雑でして。いっぺんにお話しすると、司さんが混乱すると柚真人さんは考えたのでしょう。でもそのうち、いろいろご理解いただけることになるのではないかと思いますよ。今は、無事におうちに戻れたことだけ、喜んでいただいて良いと思います」
 そう言われてしまった。
 司は、じゃあそのうちわかることにはなるんだろう、と納得をしておくことにした。
 とはいえ司はとくに聞き分けの良い性分というわけでもない。ただ、柚真人や優麻がこういう物言いをする時には、あとは司がいくら押しても得られる答えはないと知っている。それに、こういうふうになにかはぐらかされるようなことがあったとしても、兄と優麻の判断については、全面的に信頼した方がいいものと、素直に信じてもいたのだ。


 そうして、神社に帰り着くと、まず飛鳥と緋月に熱烈な歓迎を受けた。
「司ちゃん!!! やったー!!!」
「おかえりなさい。やっと戻りましたわね」
 神社の境内で司を出迎えた飛鳥と緋月は、白衣に小豆袴の神職姿で、神社に就職したというのは本当なんだなあと思った。
 神社には他にも神職や巫女がいて、それは司の全然知らない人たちになっていた。彼らにはどうやら、司は神社でしばらく預かることになった娘、というような説明がされているらしかった。まあ、他に説明のしようもないといえばないのかもしれない。
 そこで、司が、あれ、と思ったのは、社殿や社務所と記憶が違っていることである。神社の社殿は、神社そのものが古いだけあって、もっと古びた感じであったはずだった。なのに急に――司にとってはとくにあくまでも急にでしかない――建物がいろいろと新しいのだ。
 疑問に思っていると、飛鳥と緋月がそれを察したようで、
「司がいなくなったあと、建て替えがありましたのよ」
「たてかえ……?」
「でも、さほど変わったところはございませんわ。とりあえず、今はちゃんと落ち着きましょう」
 そんなふうに説明してくれた。
 促されて家に戻ると、家の中も当然少しは変わっていた。
 けれど、司の部屋は触ってない、と――家で出迎えてくれた柚真人に言われた。
 柚真人はたぶん、司のために家で司を出迎えてくれたのだろう。白い白衣に白い袴の神主姿ではあって、袴の色が変わったのだな、と司は思った。記憶の中にある兄は、いつも浅黄色の袴を身に着けていた。
「……部屋は、なにも触ってないから学校のものとかもそのまま残っていてそれはそれでキツいかもしれないが……何かあれば言ってくれ」
 柚真人はそういい、あくまで司の私的なスペースに自分からは手を触れようとしない気遣いのようなものを見せてくれた。
 そうして――。
 しばらくは、この状況を飲み込むのにも時間がかかるだろう。当然ながら司が通っていた学校にももう通うことができない。なので、しばらくはしたいようにしていればいい。とも言われ、それはそれでどうしようかなあと思ったのだけれど、
「神社でなら、バイトしてもいいぞ。俺たちも普段神社にいるから」
 柚真人は、そうも言ってくれた。

      ☆

「え。じゃあ柚真人のやつ、司ちゃんが自分を避けたいんじゃないかと思って、ああいうことを言ったわけ?」
 飛鳥にそう言われたのは、司が家に戻って、少し休んでみて、なにもしないでいるのはやっぱりなんども身の置き所が無いのでせめて神社でバイトさせてもらおう、と思って巫女装束に袖を通した初日のことだ。
 柚真人は、その日、午前中に何件か祈祷の依頼があって、朝から拝殿で忙しくしていた。
 今は時期的に節分や立春の前後で、厄払いの依頼が多いのだ。そして緋月も、同じく拝殿で柚真人の手伝いをしている。
 その一方で、飛鳥と司は、社務所にいた。社務所では、飛鳥が司に、現在の神社の状況やバイト巫女として出来る仕事などを説明する――手筈でいたのだが。
「……そうみたい」
 頷くにあたって、柚真人が例の飛鳥に蹴られるようなことを言い出す至った事情について、飛鳥はどこまで把握してるんだろう、という点も気になった司ではあった。
 だが、飛鳥はさっぱりあっさりと、司ちゃんに告白されて、それで自分もうっかり口を滑らしちゃったとは聞いてる、と教えてくれた。
 自分と柚真人は、高校生ぐらいの時には、司を巡って不毛に牽制し合ってた。そうも聞いて、えええ、と思った司だ。
 ただそれが、飛鳥にとってはなにか遠い昔話のようであるのが救いであったかもしれない。
 飛鳥は、すっかり年上になってしまった見た目で、自分にはあんなふうに司のことは追いかけられない。同じく歳は取って落ち着いたところはあるけれど、基本的に柚真人には負けたと思った。そう司に向かって吐露した。
「あいつは本っっっ当ーーーに、司ちゃんのこと大事に思ってるよ。この二十年で、呆れるくらい、勝てないな、って思った」
 あっけらかんと飛鳥が言うので、司は、はあ、と飛鳥を見返した。
 そうして、
「あの……飛鳥くん。そのことなんだけど……ちょっと、聞いても、いい?」
 だからといって飛鳥に聞くのもどうかとは思った。でも飛鳥にしか聞けないとも思ったのだ。
 ともすると、飛鳥が見た目かなり大人に見えているのがさらには司にとって彼に頼りたくなる要因となったかもしれない。
「ええと……あのね。柚真人は、その、私が、好き、っていっちゃった後、自分も同じようなものだ、っていうのね」
「……うん、まあ、そう聞いてる」
「でね。……飛鳥くんは、私がその……柚真人を見てるって、気づいてたじゃない?」
「うん」
「だけど、逆ってその……ありえなくない?」
「ん?」
「柚真人が、私のこと、同じように、っていうのがその……どうも、理解できないっていうか……私、柚真人に、その、……れ、恋愛? として? 好きになられる要素が無くない???」
「………………きみィ、それをめんとむかって俺に聞くぅ? しかもいまさらぁ???」
「……………………ご、ごめんなさい。でも……ほかに、誰にも聞けないし……」
「てかそれ、むしろ柚真人本人に聞くべきじゃない?」
 飛鳥の指摘は正論である。
 しかし司はぷるぷると首を横に振った。
「……き、……きけないよ…………」
「なんで」
「なんでって……こわいし!」
「こわいって。きみのことが好きだっていってる人だよ?」
「だから、それがこう……なんで? ってなっちゃうんだってば……」
 飛鳥は難しい顔をして、司を見た。
「あのねえ。……そうだねえ。俺はあいつじゃないから、さすがにちゃんとは答えられないよ。でも、ひとつ言っておくとね。俺は、当時、ごくごく普通に恋愛してたんだと思う。でもあいつはね。たぶんそういう簡単なもので割り切れる感じじゃなかったような気がするね」
「……」
「そもそも小さいころからずっと、きみを守ってきたはずだからね。あいつにとって、きみは……そうだなあ、宝物みたいなものなんだよ。……その中には、恋とか愛とかってのもあると思う。でもそれって柚真人の気持ちのたぶん一部で、きみに傾けてる愛情にもいくつも種類があって、簡単じゃないんだよ」
「……」
「柚真人がさあ。きみを大事にしているのはわかるでしょ? たとえば、家族として、だったとしても」
「………………それは、……うん……」
「その大事、が。とてつもなく大きくいろいろなものを包摂してる、ってこと。ごくごくありていに一般的な恋愛沙汰って考えるから、柚真人が? って考えると、違和感あるんじゃないかな。普通の恋愛とか、あいつ、しなさそうだろ? 絶対に向いてないし、むかしから女子にモテにモテまくっても興味なさそうーだったし。たぶんきみのことしか頭になかったからね。あんまりあたりまえに必死に守ってきたから、きみは柚真人のすべてなんだよ」
「……」
「そう言ったら、少し自覚できるんじゃない。きみは、あいつに単なる『恋愛感情』を向けられているんじゃない。ただただ、でっかく愛されてるんだよ。それがねえ、広すぎるというか、大きすぎるというか。そんで、本当なら妹に向けちゃいけないものも含んじゃって、あいつ、困ってたんだよね」
「……」
「俺はさ、きみがいなくなってからのあいつをずっと見てきたのよ。なのに、君を手放せるなんて、嘘だなあ――と思ったよ。あれほど自分の全部をかけてきみを取り戻したのに、きみを手放したいわけないじゃない。そのためにあいつが何をしたか。言うなって口止めされてるから言わないけど、そこまでできる??? っていうレベルでね。もう俺は完敗。きみにこうしていうのも情けないんだけど」
「…………柚真人、なにをしたの。……私、そんなのなにも聞いてないし、知ら、ないよ」
「それはねえ。知らなくてもいいんだと思う。柚真人も教えるつもりはないんだろうね。起こったこと自体はきみのせいでもないしね。ただ、きみが本当に柚真人のこと想ってくれるなら……きみが諦めないで欲しい。あいつはね。自分ですら、結局切り捨てられるんだよ。自分の存在が、きみのためにならないと自分で判断しちゃったらね。だからきみが捕まえないと、捕まえられない。たぶん。自分が兄だっていうのも、その判断には含まれているはずだよ」
「……」
「司ちゃん、さ。柚真人のこと、こわい、っていったよね」
「……うん」
「でも、ああしてないと、あいつすぐダメになるよ。あれはわりと必死の虚勢。実はずっと昔からね。ほんとは、――ほんとのあいつがどんなんか、も、きみが確かめるべきだと思うね。きみに、その気があるのなら」
 その気がないとは言わせない。
 そんなような、飛鳥の気持ちが、司には伝わってきた。
 飛鳥がこうして司の話をきいてくれるのは、飛鳥がきっと柚真人のことも思ってくれているからだろう。
 けれど。
 その気。
 その気、といわれても。
 それはそれで、司は、戸惑う。
 だって。
 病室で話をした――あの夜。
 司と柚真人は、たぶんどちらからともなく、このことはいったん蓋をしよう、とした。
 お互いに、なにかをはっきり言葉にしたわけではない。だが、なんとなく。そうするべきなのだ、と双方が感じて、話を、あそこで止めたのだ。
 だって――なにより、自分たちは兄妹だ。
 それはどうしたって変わらず、お互いの気持ちをお互いに知ったとて、どうすることもできない。
 そうして司は家に戻ることができ、いまのところ、これまでと変わらない生活が始まった。
 だとしたらこの先――も。
 自分も柚真人も、方向性の同じ気持ちを持っている。それをお互い知りもした。でも、どうにもならないということはある。
 だって。そうでしょう。
 他は。
 どう、しようも――。
 

 その時、授与所に参拝客がやってきて、飛鳥を呼ぶ声がした。
 飛鳥は、
「はいはーい」
 と、朗らかな返事をして立ち上がった。 
 今の今まで飛鳥に、たぶん飛鳥にとってはらちもない相談であろうことを傾けていた司が、申し訳なさを覚えるくらいには。
 飛鳥は飛鳥で、
「――まあ、俺としては、きみにあいつを落として欲しいよ。きみと柚真人の関係が、他人が簡単に口出せることじゃあないとしても、ね」
 司には、そんなふうに、半分は悪戯っぽく言い置いた。

      ☆

 皇司に、知りたいこと、知るべきこと、あるいは、知らなければよかったと思ったこと――そのすべてが伝えられるのは、それからさらに一週間ほどのちのことになる。

 その日、司のもとには、審問に召喚、という、司にとっては耳慣れないかつ今までてあれば縁も無かったような命が届けられた。
 そうして――。
 司は、皇の家に、数々の因果を抱えて生まれた巫として、知るべきことを知ったのだった。