勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

05
 
      ☆

「――ずいぶん緊張してましたねえ、颯くん」
 優麻がそんなことを言いながら、皿をダイニングテーブルに出している。
 柚真人はフライパンを手にしたところから肩越しに優麻を見遣り、
「和泉の息子にしてはずいぶんまともに育ったもんだ」
 と答えた。
 颯が食事は固辞して帰ったあと、柚真人と優麻は少し遅めの夕食の支度をしている。といってもメインはアルコールなので、柚真人が用意しているのは、簡単な酒の肴といった方がよかった。冬場なのでれんこんを辛めに味付けしたきんぴらや、だし巻き卵、日常的に時短のために常備してある茸類の煮びたしなど。
 それらを優麻が出しているとりわけ用の皿とはまた別のさらによそって、出来た順からテーブルへと柚真人が置いていく。それ
 から、箸を置き、日本酒用のグラスも一対用意する。今日は、新しく入手した日本酒を開けようと思っていたのだ。それもあって、颯も誘ってみたのだが、いえいえいえ!!! とんでもない!!! と力いっぱい誘いを跳ねのけた颯の様子はちょっと面白かった。
 (みささぎ)(はやて)が自分に対して感じているものを、柚真人は先から理解している。勘だけはやたらとするどいのに、それ以上のものを感じとる感覚を持ち合わせていない和泉の息子の能力は、柚真人にとってなかなかに惜しいものだった。柚真人としては、颯を気に入っているので、この先ももう少し可愛がってやろう、という気でいる。
「ここのところ、殺人事件自体多いですが、颯くんは南立川警察に帳場が立ったと言っていましたね」
 そんなことを言う優麻は、ダイニングのテーブル脇に立って、先ほどの颯の事件の検索を、手持ちの携帯で始めたようだった。立っているのは、単純に、柚真人がまだ座っていないからだろう。
 帳場というのは、所轄署に警視庁の刑事たちがやってきてその所轄署に設ける捜査本部のことだ。確かに、颯はそんなことを言っていた。南立川なら、この神社からもそう離れていないなと、柚真人も思ったのだ。
 柚真人は柚真人で、優麻が言うのを聞きながら、台所の一隅に置いた酒類用の保管庫から目的の日本酒の一升瓶を引っ張り出す。これは先日撤饌したばかりの吟醸酒だ。
 そしてそれをテーブルに乗せ、ぱきっ、という音を立ててその一升瓶の真新しい封を開けた、その時。
「……柚真人さん」
 優麻の声の色が変化した。
 そう感じた柚真人は顔を上げた。
「どうした」
 優麻がこういう声を出す時は、あまりいい感じのしない時だ。
 見れば優麻は、自分の携帯に目を落としている。
「優麻?」
 柚真人がもう一度呼びかけると、そこで優麻は携帯から目線を上げて、柚真人を見た。
「颯くんの事件です。……ニュース記事によると、警察は遺体を捜索中となっているんですが」
「?」
「この、場所です。捜索されているという場所。もしかしてこの場所は……」
「……なんだ?」
 柚真人はいったん酒瓶をはなし、優麻のところまでいって、その手もとにある携帯の画面をのぞきこんだ。そうしたところで携帯で閲覧できるニュース記事の内容など昨今たかが知れているだろうが――。
「――」
 優麻は、指先で画面の上、記事の一部を示した。そこには、警察は、都内ではなく隣県のとある山中を捜索中とあった。
 咄嗟にはそれがどうかしたのかと思った柚真人だったが、さらに読み進むと。
 この場所では過去にも殺人事件があり、遺体が発見されたことがある、とある。それは、この記事を作成したややゴシップ寄りと思われるニュースサイトが独自につけ足した、ちょっとした見世物要素のようであったが。
「ご記憶に思い当たることはございませんか。このあたりの山中。颯くんの言っていた、泥沼」
 言われれば、辿れる記憶はあった。
「――――……まさか」
「その、まさかでは。あれはたしか、夏のことだったと記憶してますが、まだ司さんがいらした頃、司さんが学校から連れ去られたことがありましたよね。柚真人さんは、その場所で司さんのために祓いと、場の浄化をされたはず。私も車でご一緒しましたからよく覚えています。ここは、そこではないですか?」
「ちょっ――と待て。だとすると、遺体が無くなった、というのは」
「はい。おそらく本当に、うちの神池と同じ現象が起きた、ということなのでは」
「――」
「つまり、ここに――」
 柚真人は、優麻の言葉を遮りながらその先を自分で紡いだ。わずかばかり、震えを抑えきれない声で。
「――『在る』、っていうのか。今」
それを言葉にした途端、自分の胸の奥で心臓が跳ねるのがわかった。
「皇の宮司と巫女の力の及んだ水辺に、殺人事件の遺体。遺体には御霊も寄るでしょう。女神の神刀が跳ぶとしたら、ここ、というのはありえます。物事は縁によって結びつくものですから」
「――」
 あれは、柚真人が高校二年生、司が高校一年生の、夏休みのことだったはず。部活動で学校にいた司が、消えた、と。同じく部活動で学校にいた緋月が血相を変えて言ってきた。
 司は、その時、柚真人が仕事で受けてた一枚のいわゆる心霊写真がもとで、心霊写真の撮られた場所へと跳ばされてしまったのだ。
 ああ、そうか。思えばそこはすでにその時あの場所に寄りついた怨嗟の凝りのような霊によって、時空の歪みやすい場所になっていたのかもしれない。
 そこに、皇の巫女である司が連れていかれ、柚真人の祓いが遺った。しかもあの時、柚真人は、司が捕らえられたと知り、焦りと怒りでなりふりかまわずあたり一帯から祓えるものをすべて祓った。
 皇の宮司が祓うということは、そこに黄泉への道を開くということだ。祓いが終われば道は閉じるが、痕跡は遺る。
 呪いが土地に染みついたりするのと同じことだ。
 そこにふたたび、同じような遺体、黄泉路を見失った御霊、弔われない死、人の罪、その穢れ、が触れたらあるいは。
 皇の女神の神刀は、人の穢れに呼ばれる。
 あの日、司ごと消えた神刀が、衝突し合う数多の呪術や霊力の中で突発的に開いたいわゆるワームホールのようなものに呑まれたと考えるなら、その出口に、ここはなりうる。
「いや――だが」
 柚真人は優麻を強く見た。
「もし、うちの神池と同じものが佐須良のせいで現世のどこか他の場所に存在することになったんだとしたら、うちの神使どもがそれに気づかないってことあるか? 」
 優麻はほんのちょっとだけ顎に手を当て、考えるような仕草をした。しかしそれはほんの短い時間で、柚真人の反応を探るように、続ける。
――もしかして、知っているのではないでしょうか?」
「……は?」
「そもそも皇の神刀は、巫女である司さんを守った、のでしたよね。そしてあの神使たちもまた、司さんには、一方通行の状態であっても懐いていたようでした。対して、神使たちは、貴方をどうしても社の宮司であると認めたくないようですので……」
「……司と神刀『佐須良(サスラ)』を、俺からも、隠している、と?」
 優麻は非常に頷きづらそうに頷いた。
「ひょっとすると、その可能性が、あるのでは……ないかと……」
「……ほう」
「貴方も池の神使たちとはほとんどお話をなさらないので、私もふだんからあまり彼らと関わらないようにはしています。ですが、こちらから問えばあるいは、もしかすると……」
「――――……なるほど?」
 確かに。
 宮司として大変遺憾ではあるが、その可能性を、失念していた。
 神使が、この自分からすら司を守ろうとして隠そうとするという可能性を。
 彼らがそれほどまでに自分のことは宮司として受け入れていないのだということを。
 さらには司を守れなかったという事実が、追い打ちをかけるものとなっている。
 柚真人は、優麻の言葉に納得すると、小さく、ふん、と鼻を鳴らした。そして、勢い今開けたばかりの酒瓶を手にして、大股で台所を出た。
 
 
 優麻が、
「柚真人さん」
 なにをするつもりかというような声音を上げつつ、柚真人のあとをついてくる。
 柚真人は酒瓶を携えたまま玄関の引き戸を開けて表へ出た。向かった先は、神社の敷地内にある池だ。
 そこまで行くと、柚真人はおもむろに酒瓶の蓋を開け、それを池の上でひっくり返した。すると当たり前だが中身がどぼどぼと池の中に注がれていく。つまりは日本酒が、だ。
 優麻は柚真人の隣に立っている。
 酒を全部池の中に注ぎ終えると瓶は自分の足許に置き、柚真人はぱんぱんと二拍手、柏手を打った。
「――話がある。応えてもらおうか!」 
 ひりつく気迫の籠った声だった。だが相手は端から友好的ではない神使だ。こちらも相応の姿勢でのぞむ必要がある。
 皇の社の神使は鯉なので水から音声としての声のようなものは発しない。しかし、ほどなくして池の水面が大きく揺れたかと思うと、水音を響かせながら飛沫が跳ね、
 ――ようよう気がつきおったか、鬼っ子。
 鬼子。神使たちは柚真人をそう呼ぶ。伝わって来たのは彼らの思念だ。
「てことは、やはり佐須良は現世に顕現していたんだな。――そこに、司も」
 ――うぬに答える義理はない。
 ――そうじゃ。我らは何も知らん。
 ――知らんぞ。
 彼らはそう伝えて来つつ、ばしゃばしゃと水面近くを泳ぎ回った。
 柚真人は波立つ闇色の水面を見下ろした。
 その答え方からしてこちらの問いを肯定しているようなものだと思うのだが、それでも潔く肯定する気はないらしい。神使は神使なだけあって相応の霊力や神気や威厳を持ち合わせてはいるのだが、やや思考が単純でぽんこつなところもあるのだ。鯉なので。
「貴様らそろって俺にあらいにでもされたいか」
 柚真人も柚真人で喧嘩腰を引っ込めない。柚真人としては、今現在この神社にとってももっとも一大事であろうことを、神使のくせに彼らがこちらに伝えようとしないことと、彼らの方が神刀の情報を正確に握っているのだろうということに苛立ちと焦燥を抑えきれるわけもなかった。彼らとて懐いているはずの、社の巫女、司を取り戻せるかどうかの瀬戸際なのだ。
 だというのに、神使いからは、
 ――やれるものならやってみるがよいわ。我らは神使ぞ。
 ――宮司が我らに歯向かうかえ。
 などと返ってくる。
 柚真人も完全に売り言葉に買い言葉で、
「はっ、俺を誰だと思ってんだ。おろすぞマジで」
 くれてやった酒精と柏手はなけなしの宮司としての敬意だが、神使とであれば対等にやり合えるくらいの自覚もあるのだ。
 ちなみにこの会話を黙って聞いていた優麻は、若干こどものケンカのようだな、と思っていたが、むろんそんなことを自らの主人本人に言えるわけもない。そもそも柚真人と神使は初手から司を巡って最悪の状態なので、どちらも譲るわけもなく、また根のところでは信用もし合っては居まい。そんな宮司と神使の在り方は前代未聞だ。
 だが。
「――確定だな」
 柚真人は、なおばしゃばしゃとあらぶる水面を、もはや睥睨の目つきで眺めおろしながら、そう口にした。
 その声には、言い現しようのない、なんとも言えない感情と、歓喜とが滲んでいた。
 間違うな。見誤るな。必ず。そう忠言されたその道筋の端を、確かにつかまえた。――という確信とともに。
「待ってろよ」
 それは、神使たちに向けた言葉のようでも、宣戦布告のようでもあり、また今はまだここにはいない司に向けた宣誓のようでもあった。
 柚真人は置いた空の酒瓶を取り上げると踵を返し、
「――優麻。もう一度、陵に連絡だ」
 隣に静かにたたずんでいた、長年の相棒にそう向けた。