07
颯には、なにがなんだかさっぱりだ。
しかしどうにかこうにか当日の休みを取りつけ、皇神社に戻ってみると、当主と弁護士がなにやら血相を変えてあわただしそうにしているのはわかった。
神社には、橘の当主と暁緋月もいて、なにか事情が訊けるかと思ったのだが、彼らは彼らでなんだか忙しそうにしており、とにかく柚真人に従ってくれという。
その後、弁護士が車を出すというので、自分の車は置いて、颯は助手席に収まった。そして弁護士と颯と皇柚真人と三人で、現地へ向けて出発したのは午前七時少し前。
車に乗り込むときに、一緒に持ち込んだ白いコンビニのビニール袋をごそごそやって、
「あの……あさごはん、食べても?」
と聞いたら、後部座席の柚真人がくっと小さく吹き出すような気配があった。
「お前、ほんと、和泉の息子だな。好きにしていい」
その瞬間まで、颯は、柚真人から、前夜にも増して強い迫力――とでもいえばいいのか、威圧感や硬い空気を感じるような気がしていた。けれど、それを圧して質問してみたら一瞬だけ柚真人から感じる気配が緩んだような気がしたので、ちょっとだけほっとした。
というか、そこでしみじみ和泉の息子だなと言われるのはどういうことだろう。
まあ、あの父親にはちょっとどころか相当に場や人の空気を読まないマイペースなところがある。今の自分も、そんなようなものではあったのかもしれない。だがまあ、仕方がない。どんな状況でも、腹は空くのだ。
「あの……それで、これも訊いてもいいですか。なんでまた、昨日話した事件の場所に、急に行くことになってるんです?」
颯は袋からおにぎりとコーヒーを取り出しながらうかがった。
とにもかくにもその意味がわからなかったのだ。
柚真人の答えは、
「遺体が無くなったという、その理由がわかったからだ」
というものだった。
「え!?」
昨夜は、推測するに、みたいな話に終始したと思うのだが。いったいどういうことだろう。
「あ、じゃあ、もしかして遺体が見つかりそうだ、とか?」
だからわざわざ自分が呼ばれたのかな、とも思った颯だ。しかしそこは少し申し訳なさそうにではあったものの即座に否定された。
「残念ながら、遺体はもうこの世には存在しない。確定事項だ」
それは、きちんとした確信を匂わせる声と言葉だった。
この人たちには、いったい、なにがわかったというのだろう。
颯はまだ首を傾げる。だがそれ以上の説明は、なされない。その代わりに、颯の戸惑いの気配を察しているのであろう、優麻が、ステアリングを握りながら。
「すべてが終わったら、きちんとしたことがお話できると思います。ですが、いまは一刻を争いますので……申し訳ないですが、颯くんには状況を見守っていていただければ」
「……はあ……」
「直接的には、颯くんの担当されている事件にかかわっていることではないのです。どちらかというと、これは皇家の事情によるもので、颯くんがお話してくれた事件は、ことのきっかけです。ですから……たまたま颯くんがかかわってくれていたので、お役目としては警察官として同行していただきますが、心持ちとしては陵家の次代当主として、いてください」
「……」
やっぱりわからない。
そう思いながら、颯は、おにぎりにかぶりついた。
その時、ふと助手席からバックミラーに目を遣ると、同じくバックミラーを通してこちらをうかがっていたらしい皇の当主と――目が合った。
☆
庭に、降りてみようか。
そう、思った。
ずるずるとひきずるような緋袴はやや動きづらい。
でもなんとか廊下を歩いて、廊下から庭へと降りるための階を探し当てると、そこから建物の外へと、降りてみた。
茜とも曙ともつかない色の空には、あいかわらずゆったりと硝子の龍? が泳いでいる。龍は、しかし、そこから目下の屋敷やその場にいる自分には意識が向いていないようだった。
庭は、日本庭園のようである。ただ、その色彩が少し異様で、庭園にはびっしりと漆黒の玉砂利が敷き詰められていた。それが黒々としていてちょっと不気味だ。
庭の広さ自体は、どこにでもある学校の、校庭の半分くらいだろうか、と思われた。かなり広々としている、といってもいいのかもしれない。そして、黒々とした玉砂利の中ほどに、池。池は、空の色を映してか、桃の皮みたいな色から藍とも紫ともつかない色に沈んでいる。その水面が凪いでいるので、風はない。
そして玉砂利の庭を囲むように、何かの木が植わっていた。植わっていたというか、生垣なんだろうか。では垣の向こうには何があるのかと言うと、いま自分が出てきた建物と同じような、寝殿造りの建物が見える。建物は渡り廊下のようなもので繋がっていて、そのまた向こうに生垣と庭があって、というように、無限に重なり合って続いているように見えた。
そうやって四方へ首を巡らせてみたりしていても、やはり自分の他に人影がない。
とがめられることが無いのであれば、もう少し庭の中の方へ歩いていってみても大丈夫だろうか、と思った。
ここがどこだかもわからなく、自分がどうしてここにいるのかもわからず、いったいどういった状況におかれているのかもわからない。そういう怖さはずっとあって、今でもびくびくしてはいるのだけれど、だからといってじっとしていても状況が変わるとも思えない。
しかしその時、ふと、あることに気が付いた。
生垣のようになっている木々。
それに、何かが生っている。
なんだろう。
そう思って、生い茂る木々の傍まで歩いてみた。自分は裸足で、袴を引きずりながらではあるものの玉砂利の上を歩くのは存外しんどかった。――しんどかった? つまり、足の裏に、不快感や、痛みに近いものを感じる。ということは――夢、では、ないのだろうか?
木々には、濃い緑色の葉っぱも茂っていた。そして、よくよく見れば花も咲いている。葉が茂り、花が咲いているのに実もなっているのか? それも、少しおかしな感じだ。
花は白く、実は、ピンポン玉よりふたまわりくらい小さい、金色の玉状のものだった。
これと、よく似たものを知っている気がする。
――キンカン、みたい?
みかんの類だろうな、と思った。みかんとは違って、とても鮮やかな、本当に金色、といいたくなるような色をしてる実だったけれど。一緒にたくさん咲いている白くて可愛らしい花からも、そんなような香りがする。柑橘系の、甘くて酸っぱいような匂いだ。
そして、感じた。
そういえば、お腹が空いているような気がするな、と。
自分がどうしていつからここにいたのか記憶がないが、ずいぶん長い間、なにも食べていないような気がした。
――これ、食べられるのかな。
どうしてだろう。ふだん自分は、木に生っている、しかも誰のものかもわからないものを、取ってたべたりしたいとは思わないはずだ。なのに、今はとても、その実を食べてみたい気がした。甘くて、美味しそうな感じがしたのだ。
この、良い匂いのせいかもしれない。
――ひとつ、くらい。
そう思い、果実に向かって、手を伸ばす。
一度指先で、ちょん、と実を突いてみると、――なぜか、果実が少し金色の光をふわりと立ち昇らせたように思えた。
薄暗い空の下にある、鮮やかな果実の金色が、そんなふうに錯覚させたのかもしれない。
それに指先で触れた途端、なにか、食欲だけではない、抗いがたい誘惑のようなものを感じた。
でも同時に、なぜか。
食べてはいけないもののようにも感じた。
颯には、なにがなんだかさっぱりだ。
しかしどうにかこうにか当日の休みを取りつけ、皇神社に戻ってみると、当主と弁護士がなにやら血相を変えてあわただしそうにしているのはわかった。
神社には、橘の当主と暁緋月もいて、なにか事情が訊けるかと思ったのだが、彼らは彼らでなんだか忙しそうにしており、とにかく柚真人に従ってくれという。
その後、弁護士が車を出すというので、自分の車は置いて、颯は助手席に収まった。そして弁護士と颯と皇柚真人と三人で、現地へ向けて出発したのは午前七時少し前。
車に乗り込むときに、一緒に持ち込んだ白いコンビニのビニール袋をごそごそやって、
「あの……あさごはん、食べても?」
と聞いたら、後部座席の柚真人がくっと小さく吹き出すような気配があった。
「お前、ほんと、和泉の息子だな。好きにしていい」
その瞬間まで、颯は、柚真人から、前夜にも増して強い迫力――とでもいえばいいのか、威圧感や硬い空気を感じるような気がしていた。けれど、それを圧して質問してみたら一瞬だけ柚真人から感じる気配が緩んだような気がしたので、ちょっとだけほっとした。
というか、そこでしみじみ和泉の息子だなと言われるのはどういうことだろう。
まあ、あの父親にはちょっとどころか相当に場や人の空気を読まないマイペースなところがある。今の自分も、そんなようなものではあったのかもしれない。だがまあ、仕方がない。どんな状況でも、腹は空くのだ。
「あの……それで、これも訊いてもいいですか。なんでまた、昨日話した事件の場所に、急に行くことになってるんです?」
颯は袋からおにぎりとコーヒーを取り出しながらうかがった。
とにもかくにもその意味がわからなかったのだ。
柚真人の答えは、
「遺体が無くなったという、その理由がわかったからだ」
というものだった。
「え!?」
昨夜は、推測するに、みたいな話に終始したと思うのだが。いったいどういうことだろう。
「あ、じゃあ、もしかして遺体が見つかりそうだ、とか?」
だからわざわざ自分が呼ばれたのかな、とも思った颯だ。しかしそこは少し申し訳なさそうにではあったものの即座に否定された。
「残念ながら、遺体はもうこの世には存在しない。確定事項だ」
それは、きちんとした確信を匂わせる声と言葉だった。
この人たちには、いったい、なにがわかったというのだろう。
颯はまだ首を傾げる。だがそれ以上の説明は、なされない。その代わりに、颯の戸惑いの気配を察しているのであろう、優麻が、ステアリングを握りながら。
「すべてが終わったら、きちんとしたことがお話できると思います。ですが、いまは一刻を争いますので……申し訳ないですが、颯くんには状況を見守っていていただければ」
「……はあ……」
「直接的には、颯くんの担当されている事件にかかわっていることではないのです。どちらかというと、これは皇家の事情によるもので、颯くんがお話してくれた事件は、ことのきっかけです。ですから……たまたま颯くんがかかわってくれていたので、お役目としては警察官として同行していただきますが、心持ちとしては陵家の次代当主として、いてください」
「……」
やっぱりわからない。
そう思いながら、颯は、おにぎりにかぶりついた。
その時、ふと助手席からバックミラーに目を遣ると、同じくバックミラーを通してこちらをうかがっていたらしい皇の当主と――目が合った。
☆
庭に、降りてみようか。
そう、思った。
ずるずるとひきずるような緋袴はやや動きづらい。
でもなんとか廊下を歩いて、廊下から庭へと降りるための階を探し当てると、そこから建物の外へと、降りてみた。
茜とも曙ともつかない色の空には、あいかわらずゆったりと硝子の龍? が泳いでいる。龍は、しかし、そこから目下の屋敷やその場にいる自分には意識が向いていないようだった。
庭は、日本庭園のようである。ただ、その色彩が少し異様で、庭園にはびっしりと漆黒の玉砂利が敷き詰められていた。それが黒々としていてちょっと不気味だ。
庭の広さ自体は、どこにでもある学校の、校庭の半分くらいだろうか、と思われた。かなり広々としている、といってもいいのかもしれない。そして、黒々とした玉砂利の中ほどに、池。池は、空の色を映してか、桃の皮みたいな色から藍とも紫ともつかない色に沈んでいる。その水面が凪いでいるので、風はない。
そして玉砂利の庭を囲むように、何かの木が植わっていた。植わっていたというか、生垣なんだろうか。では垣の向こうには何があるのかと言うと、いま自分が出てきた建物と同じような、寝殿造りの建物が見える。建物は渡り廊下のようなもので繋がっていて、そのまた向こうに生垣と庭があって、というように、無限に重なり合って続いているように見えた。
そうやって四方へ首を巡らせてみたりしていても、やはり自分の他に人影がない。
とがめられることが無いのであれば、もう少し庭の中の方へ歩いていってみても大丈夫だろうか、と思った。
ここがどこだかもわからなく、自分がどうしてここにいるのかもわからず、いったいどういった状況におかれているのかもわからない。そういう怖さはずっとあって、今でもびくびくしてはいるのだけれど、だからといってじっとしていても状況が変わるとも思えない。
しかしその時、ふと、あることに気が付いた。
生垣のようになっている木々。
それに、何かが生っている。
なんだろう。
そう思って、生い茂る木々の傍まで歩いてみた。自分は裸足で、袴を引きずりながらではあるものの玉砂利の上を歩くのは存外しんどかった。――しんどかった? つまり、足の裏に、不快感や、痛みに近いものを感じる。ということは――夢、では、ないのだろうか?
木々には、濃い緑色の葉っぱも茂っていた。そして、よくよく見れば花も咲いている。葉が茂り、花が咲いているのに実もなっているのか? それも、少しおかしな感じだ。
花は白く、実は、ピンポン玉よりふたまわりくらい小さい、金色の玉状のものだった。
これと、よく似たものを知っている気がする。
――キンカン、みたい?
みかんの類だろうな、と思った。みかんとは違って、とても鮮やかな、本当に金色、といいたくなるような色をしてる実だったけれど。一緒にたくさん咲いている白くて可愛らしい花からも、そんなような香りがする。柑橘系の、甘くて酸っぱいような匂いだ。
そして、感じた。
そういえば、お腹が空いているような気がするな、と。
自分がどうしていつからここにいたのか記憶がないが、ずいぶん長い間、なにも食べていないような気がした。
――これ、食べられるのかな。
どうしてだろう。ふだん自分は、木に生っている、しかも誰のものかもわからないものを、取ってたべたりしたいとは思わないはずだ。なのに、今はとても、その実を食べてみたい気がした。甘くて、美味しそうな感じがしたのだ。
この、良い匂いのせいかもしれない。
――ひとつ、くらい。
そう思い、果実に向かって、手を伸ばす。
一度指先で、ちょん、と実を突いてみると、――なぜか、果実が少し金色の光をふわりと立ち昇らせたように思えた。
薄暗い空の下にある、鮮やかな果実の金色が、そんなふうに錯覚させたのかもしれない。
それに指先で触れた途端、なにか、食欲だけではない、抗いがたい誘惑のようなものを感じた。
でも同時に、なぜか。
食べてはいけないもののようにも感じた。

