勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

04
 
 
 そんなわけで、それから三日後、皇の当主との面会のアポを取りつけ、颯は神社にやってきた。
 そして、鳥居をくぐると、夜の闇にすっかり包まれた神社の境内をじゃりじゃりと歩き、本殿脇の小道を抜けて、颯は皇邸の玄関前に立った。
 インターホンを鳴らすと、少しの間があって、上がってこい、という声がした。その声に従い、引き戸に手をかけると、鍵はかかっていなかった。
「お……じゃまします」
 すると、三和土から応接間へと折れていく廊下の角から、皇の当主とは別の、しかし見知った顔が颯を出迎え、
「お待ちしてましたよ。先日の神葬祭ぶりですね」
 笄の当主だ、と颯は思った。彼が弁護士であるということは知っている。それに、笄の家は、陵と同じ理由で現在は法曹を輩出している家だということも。
 その笄の現当主、優麻がそのまま引っ込んでしまったので、したがっていいのだろう、と思い、颯は靴を脱いで上がった。優麻がいた廊下の方へ曲がると、応接間があり、襖も開いている。ひとつ、なんということはなく深呼吸してから、
「失礼します」
 と発して、足を踏み入れると。
「――来たか」
 いつも――というか、颯の記憶の中にある限りでのいつもということにはなるのだが――とは違って、神職服姿ではない、その人が応接間のテーブルを挟んで向こう側に端座していた。
 颯がちょっとだけ息を呑んだのは、そういう恰好だと、大学生かそのくらいの青年にしか見えないな、この人、と感じたからである。
 これで四十をすぎているというのは、やっぱり無理がある。本当は同じ歳なんじゃないかと思う程度には。いったい、どういうしくみなんだろう。颯が知っているのは、この人はこういう存在だ、ということだけである。しかしではそれ以上は知らなくてもいいことなんだな、と納得できるのが、颯の勘の良さでもあった。
「いま、お茶を淹れて来ます。颯くんはどうぞ、そのままお座りください」
 そう言ったのは、皇の当主――皇柚真人の隣に立っていた、優麻だった。優麻はそのままいったん部屋を出て行ってしまうので、颯はいいのかなと戸惑いつつ、言われた通り、柚真人の対面に腰を下ろした。
「楽にしてくれていいぞ。お前の親父なんて、むかしから毎度ひどいもんだからな」
 柚真人はそう言って、たぶん見るからに緊張がうかがえるのだろう颯に向かって苦笑いするような表情になった。だが颯としてはムリ! と思うし、親父ィ! と思う。
「変わった事件の話だって?」
 続けて柚真人が向けてきた。
「あ、ええ、はい」
 颯は慌てて頷いた。
「和泉が、事前に連絡を寄こした。それから、自分はそろそろ引退したいから、この先も使えそうなら、陵の人間としては、息子のお前を使ってくれと」
「――」
 うわ。あのクソおやじ。颯がそう思ったのは、言うまでもない。
 いい機会だし、と言っていたけれど、そこまで考えてのことだったのか。まあ最近、うすうすそういう圧力を感じていないわけではなかったけれども。
 柚真人は、たぶん一瞬で、そういう颯の内心を看破したろう。
 この人にはそういうところがある、と颯は感じている。そして、そういうところもきっと、こわいのだ、自分は。
 見透かされる。嘘がつけない。そんな空気を、肌で感じるとでもいえばいいのか。
 ちょっと面白いものを見るような表情を、向けられているような気までした。そして柚真人は、颯の品定めも含めると宣言でもするみたいに、切り出した。
「警察に認知されている事件がらみなら、あいつもいた方がいいだろうと思って、呼んでおいた。ということで――話を、聞こうか」
 
 
 遺体が見つからない殺人事件。
 これについての話を颯が話終えると、柚真人はひとつ、ふうん、と頷いた。
 途中で笄優麻が日本茶を淹れてもってきたので、そのお茶を、颯も啜る。優麻は、今は柚真人の隣、少し後ろに控えて座っていた。このご時世に、本当にどこか古臭い主従然としている二人である。
「あの……これって、いわゆる怪談の類なんでしょうか?」
 そんなふうに、思わず颯は尋ねてしまった。 
 やや身を乗り出すと、柚真人はちょっとだけ後ろの優麻と目を合わせた。
「それはわからんが、うちの水葬の話とちょっと似ているな」
「すいそう?」
 聞きなれない言葉であったため、颯は思わず訊き返してしまった。
 柚真人はそんな颯の様子を汲んでか、説明してくれる。
「水、に、葬る、で水葬だ。それ自体は、知っているか?」
「……水、ということは、川なんかに遺体を流す、ということでしょうか? 昔のやり方で、そういうこともあったんだろうな、くらいの想像はできますけど」
 完全に漢字の具合で想像した。すると柚真人は軽く頷いた。
「まあ、そういうもんだな。あとは、湖や海とか。じゃあ、うちの水葬、については? 和泉あたりから聞いたことはあるか?」
「???」
 うちの? 颯には、咄嗟に意味がわからなかった。
 なので素直に首を振ってしまう。横に。
 うちの、というのがまずわからない。推察するに、皇家の、ということになるのだろうか。
「先日、うちで神葬祭を執り行っただろう? 今回、維月の遺体は無かったから埋葬祭は無く帰霊祭をしたんだが、本来なら皇の家に生まれた人間はうちの神社にある池に水葬されるしきたりになっているんだよ。水葬すると、遺体は池の中で無くなる――簡単に言えば、遺体ごと水に還るという仕組みになっていてな」
「――――」
「颯。話、わかるか?」
 柚真人にうかがわれたのは、颯が話の中身を上手く受け止めきれなくて、黙ったまま何回か自分のなかで反芻してしまったからだろう。
 水葬? の? しきたり? 
 で?
 遺体が、水に還る? とは?
 考えたあげく、柚真人に応えて口から出たのは、
「――そもそも日本の法律で、水葬は禁止されているはずです」
「そこか。そこはそれ、まあ、ちょっとした特例というかなんというか。法律の域外にあることもあるんだよ、世の中には。そもそもうちの稼業だってそうだろ」
 まあ百歩譲ってそれはわかる。わかるが、だ、
「いやでも。遺体が、無くなる? 無くなるんですか? そんなはず――」
「普通は、そんなはずないよな。だからお前だって俺のところに話をしに来たんだろ。けど、うちの神社ではそういうことになってる。ちゃんと消えて無くなるんだ。そういう仕組みがあって、な」
「――ええ……」
「だからその話に似ているなと思ったんだよ。ただ、うちの水葬は皇神社の神域にある池があればこその話だ。だから、お前の話にはまた別の何かがあるんだろうが、現象としてはありえないことでもないんだろう」
「はあ……」
「そうでなかったとしても、その事件の遺体を棄てた場所に、人の屍肉を喰らう何かがいたとする。それでも遺体は無くなるだろう」
「……そんな、それこそ怪談じゃないですか」
「たが、そういった類のモノは居る。うちの仕事ではかかわらないが、居る居ないでいったら居る、ってことは、お前も理解できるだろう?」
 否定したくとも、颯にはそれを感知するだけの感覚は備わっていた。この世には、何か得体のしれないものがいて、それは人や生き物の霊だったり、付喪だったり、あるいは他の何かであったりするのだ。それが何かということまでを知る力は、颯には無いが、死者に対しての皇と同じようにそれらのものと対峙する能力と役割を持った人間がいることも知っていた。
「――むしろ、そっちの可能性の方が高いのかもな。維月の葬祭があったばっかだったから水葬のことをつい考えたが……」
 柚真人も、自分で口にしてみてあらためて考えると、というような口ぶりだった。
「となるとその話をそっち方面に回してやってもいいんだろうが、どのみち遺体が無いってのが――警察としては、困るんだよな?」
 とも柚真人は続け、颯は頷いた。
「まあ――そうですね。原因はなんであれ、本当にそんなことがあるんだとしたら、遺体をその場所に棄てたという犯人の供述に虚偽はなくて、でも遺体はもうどこにもない、っていうことになりますよ――ね」
「見つからないなら、そういうことになるんだろうな」
「ですが、犯人は犯行を自供しているんですよね? でしたら、事件としての立件は可能でしょう。犯行そのものを否認している場合には遺体が重要になってくるでしょうが……とりあえず他の証拠を、固めていくしかないかもしれませんね」
 そういったのは、弁護士業を営む優麻だ。
「被害者遺族には、納得しがたいことになるかもしれませんが」
 問題としては、そういうことも考えられた。報道にだって問題は生じるだろうし、公判になれば被害者弁護士が何を言い出すかわからない。ただ、そこはそれこそ警察やその後の立件を担当する検察の問題であり、いま颯の目の前にいる皇の当主にはどうにも関わりようのないことであろう。
 そのあたりで面談を終えた颯は、皇邸を辞することにした。
 もともと、この面会だって父親が仕組んだようなもので事態の解決になるわけではないことは颯にもわかっていたし、それでもこの奇妙な事件を介して陵の家に属する警察官として、はじめて皇の当主と面と向かえたのはよかったんだろう――そんなふうに、颯は思った。
 話を切り上げて頭をさげると、仕事あがりでまだなにも食べていないなら、ついでにうちで何か食べて帰ってもいいが、と。皇の当主にはそんなふうに言われたが、そんなことできるわけがない、と颯は断った。
 聞けば夕食は柚真人と優麻もこれからだと言って、用意するなら二人前も三人前も同じだから、とは言われたのだ。真っ先に思ったのは、この人自分で料理する気??? この家の御当主様が??? ということだった。
 だってあまりに想像がつかなかった――から。もうひとつ思ったのは、傍にいるだけでもこれだけ緊張してるのに対面して飯なんか食えそうにないんですけど??? ということだったが、それをまるっと口に出すのはさすがに思いとどまった。
 あいかわらず、皇の当主の近くにいると、ぞわぞわする。生理的に、本能的に、すごく危険なものの近くにいるようで。だが父親の和泉が引退するというのであれば、しょうがない。
 この感覚にも慣れないといけないということなんだろうなあ。そのうちには。
 などということを、颯は、帰路、神社の境内の玉砂利を踏みしめながら考えていた。