勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

 03
 
 
 柚真人は起き上がると、一度、自邸の沐浴場できちんと潔斎した。
 それから神職服に着替えて、神社に出た。
 柚真人が家の玄関から出ると、その引き戸のからからという音とか気配でさとく気がついたのだろう、
「あああああ! ゆまと!!!」
 という、声が聞こえた。
 飛鳥だ。
 飛鳥は社務所の入り口から顔というか身体半分というか、を出して、柚真人の方を見ていた。神社のことがあるので社務所を離れられなかったが、柚真人の様子が気になってちょくちょく皇邸の方をうかがっていたところだったのかもしれない。
 飛鳥が声を上げると、遅れて同じところから緋月も顔をのぞかせた。
「柚真人さま!」
 まあ――他でもない柚真人が、気を失ってここに担ぎ込まれたのだから、二人にしてみれば驚いただろうし不安と心配があっただろう。
 自分でもまさかそんなことになるとは思わなかったので、素直に二人には悪かったな、と柚真人は思った。
「おまえ、だいじょうぶなの!!?」
 飛鳥が言いながら駆け寄ってくる。緋月もそのあとからついてくる。
 玄関からは、優麻が出てきたので、柚真人は三人を引き連れるかたちで、少し歩いて、境内の一隅にある、池のところで足を止めた。
「大丈夫だ」
「だっておまえ! おまえがあんな! なにがあったのよ!」
「ちょっと事情があってな。とりあえず今は問題ない」
 その場に三人と優麻が留まって話していればまずいやでも他の神職や職員たちの目をひく。
 なので彼らには、かまわず仕事を続けてくれという仕草を投げて――神社自体には、今日もぽつぽつと参拝客がある。授与所も開けてあるし、事務仕事もあって、これは休めるものではないので――さて、と池に目を落とす。
「どうしたの」
 飛鳥が柚真人に向けると、ばしゃ、と何かが水面を叩いた。
 真っ白な、池の鯉の鰭だ。白い鯉が三匹、水面近くにやってきて、激しくぐるぐるとまわるように泳ぎ回っている。
 柚真人はふんと鼻を鳴らすようにひとつ息をした後で、水面に向かって投げかけた。
「――どうあっても寄こす気はないか」
 返事は、柚真人と優麻には聞こえている。
 しかし、飛鳥と、緋月には捉えることができないものだ。
 とはいえ、柚真人の表情を見ていれば、問いに対してどのような色の返事が返っているのかは、飛鳥にも緋月にも想像はついたろう。
 すなわち、あまり柚真人にとってよろしい返事は返ってきていない。池の水面を見下ろす柚真人の眼差しは、これ以上なく剣呑なものとなる。
 柚真人の中に届いた神使の意思は、
 ――うぬのような鬼の小童に我らが巫女は任せられんわ。
 ――此方におれば何者も我らの巫女に手出しはできん。
 ――うぬもその方が良いであろう。
 確かに、それは一抹柚真人とて考えたから、妥当ではあるのだ。
 神使たちがいう此方、つまり速佐須良比売の神域にあれば、間違いなく誰も司に手出しはできない。しかしそれでは、司が司として存在することに意味がなくなる。
 司は、皇の巫女であり草薙の巫女である。巫女は、人として現世に在るから、巫女たりうる。また、隔絶された幽世にたったひとりでいることは、牢獄にあるのと変わらない。
 もっとも、神使と人では、そもそも存在の在り方や存在することの意味が大きく異なりすぎている。それゆえ、神使の言い分がそのまま人に当てはめられるわけも無かろうが――。
さすがは鯉だよ、この単細胞な馬鹿神使どもめ。柚真人は心中、まったくはばかることも遠慮することもなくそう悪態をついた。
 今は思念で会話中なので、もちろんその悪態は神使たちにも即洩れる。
 ――なにを! 無礼な!
 ――我らは神使ぞ! 敬まわんか小童!
 ――我らにはもっと敬意をもて、鬼の子が!
 ――そもそもうぬの手には余る巫女よ!
 ――うぬは社を守っておれ!
 途端にわっと言い返される羽目になり、柚真人は神使たちにキレ返した。
「うるっ――――――せえ! この陰気臭いクっっっソじじいどもが! つべこべいってねえでそっから司をもどせ!!!」
 飛鳥と緋月は、ええ、いまそういう話!!? と柚真人の言葉にぎょっと目を向いた。
 柚真人はかまわず、今までとは異なり何か宣言でもするかのように大きく声を張って、続ける。
「たかだか神使の分際で! ――なれば貴様らのその了見! 当然、速佐須良比売も承知の上でのことであろうな!!?」
 すると神使たちは口々に柚真人に向かって喚きたてた。
 ――我らが主上とてそうお望みになる!
 ――きまっておる!
 ――主上は、いつも現世の穢れを背負うために黄泉を彷徨うておられる。主上の神域はいつも虚よ。巫女は此方におってもよい!
 ――うぬらに授けた主上の御力の端が、選び、守護した巫女なのだ。それは主上の意思も同じであろうよ!
「――…………」
 なるほど。
 この言い方からして、こちらの池にいる神使は、祭神の命に従っているというわけではなさそうだった。
 どちらかといえば、この神使どもは主である速佐須良比売には無断で、独断で動いているという確証を得た、といってもいいかもしれない。
 ただ、それほどまでに、司は巫女として彼らを惹きつけるのだな、という驚きが、柚真人の中にも湧くことは湧いた。それが、司の巫女としての力と稀有さだ。
 柚真人がぎりぎり奥歯を噛み締めながら考えていると、横からおそるおそるといった態で飛鳥が口を挟んできた。
「いやあの……柚真人……サマ……? いったい、なにが、どうなってんの。こいつら、なにか言ってんの?」
 先ほど放った柚真人のひとことが、あまりに怒髪天を衝く、という感じだったので、さすがの飛鳥も慄いた、といったところだろう。
 確かに、柚真人自身あまり人に見せたことない怒声を上げた自覚はあった。だが、そろそろなりふり構っていられない。
「――すまない。だが、余裕がない」
 柚真人は素直に、飛鳥にそう伝えた。
「神刀は取り戻したし、司の居所はわかった。ただ、こいつらが匿っていて、司を現世に戻そうとしない」
「え!?」
「――本当ですの、柚真人さま!?」
 緋月にも勢いこんで問われて、柚真人は硬く返した。
「ああ」
「で、では、御神刀『佐須良』と司はどちらに!?」
 柚真人は、もはや容赦なく遠慮もなく凍てつく怒りを宿した目で、池を見下ろした。
「――こいつらが匿っていると言ったろう。神刀ともども、だ。佐須良はこの水の中。司は、いま、そこからこちらに戻れるか戻れなくなるかの瀬戸際にある」
「――」
「いってみれば、現世と幽世の狭間みたいなところだ。たぶん。こいつらは、そこに司を閉じ込めると言ってる」
「――神使が、ですか? そんな、どうして」
「その方が安全だからだと。こいつらは、俺には司を守れない、それぐらいなら自分たちがそこに司をずっと住まわせると言ってる」
「な……」
「ど……どうすんの! じゃあ、せっかくご神刀は見つかったのに、司ちゃん、そこから、戻れなくなるかも、――しれないってこと!!?」
 あっけにとられた緋月の絶句に、飛鳥の言葉が重なった。
 柚真人はそれに、舌打ちで応えた。
 まさにその通りだ。だがどうしたらいい。おそらくもうさほど時間が無い。
 先ほど夢を介して己の霊力を渡した『柚真人』が何か画策してくれているであろうことは織り込んでも、彼も、柚真人にはすべきことをしろと言った。それはつまり、柚真人は柚真人で司が現世に戻れるよう、尽力しろということであるはず。
 力、づくでも。
 なんとしてでも。
 こちらに、司を。
 それも――黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)が成立する前に。
 そう思った時、はっ、と柚真人の中にひらめくものがあった。
 そうか。
 司を頑なに還そうとしない神使たちは、祭神の命では動いていない。つまり、今のうちであれば、速佐須良比売となら、交渉できる。彼らは、速佐須良比売には逆らえない。そこに手がある。
「ウケイか――」
 柚真人はひとりごとのようにそう洩らした。それは本当にひとりごとのようなものだったので、飛鳥や緋月には捉えられない。
「え?」
「柚真人なんて?」
 二人が怪訝そうな顔をしているのはわかったが、改めて説明し、答える時間も、惜しかった。
 その手が見えたからには、もう一瞬たりとも迷ってはいられない。
 それで自分が、何を失い、何を賭することになろうとも、だ。
 反抗するように、池からは水飛沫が上がり、鯉たちの白い鰭がまるで羽衣のように翻るのが見えた。それを細めた鋭い目つきでちらりと一瞥したのち。
「――お前たちに話がある。俺は支度をしてくるから、拝殿で待て」
 そう言い置くと、柚真人は行動を始めた。
  
  
 神社のつくりは様々あるが、皇神社の社は、拝殿と本殿が幣殿を挟んでそれぞれひとつひとつの建物のようになっている。
 本殿は神社の最奥部でもあり、その手前に幣殿を併設して建つのが拝殿だ。
 拝殿は、幣殿とともに神社の毎朝の朝礼などにも使われているし、一般の参拝客を入れたお祓いなどの儀式も執り行う場所である。
 そこで待てと言われたので、飛鳥と緋月、そして優麻の三人は、他の職員や巫女などを払って柚真人を待った。
 待つこと、十分かそこらだったろうか。
 ほどなくして、そこに柚真人が戻ってきた時、柚真人はいつもの神職服ではなく、儀式用の正装を身に着けていた。つまりは、黒色の袍と鈍色の指貫だ。頭には冠、そして手には笏を携えている。
「ど、したの柚真人」
 飛鳥がぎょっとしてそういったのは、少なくとも神社自体では、これから正装が必要な儀式の予定などなかったからだった。同時に、すこし控えめにうかがうような空気にもなってしまうのは、柚真人から感じた気迫のため。気迫というか――もはやこれはどこか殺気にも近い。
 応えて返される眼差しは、飛鳥を映してはいるものの、その実、別の何かをしかと見据えるように遠く、触れれば斬れるかのようなするどい気配を漂わせていた。
 飛鳥は柚真人の人ならざる本性も、 柚真人が激しく厳しい性根の持ち主であることも知っていたけれど、こんな柚真人は見たことがなかった。むろんその場にいた緋月にしても、優麻にしても同じことだ。
ただ優麻に限っていえば、なにか察して――あるいは悟っていることがあるらしく、彼は先ほどからずっと静かに黙って柚真人の行動を見守っていた。
 柚真人は静かにひとつ、整えるように息を吸って、吐いてから、いう。
「詳細は、全部終わってから話す。俺はこれから、本殿に籠る」
「――本殿? に???」
 柚真人は小さく頷いた。
「すべて終われば、本坪鈴(ほんつぼすず)が鳴る。それまで、たとえ何があっても、何日経とうとも、本殿の扉を開けるな。扉は、俺が内側から封印する」
 本殿は、そもそも宮司以外は立ち入ることが出来ない神社の禁域だ。だが、そこに籠るとなると話が変わってくる。
 本坪鈴(ほんつぼすず)というのは、だいたいどこの神社にもある、拝殿の軒下にある大きな鈴のことを指す。普通は、参拝客がそこから垂れ下がっている麻縄を引いて鳴らすものである。それが、――鳴る?
 それに、何があっても、何日たっても、というのも首を傾げる条件だった。
「だけど柚真人、何日も、って――」
「言う通りにしてくれ。これしか手がない」
「――」
「必ず、司は取り戻す」
「柚真人……」
「――柚真人さま……」
 飛鳥と緋月には、これから柚真人が本殿で何をしようというのか、よくわからない。予想もつかない。
 だが柚真人は、終わってから全て話すと言った。なので、今は説明する気がないということを受けて、承服するより他になかった。
「いいか。何があっても。必ず、だ」
 柚真人は、そう、もう一度確かめるように繰り返した。