勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

02
 
      ☆

 妙に長い、夢を見ていた気がする。
 でも、夢の内容は思い出せない。


 重い瞼を持ち上げて、その先に天井が見えた時。
 そう思った。
 それから、ここ、どこだろう、と。
 天井は白い。そして、自分は布団に寝かされている。
 首を動かすと片方に窓が見え、片方には壁があった。
 なんとなく見たことがあるような作りの、小さな部屋だ。
 しかも自分が寝かされている、ベッドしかないような部屋。しばらく考え、――病室だ、と思った。
 ということは、ここは、病院?
 でも、なんで?
 私、どこか悪いのだろうか。それとも怪我でもしているんだろうか。
 そう考えたが、どこにも痛みや具合の悪いところは無かった。
 どうしよう。
 なんで自分が、こんなところに寝かされているのか、さっぱり思い当たる節がない。
 倒れた、とか? 
 気を失った、とか? 
 病院で気がついたとして、その理由なんて、それぐらいしか思い当たらない。
 わからない。
 ええと。
 確か――そう。
 自転車で、転んだ気がする。
 ええ。それで?
 いや、でも。そんなひどい転び方をしただろうか。
 そんな感じはしなかった。
 ならば、もっとどこかが痛くてもいいだろう。
 どこかを手術したとか、麻酔したとか、そんな雰囲気もない。
 じゃあ、いったいなに?
 そう思って、一度体を起こしてみようとした時だった。
 コンコン、とノックのような音がした。
 自分が横になっている状態からは見えていないが、ここが病室かそれに類する部屋だとすると、どこかにドアがあるのだろう。
「……はい」
 と返事をしてみる。
 すると一拍ほど置くくらいの間があった後で、なめらかにドアが開く音がした。そうして――。
「――よかった。気がついたのね、司ちゃん」
 呼ばれた瞬間、誰だろう、と思った。
 一人の白衣を身に着けた女性が入ってきて、自分のベッドの前に立った。
 白衣なのだから医者だろう。
 けれども、どうしてか見覚えあるような気がする。
 よく知っている人に、ひどく似ているような。
 それから遅れて、白衣には名札がついていることを認識した。名札に向かって目を細め、
「――え」
 名札に書かれた名前を呼んで、思わず声を上げてしまった。
 だって。
 名札には、暁(あかつき)水月(みつき)、とあった。
 でも、おかしい。
 自分が知っている暁水月は、もっと若い――まだ、二十代の女性だったはず。
 確かに、今、その人に似ているな、とは思った。
 思ったけれど、自分の前にいるのは、それよりも明らかに年配の、五十がらみかもう少し上であろうと思える女性なのだ――。
 
 
 説明を受けても、中身が頭に入ってこないことってあるものだ。
「――司ちゃん、大丈夫?」
 そう言われても、ええと、と口ごもる。
 理解があまりに追いつかなくて、大丈夫? という問いかけに返事をしてもいいものかどうか、判別がつきかねた。
 目覚めたのが夕方だったらしく、それからずっと暁水月とやりとりをしていて、窓の外はいつの間にか真っ暗だ。
 まず、自分はここで三日ほど意識不明だったこと。そして、意識がない間に検査をしたけれど、肉体的には健康体であること、が水月からは説明された。
 しかし驚いたのはその次で。
 さらに告げられたのは、現在は、自分が認識している年月日からなんとゆうに二十年以上が過ぎていて、季節は一月の終わりだということ。
 正確には、二十と、六年目、になるらしい。今年で。
 当然、にわかには受け止めることができるはずもなかった。
 けれどもカレンダーを示されて、見たこともないカードみたいな携帯電話――ボタンがなくて、全部が画面になっていて、画面を触ってすべての操作をする機械――を示されて、疑うこともできなくなった司であった。
 水月は、司が、いわゆる『神隠し』のようなものにあっていたのだと告げた。そして、司だけが二十余年という時間を跳んでしまったのだ、と。
 そんなことがあるだろうか。
 そう思った。もちろん『神隠し』という概念自体には司とて理解はあった。そんな事件の話や怪談も聞いたことはある。
 でもまさか、自分の身にそんなことが起ころうとは。そんなことが、本当に起こりうるとは。
「…………司、ちゃん?」
 もう一度、水月に呼ばれて、司はぴくっとかすかに肩を震わせた。
 なによりも、自分と向かい合っている水月が、確かに年齢を重ねた水月以外の何者でもなくて、説明されたことはそのまま信じるしかないとわかるのに、そのことにも司は混乱している。
 ただ、その中でも気になることはあって、
「あの……じゃあ、みんな、は?」
「みんな?」
「その……緋月ちゃんとか、飛鳥くんとか、……学校、とか……………………神社、とか、お兄ちゃん……柚真人、とか……?」
 だってそうだろう。
 自分だけが時間を跳んだのだ、などと言われたら。 
 では、それまでいつも一緒にいたはずの、幼馴染であり友人でも家族でもありほぼ同級生同士でもあった彼らは? という疑問が湧くのが当然だろう。
 司は、おそるおそる水月を見返した。
 水月は問われると、答え方を思案するような苦笑を浮かべた。でもそのあとで、比較的端的に、
「みんな、今はそれぞれよ。でも、あなたのことをずっと思って、探しつづけてはいたのよ」
「――」
「知りたいことはたくさんあるわよね。でも、いろいろあっていっぺんには無理だし、司ちゃんがもっと混乱するわ。その前に、そろそろ夕食にしたほうがよさそうな時間なんだけど、お腹はどう? すかない?」
 それぞれ。とは、どういう意味だろう。
 二十余年が経っている、と言うなら、彼らは今、四十を過ぎているということになる。けれど、それもうまく想像できない。
 対する水月に夕食はと問われ、途端に、お腹が空いている、というこも認識した。
 確かに、言われて意識してみると、けっこう何も食べていなかったような空腹感がある。
 自分が『神隠し』にあっていたとして、こちらではそんなに時間が経っているとして、じゃあ、自分の方ではどれだけの時間どこで何をしていたことになるんだろう。この空腹感は、そのためのものなんだろうか。
 司はそう思った。今のところは、考えても何ひとつ思い出せない。
「ざっと検査したところ、身体は健康だから、何を食べてもいいわよ。ただし、この病室でね。まだ少し検査しなきゃいけないことが残っているから。なにか食べたいものがあれば、病院のコンビニから買ってきてあげるけど。――なにか、ある?」
 そのとき、ふと。
 まったくふいに。
「――もう。食べてもいいの?」
 そんな言葉が、司の口からこぼれおちた。ただ、司もほとんど無意識で発していて、
「え?」
 と水月に聞き返されて、自分でも、
「え?」
 と言ってしまった。
 もう、いいの? ――なぜ自分の口からそんな言葉が出たのかわからなかった。
 何故か、ふと。
 強く誰かに、何も食べてはいけない、と言われたような気がしたのだ。
 どうしてだか、わからないが。
 夢のなか、だったろうか。司はそうも思った。
 何か夢を見ていたようだなという感じは、目が覚めたときにしていたから。
 いや、というか、自分が『神隠し』に遭っていたというのなら、夢だと思っているのは『神隠し』の間の記憶で、『神隠し』の間に、ということ?
「あ……ごめんなさい、あの。…………コンビニなら、パン……とか? コンビニが、私の認識しているコンビニと、今も、変わってないなら。あと…………なにか、蜜柑味のものがあれば、食べたい……です」 
「蜜柑味?」
「……はい。なんでも。ジュースとか……飴でも。そのものでも、いいですけど……コンビニとかにはないですよね」
「そうねえ。でも、わかったわ」
 水月は穏やかに引き受けてくれた。
「すぐに戻るわね。その間に、何か変調があったらナースコールして。何か急に思い出したりしたことがあったりしたら、落ち着いて、深呼吸して。戻ってきてから、私が聞くわ」
 水月には、一番最初に、どこにいたか、なにをしていたか、意識を失う前のことで思い出せることはあるか、とは訊かれていた。
 でも少し考えたところでは何も――自転車で転んだような気がする以外のことが――思い出せず、水月にはその通りに答えたのだった。
 それならそれで慌てることはない、今は混乱せずにちゃんと落ち着くことの方が先だから、と言ってくれた水月が、精神科を専門とする医者であることは、司も覚えていた。
 水月は、司に軽く手を振って、病室を出て行った。