06
颯の携帯が鳴ったのは、颯がとちょっとで自宅――颯は毎週末父親の住んでいる実家の陵邸に顔を出すことにはしているが、基本的には独身なので、警察官専用の独身寮に住んでいる。警視庁に所属する警察官の独身寮は、おおむね都内の利便のいいところにあり、颯はこの日も車だった――にたどり着こうかというところだった。
車をいったん路肩に止めてから携帯を取り上げると、発信元は皇の弁護士だ。
あれ、さっき会ってたのに。と思って出たところが。
「――すみませんねえ、颯くん。急ぎの用が出来まして」
声はいつもと変わらずのんびりとした雰囲気だった弁護士の笄優麻だが、通話の向こうから伝えられた内容はこうだ。
「明日、お休みできますか」
「は?」
「明朝、陽が出てからでかまいませんので、もう一度こちらにいらして欲しいんですよ」
「は……あ? ええ? 明日? の、朝ですか?」
「お仕事の関係で難しいようでしたらとりあえず和泉さんに引き継いでいただいてもかまわないんですが、なるべく早く、颯くんが今日お話してくださった場所に、我々、急遽、行かなくてはならなくなりまして」
「?????」
「ただ、なにしろまだ捜査中の事件現場ですからね。何かあった時のために、颯くんに一応帯同いただけると助かるのですよ」
助かるというが雰囲気はめちゃくちゃ有無を言わせない感じではないか? というか、明日朝いちで? あの場所へ? 優麻とご当主が? なんでまた??? そういうことになるわけでしょう???
颯にはさっぱり意味がわからない。わからないが。
この通話向こうの弁護士の声色と、あの皇の当主のことを思うと。
「…………わっ……かりました……ぁ…………???」
と、応じる他にない。
車の中で答えつつ、さらには、陵が皇の一族の役割として警察関係者を輩出するようになったのはそういうことなのか――と、なんとなく薄っすらとこれからの自分にこの先課せられるのであろうことも悟ったような気がする颯であった。
☆
なるべく速く。
と柚真人が考えたのには二つ理由があった。
ひとつは、むろん司のことを想えばこそ。それを考えると、本来であれば、神刀の所在がわかった以上柚真人にとっては一分一秒でも急ぎたい。
だがもう一点は、神使たちの反応から、とあることが推察されるからだった。
神使たちは、柚真人に神刀が現世に顕現したことを隠そうとしていた。なぜか。
神使たちが司を社の巫女として慕い、認めているのであれば、神使たちとて司を早く確実に安全に取り戻したいはずである。その手段としては、柚真人を使うのが一番確実であることは神使たちも理解しているだろう。いかに、柚真人を嫌っていても、だ。なのにそうしなかった。ならばそこに理由がある。
対して司は、神刀に守られているといわれ、神刀とともにあるという。これを具体的に考えると、司の居所は、神刀の向こう側、ということになるのだろう。これは柚真人があの蟲毒のクモ女に捕まった時と同じ原理だ。ある物を介して、それを異界と現世との境目とする。境目の向こうは、別の異界だ。神刀は、そうやって司を匿った。
神刀は、速佐須良比売の化身といわれる。それはその力の現身、その力を現世にて使役するときの依り代、という意味でもあるが、つまりは速佐須良比売の力、御霊の一部である。となれば神刀の向こうにあるのは、祓戸大神の神域、根の国ということに他ならない。
根の国は黄泉ではないが、黄泉の理に支配される、死や穢れの領域にある常世である。
通常、人は死して肉の身体を離れ、生前に帯びた穢れをすっかり祓い終えた御霊の状態でなければ、そこには至れない。
だが、人が――生きたまま根の国に入り込んだとする。生きた人間であれば、生理的な欲求が在ろう。空腹を感じれば、そこで食べ物を求めるはず。しかし、根の国にあるものを食べれば――黄泉戸喫が成立する。二度と、生きて現世には戻れない。
神使たちは、そうやって彼らなりに司を守ろうとしているのだ。
そして同時に、柚真人からも引き離したい。
神使たちにとって、柚真人は、巫女である司に害をなす、司を守ることができない者、であるがゆえ。いっそ、司のことを自分たちの神域に連れ去ろうとしているのだろう。
時間稼ぎか。
司が、常世根の国の食い物に手を出すまでの。
しかも常世と現世は時間の流れが違う。根の国に司がいるとして、いまどんな状態なのかがわからないのがもどかしい。
神使たちのようすからすると、まだその時には至っていないものと思われた。けれど、だとしても、ことこれに関しては、それ以上――頼むから、なにも食べたり飲んだりしないでくれと祈るより他に術がない。
舐めやがって、と柚真人は臍を噛む。まさか己の社の神使たちとも、司を取り合う羽目になるとは思わなかった。
確かに、女神の神域に匿い続ければ、司は何者に襲われることも無く安全ではある。けれど、それでは司はたったひとり常世に捕らわれ続けることになるし、死んだも同然だ。なにより自分が彼女を取り戻したい――そういう想いがあることは、むろん柚真人も認める。が、それ以上に、そんなふうに彼女をひとり異界送りにして守ったなどと言えるものか。現世にあっても、司を正しく守ってくれる人はいる。自分の、他にも。
とはいえ、すぐさま神社を放り出すというわけにもいかない。
なので、陵颯には明朝なるべく早い時間にと連絡を取り付けてもらって、柚真人は飛鳥と緋月にも事の次第を連絡した。
神社では、日ごとの日供祭や、職員たちとの朝礼など、通常業務としてやらなければならないことがある。飛鳥と緋月には、それらの代行を頼んだ。
神刀が見つかったようだ、と伝えると、二人とも柚真人が想定していたよりは落ち着いた返答を返してきた。どうやら、近いうちに何かがあるのだろうということは、二人ともが予期していたようだった。
まあ、少し前にめったに顔を出さない他の勾玉の血脈の継承者たちが立て続けに皇神社に出入りしていたし、年末の大晦日には鎮護官がそれとなくそういう空気を匂わせていったから、二人もそれなりに心の準備はしていたということなのかもしれないが。
それでも飛鳥と緋月は、ほとんど夜も明けないうちに、皇神社にやってきた。というより、柚真人から連絡をした時点で二人とも飛び出してきたといった方が正確であったのかもしれない。そのくらいの時間には、二人は神社に顔を出した。
そして、それから遅れること数時間。
空が白み出した頃に、陵颯が眠そうな目をして、皇神社に戻ってきたのだった。
颯の携帯が鳴ったのは、颯がとちょっとで自宅――颯は毎週末父親の住んでいる実家の陵邸に顔を出すことにはしているが、基本的には独身なので、警察官専用の独身寮に住んでいる。警視庁に所属する警察官の独身寮は、おおむね都内の利便のいいところにあり、颯はこの日も車だった――にたどり着こうかというところだった。
車をいったん路肩に止めてから携帯を取り上げると、発信元は皇の弁護士だ。
あれ、さっき会ってたのに。と思って出たところが。
「――すみませんねえ、颯くん。急ぎの用が出来まして」
声はいつもと変わらずのんびりとした雰囲気だった弁護士の笄優麻だが、通話の向こうから伝えられた内容はこうだ。
「明日、お休みできますか」
「は?」
「明朝、陽が出てからでかまいませんので、もう一度こちらにいらして欲しいんですよ」
「は……あ? ええ? 明日? の、朝ですか?」
「お仕事の関係で難しいようでしたらとりあえず和泉さんに引き継いでいただいてもかまわないんですが、なるべく早く、颯くんが今日お話してくださった場所に、我々、急遽、行かなくてはならなくなりまして」
「?????」
「ただ、なにしろまだ捜査中の事件現場ですからね。何かあった時のために、颯くんに一応帯同いただけると助かるのですよ」
助かるというが雰囲気はめちゃくちゃ有無を言わせない感じではないか? というか、明日朝いちで? あの場所へ? 優麻とご当主が? なんでまた??? そういうことになるわけでしょう???
颯にはさっぱり意味がわからない。わからないが。
この通話向こうの弁護士の声色と、あの皇の当主のことを思うと。
「…………わっ……かりました……ぁ…………???」
と、応じる他にない。
車の中で答えつつ、さらには、陵が皇の一族の役割として警察関係者を輩出するようになったのはそういうことなのか――と、なんとなく薄っすらとこれからの自分にこの先課せられるのであろうことも悟ったような気がする颯であった。
☆
なるべく速く。
と柚真人が考えたのには二つ理由があった。
ひとつは、むろん司のことを想えばこそ。それを考えると、本来であれば、神刀の所在がわかった以上柚真人にとっては一分一秒でも急ぎたい。
だがもう一点は、神使たちの反応から、とあることが推察されるからだった。
神使たちは、柚真人に神刀が現世に顕現したことを隠そうとしていた。なぜか。
神使たちが司を社の巫女として慕い、認めているのであれば、神使たちとて司を早く確実に安全に取り戻したいはずである。その手段としては、柚真人を使うのが一番確実であることは神使たちも理解しているだろう。いかに、柚真人を嫌っていても、だ。なのにそうしなかった。ならばそこに理由がある。
対して司は、神刀に守られているといわれ、神刀とともにあるという。これを具体的に考えると、司の居所は、神刀の向こう側、ということになるのだろう。これは柚真人があの蟲毒のクモ女に捕まった時と同じ原理だ。ある物を介して、それを異界と現世との境目とする。境目の向こうは、別の異界だ。神刀は、そうやって司を匿った。
神刀は、速佐須良比売の化身といわれる。それはその力の現身、その力を現世にて使役するときの依り代、という意味でもあるが、つまりは速佐須良比売の力、御霊の一部である。となれば神刀の向こうにあるのは、祓戸大神の神域、根の国ということに他ならない。
根の国は黄泉ではないが、黄泉の理に支配される、死や穢れの領域にある常世である。
通常、人は死して肉の身体を離れ、生前に帯びた穢れをすっかり祓い終えた御霊の状態でなければ、そこには至れない。
だが、人が――生きたまま根の国に入り込んだとする。生きた人間であれば、生理的な欲求が在ろう。空腹を感じれば、そこで食べ物を求めるはず。しかし、根の国にあるものを食べれば――黄泉戸喫が成立する。二度と、生きて現世には戻れない。
神使たちは、そうやって彼らなりに司を守ろうとしているのだ。
そして同時に、柚真人からも引き離したい。
神使たちにとって、柚真人は、巫女である司に害をなす、司を守ることができない者、であるがゆえ。いっそ、司のことを自分たちの神域に連れ去ろうとしているのだろう。
時間稼ぎか。
司が、常世根の国の食い物に手を出すまでの。
しかも常世と現世は時間の流れが違う。根の国に司がいるとして、いまどんな状態なのかがわからないのがもどかしい。
神使たちのようすからすると、まだその時には至っていないものと思われた。けれど、だとしても、ことこれに関しては、それ以上――頼むから、なにも食べたり飲んだりしないでくれと祈るより他に術がない。
舐めやがって、と柚真人は臍を噛む。まさか己の社の神使たちとも、司を取り合う羽目になるとは思わなかった。
確かに、女神の神域に匿い続ければ、司は何者に襲われることも無く安全ではある。けれど、それでは司はたったひとり常世に捕らわれ続けることになるし、死んだも同然だ。なにより自分が彼女を取り戻したい――そういう想いがあることは、むろん柚真人も認める。が、それ以上に、そんなふうに彼女をひとり異界送りにして守ったなどと言えるものか。現世にあっても、司を正しく守ってくれる人はいる。自分の、他にも。
とはいえ、すぐさま神社を放り出すというわけにもいかない。
なので、陵颯には明朝なるべく早い時間にと連絡を取り付けてもらって、柚真人は飛鳥と緋月にも事の次第を連絡した。
神社では、日ごとの日供祭や、職員たちとの朝礼など、通常業務としてやらなければならないことがある。飛鳥と緋月には、それらの代行を頼んだ。
神刀が見つかったようだ、と伝えると、二人とも柚真人が想定していたよりは落ち着いた返答を返してきた。どうやら、近いうちに何かがあるのだろうということは、二人ともが予期していたようだった。
まあ、少し前にめったに顔を出さない他の勾玉の血脈の継承者たちが立て続けに皇神社に出入りしていたし、年末の大晦日には鎮護官がそれとなくそういう空気を匂わせていったから、二人もそれなりに心の準備はしていたということなのかもしれないが。
それでも飛鳥と緋月は、ほとんど夜も明けないうちに、皇神社にやってきた。というより、柚真人から連絡をした時点で二人とも飛び出してきたといった方が正確であったのかもしれない。そのくらいの時間には、二人は神社に顔を出した。
そして、それから遅れること数時間。
空が白み出した頃に、陵颯が眠そうな目をして、皇神社に戻ってきたのだった。

