勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

06
 
 
 なんのこころがまえもしてないところに不意打ちも不意打ちで、ただ固まった。
 なんで??? と思ったところ、
「飛鳥に蹴っ飛ばされてきた。お前が、妙な事言ってるっていうから」
 その人物はそれだけいうと、ついてこいというような無言の仕草でもって司に背中を向けて歩き出してしまった。
 司は、戸惑いつつ、その背中を追いかけた。
 その人物は――昼間に会った、緋月や飛鳥とは明らかなに年齢が違う。かといって司が知っている高校生の時の少年でもない。でも、直感と雰囲気でそうだと理解するより他なかった。目の前にいるのは、兄の皇柚真人だと――そのまま黙って司の病室の前まで来た。
 飛鳥になにやらされて来たと言っていたから、病室の場所や階なんかは飛鳥から聞いていたのだろう。あるいは水月に先に聞いたのかもしれない。
 躊躇うことも無くドアを開けた柚真人には、先に中に入れと促される。それから、
「いちおう訊くが。入っていいか?」
 司は、振り返って頷いた。
「具合、とかは? 問題ないか?」
 また、頷く。
「そうか」
 と、柚真人が言うのを司は見ていた。
「いまさっきは、ここにきたら病室にお前がいなくて、水月に聞いたら探しているというから、屋上に行ったんだ。――間に合ってよかった。まったく油断も隙もあったもんじゃない」
「――……」
「……ああ、そうか。これもいちおう訊くが、俺のこと、わかるよな?」
 黙って柚真人を見返している司について思い当たったらしく、今になって柚真人がそう言った。何を聞いているのかは汲めたので、司はおずおず答えた。
「……柚真人、よ、ね?」
「そうだ。わかるなら話をすすめるが、まず、今日、飛鳥と緋月が言ってたことについて――」
 いや、というか。
 ものすごい通常運転だ。
 まるでなにごともなかったかのようにあたりまえに自分の前にあらわれた柚真人に、涙もひっこむ。
 目の前にある、確かに見覚えのある面影と、見知らぬ姿をした青年。なのに、あんまりにも自分の記憶の中にあるのと変わらない柚真人すぎて、逆にびっくりだ。
 司はそう思った。
 まあ柚真人らしいといえば柚真人らしいのだけれども、緋月や飛鳥と違ってこのあまりにもなんの動揺も表に出さない態度が続くと、こっちが動けなくなってしまう。
「――――あの!」
 これ以上、このまま呆気に取られて圧されると、自分の言いたいこと、言うべきだと思うことが言えなくなる。そう思った司は、思い切って柚真人の言葉を遮った。
 司が声を出すと、柚真人は自分の言葉を止めて、少し目を見開いた後で、待ってくれた。
 受けとめることはちゃんと受け止めようとしてくれる。
 そういうところも、ああ、兄だ。
 司は、けれどそのまま柚真人の顔を見返してはいられなくて、ややうつむきながら、意を決した。
「……あの。………………あのね。……私、こう……こういうふうになる前に、柚真人と、喧嘩……を、したような気がするんだけど」
「――」
「お……おぼえて、る? あれから、すごく時間が経ってる、ってみんなは言うんだけど、……私、にとっては、それがその……つい昨日くらいの、ついさっきの出来事で。……それを、謝らないと、って思ってて」
 そこでもう目を瞑ってしまいたいくらいだったのだけれど、それでは謝罪にもならないだろうと思って、司は頑張って目線を上げた。
「わ、たしに、きっと、本当は、会いたくなかったよね。ごめんなさい。あの……ほんとに、ごめんなさい。それで、なんだけど。その……その時、柚真人と話したことは、全部、忘れて欲しいの。……柚真人にとっては昔のことすぎて、あんまり、意味が無かったり、もう、忘れていたりしたらそれはそれでいいんだけど。……そうでなかったら、困る、か、ら」
 そうしたら、柚真人はしばらく黙って司を見て、それから大きくひとつ息を吸って吐いた。と、見えた。
「――お前が? 謝る? ……ねえ」
 その返し、その声色の雰囲気は、ああ、やっぱり、柚真人は覚えていたんだな、と感じられる反応だった。
 その上で、何を言われても、仕方がない。
 許してほしかったけど、許してとはとても言えそうにない――と、司が飲み込んだ時だ。
「飛鳥と緋月が、少し記憶の混濁があるようだと言っていたが……お前、どこまで覚えてるんだ」
「え」
「確かに、そんなようなことはあった。だが――その後、俺がお前に言ったことは覚えているか?」
「――え、と?」
 柚真人の、言ったこと?
 言われてみると、司の思考は、自分が口にしてしまったことを思い出したところで止まってしまっていた。その記憶があんまり衝撃的で。
 だけど考えてみれば。
 その後。その後、どう、した、っけ。
 柚真人に、すごくキツく叱責されたような。
 いや。
 そこから、何か言い争いをした。
 その時、柚真人は。
 ものすごく激昂した感じで。
 ――いい度胸だよな。
 ――だがお前。それ、当たって砕けるつもりで言ってるんだろうがよ? おれがそれを、受け入れるなんてこと、ちょっとでも考えてるか、
 ――あ? おれ自身のことを考えに入れてんのかよ……?
 ――……お前が妹だとおもえばこそ。おれは耐えてこられたのに……!
 ――気持ちがつながってしまったらどうなるんだ?
 ――そんなこと考えもしないで。気持ちだけ先走らせるなよ。残酷だよお前は!
 そこから後の、一連の言葉を。
 司は、一言一句ではないが、なんとはなしに思い出した。
 だが。
 言われていることの、意味が、わからない。いやわからないわけではないけれども、脳が、理解を拒否するというか、なんというか。
 茫然、となる司に、柚真人が重ねてきた。
「それこそ、お前が忘れているならそれでいいんだ。だが覚えているなら、その時のことについての謝罪は俺の方がするべきなんだよ」
「――」
「当時自分がガキだったってことをさっぴいても、お前に、あんなことを言うべきじゃなかった」
「――」
「ただ、言った言葉に嘘があったわけでもない。今も。だから――あの時のことを覚えているなら、お前が、俺のいる家には戻りたくないということが当然あるだろうと思ってな。まず、飛鳥に頼んだ伝言は、そういう意味で、だったんだよ」
「――」
「もちろん、家と神社にお前の居場所がないということはない。ただ、お前が戻りたいといっても、俺の方も引き継ぎもなくすぐに社を捨てられないからな。お前が跡を取るというなら、すべてはお前の意思優先だ。地位も家財も含めてお前にすべて譲る覚悟までこっちはしてる」
 すまないな、と付け足されても、なお、司は答えられなかった。
 ええと。
 つまりどういうこと。
 覚えているかと訊かれれば、言われたことは覚えている。というか今、思い出した。自分が口走った言葉の次に、まだ続きのやりとりがあったことを。
 だけど。
 自分の場合は、それだけの理由があってのことと思えた。自分が、皇柚真人という人間に、他の誰とも比較できない感情でもって囚われてしまう理由が。
 だが逆は。
 ちょっとありえないのではないだろうか。
 だって。理由が――無さ過ぎる。
 そちらの方が意識の中で大部分を占めてしまい、どう――話を続けたらいいんだろう、と司はめまぐるしく考えた。
 いやそれはありえない、と思ったうえで、質したいこととか、尋ね返したいこととか、確認したいこととか、頭にいろいろ溢れてくる。そ
 の整理がつかなくて、次の言葉が見つからない。
 結局、
「……それって――あれって――…………あの時、私が言ったことと、同じことを、柚真人も言った、ってこと?」
 それがなんとかひねり出した問いだった。
 すると柚真人はちょっと眉根を寄せ、
「まったく同じとは同意しがたい部分もあるが、まあ概ね意味としてはそういうことになる」
「……なんで?」
「あ?」
 自分でも何を言っているんだろう、という自覚はあった。
 でも思ったのだ。
 なんで。
 そんなわけないだろう、と。
 純粋に疑問が真っ先に立った。
「……なんでと言われても。……なんだ、いまさらお前、まさかその説明を聞きたいのか?」
 聞きたいかと言われると。司は思い切り渋い顔をしてしまった。
 状況としては、ずっと好きだと思っていた人に、俺もだよと言われたような状態であることはわかっている。でも、自分と柚真人を比べた時に、あまりにも――違いがあって。
 自分の中には、それはそれは重たく焼きついた気持ちがあるのだけれど、それと同等のあるいはそれに類するものが柚真人の中に生まれるという事実が理解できない。
 というか、そもそも。
「ええと。まって。……柚真人、なにか、誤解してない?」
「誤解?」
「だって――……私だよ?」
「ああ? そりゃそうだろう。それ以外のなんだっていうんだ」
「それに、柚真人って……その…………全然そういう感じしないよ」
「そういう?」
「こわい」
「……当たり前だろ。こっちは頑張ってこれなんだよ」
「……なにを???」
「頑張ってるかって? ……おまえ、マジか」
「私は真面目に訊いてるよ」
「……こうやって気を張ってないと、冷静さを保てないからだろ」
「柚真人が? どうして?」
「……おまえ、俺があの時言ったこと、本当にちゃんと覚えてるのか?」
「……そのつもりだけど」
 そこで、はあ、と柚真人はひとつ大きくため息をついた。
 その、はあ、と仕草に、司はちょっとだけびくっとなった。
 そういう反応のあとに、司はよく叱られたりしていた。そのための癖だ。
 柚真人は続ける。
「確かにあれから少し時間は経っていて、俺もさすがにガキじゃない。だが、いま言ったはずだぞ。言った言葉に嘘はない。今も――と」
「……うん」
「……いや、うん、じゃなくて。いいか。俺は、あの時よりずっと前から、お前を妹として見れてない。妹には向けない感情と願望を、持ってるってことだ。そうして、今も。なにも変わらずに」
「……」
「だから平静を取り繕っているんだよ。俺もそれなりに歳はとったが、それでもまあまあこうしていないと、お前の前で、お前の、兄、でいられない」
「……」
 それを、単純に、額面通りに受け取れば――嬉しいとか、じゃあ自分たちは両想いなんだとか、そういうことを思う場面だったのかもしれない。
 しかしやっぱり司の中では、逆にそれが信じられない、ありえない、の方が大きくて、ただただ怪訝な顔を柚真人に返し続けることになってしまった。
 そんな司を見ていて、このままではどうにも埒が明かないなと柚真人も判断したらしい。やりとりからして、司があまりにもぴんときていないことも感じたのだろう。
 ならそのことはひとまずいったん横に置くとして、取り急ぎお前に言っておきたいことは他にもある、と柚真人はいった。
 柚真人がとりあえずといって説明してくれたのは、司がこの病室に今も留め置かれている理由であった。
 司は、『神隠し』にあったことで、現在あらゆるよろしくないものにとって大変に目立つ、襲われやすい危険な存在になっている。それと『神隠し』前後の記憶がまだいくぶん不安定であることで、何が起こるかも心配がある。
 そこで、水月の診察をうけ様子を見つつ、ここに隔離されているのだ――ということらしい。
「もっというと、お前には、護身用の印もつけてある。だから、目に見えるもんじゃないが、お前に何かあれば俺にわかるようになってる。それでまあ、さっきもお前の居場所はすぐにわかったわけだが」
「――印? どうやって? 柚真人が?」
「ああ、いま探そうとするな、いま。……盆の窪んとこだよ。あと、見えないって言ったし、今は、細かいことは気にするな。とりあえず、護身はしてあるってことだけわかっててくれればいい」
 そのことを司本人に伝えていなかったのは、
「お前、怖がるだろ、無駄に」
 ということらしい。
 そういわれるとそうだけど、でも、その怖さが、先ほどはあまりなかった――ということを、司は、なんとなく飲み込んだ。