勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

02
 
      ☆

 年が明け、三が日が明け、小正月が過ぎてから、皇神社で暁維月の葬儀が執り行われた。
 すでに維月(いつき)の亡骸は無かったので、行われたのは儀式的なものだけであった。
 しかし、それがひとつの切欠となって、しばらくそれぞれ方々に疎遠となっていた皇の一族に名を連ねる者たちが、顔を合わせる機会にはなった。
 現状、皇神社とその職務は、ほぼほぼ皇家と現当主である皇柚真人の一任となっている。ゆえに、普段、神社に顔を出す一族の人間は、神職である橘飛鳥や暁緋月、そして顧問弁護士の笄優麻くらいのものである。
 だが、直接に勾玉の血脈としての職務にはかかわらずとも、一族の各家々は、その支えになることを目途として現代社会に適応した表の顔を獲得しており、それなりにその職域で活動しているのだった。
 暁の家は、先日、処断の対象となった圭吾や緋月の義姉である水月(みつき)がそうであるように、精神医学方面の医者を輩出しているし、現在では大きな病院も抱えて経営していた。現在、そちらの経営を担っているのは水月だ。そして暁家の、当代の神職能力を継ぐ当主は、緋月ということになる。緋月の前の代となると、緋月や水月の祖母までさかのぼることになり、暁圭吾にとっては――己が家の当主として能力を継いでいなかったことが、まず圧力になったようだ。
 式が終わり、一族の人間が境内から散っていくと――もちろん、それぞれ、当主である柚真人には、挨拶をしたり、頭を下げにいったりしている。
 一族の中には、柚真人の事情を知るものと知らないものともいるのだけれど、知らない者は、そもそも今日の葬儀に参列していないだろう。
 今回の葬儀においては、遺体が無いので、式はこれで終わりだ――緋月は、父親と母親が突然失踪した日のことをぼんやりと考えた。薄く暮れ始めている冬の黄昏色の空へと目を遣りながら。
 それまで、何の不審もなく暮らしていたと思っていたが、思えば父はほとんど病院から帰ってこないような、仕事中毒の人間だった。
 母の維月は、おとなしくひっそりとした人だったが、今になって考えると、それまでの間に起きていたはずの皇の家の中での出来事を思うとあれはおとなしいというより何かに怯えたような態度であったのかもしれない。
 あの頃、子供だった自分や飛鳥は何も知らなかったが、大人たちは知っていたはずなのだから。皇の家で過去に何が起き、皇柚真人が一体何者としてこの世に生まれ出たのかということを。
 柚真人にはじめて緋月が出逢ったのは、確か七歳になった時。
 その経緯や前後の記憶は、あまりはっきりと緋月も覚えてない。ただ、緋月は柚真人に会った時、なんとなく未来の自分がどうなるか理解したような気がした。そうして、実際、その通りになっている。
 その時から今までの間で、自分が柚真人に向けている感情が、いわゆる恋のようなものであった期間も確かにあったと緋月は自覚していた。しかし、それはさして長い期間のことではなく、自分のその感情は、すぐに、別のものへと変わっていった。
 恋、という感情は、自分が柚真人に向けるものとしてはふさわしくないものだと、緋月はすぐに理解したのだ。それはあまりに、自分の中では俗っぽすぎた。自分の恋というものと、皇柚真人という存在が、あまりに釣り合わない気がしたというか。
 自分の恋という気持ちは、皇柚真人のところまで届くようなものではないなと感じたというか。その一方で、他でもない柚真人自身が、道ならぬ恋に身を焼いていることにも、緋月はうすうす気がついていた。むしろだからこそ、自分ではない、この程度の恋心ではあの人になどまったく届きはしないのだと、悟らされたといえるのかもしれない。
 願わくば、その苛烈にしてあまりにも苦悶と懇篤に満ちた恋情に、彼の求めた存在が、見合ったもので応えてくれますように。今の緋月は、そう願うばかりである。
 自分は、この一族に生まれたものとして、一族の主たる彼を、支えてゆければそれで良い。
 その感情は、おそらく神職が祭神に捧げる奉仕と基を同じくするものだ。
 言ってしまえば、父と母には、それもわからなかったのだろう。 
 だから、無暗に畏れるしかなかったのだ。一卵性の双子の間に、強姦という罪によって生じ、わずか半年ほどの懐胎期間で生まれ、鬼の生まれ変わりであるとの伝承を背負い、まるでその証であるとでもいうべき稀代の霊力をも備えていた、皇柚真人という存在を――。


 少し懐かしく昔のことにも想いを巡らせ、緋月が冷たい一月の空気を大きく吸い込んだ時だった。
 近づいてくる人の気配を感じて、緋月はそちらの方向へと、目を向けた。そこにいたのは、喪服姿の、見た感じは現在の柚真人と同じくらいの年の頃を思しき青年だ。
 その青年を、緋月は知っていた。
「――あら、(はやて)さんではありませんの」
 颯は、(みささぎ)和泉(いずみ)の令息だ。
 和泉と、息子の颯が今日の神葬祭に参列していることは知っていた。おおかた、父親の和泉の方が柚真人のところにでも行っていて、手持無沙汰だったのだろう。
 あと、颯は少し柚真人が怖いようである。そのことも緋月は知っている。なぜなら、颯には少しばかりの霊感があり、緋月がときどき、幼い頃から颯の悩みを聞いてやったりしていたからだ。
 颯の霊感は、しかし皇の職務を継ぐにはあまりに弱く、緋月の姉の水月と同じように、今は陵の家の表の稼業を継いだはず。
「お久しぶりです。このたびは――」
 颯はそう言って、軽く緋月に頭を下げた。
「和泉さんとご一緒にいらしたのですわね」
 緋月が尋ねると、颯は頷いた。
「はい。親父は、御当主のところに。お前も一緒に挨拶に、って言われたんですけど。オレ、どうーしても、あの人のことが苦手で」
 やはり、と緋月は思った。
 あの人、と颯がいうのは、柚真人のことに他ならない。
 だがまあ、そもそも柚真人がだからといってそれをどうこう言うような皇家の当主では無かったし、柚真人自身も颯のことについてはなんとなくどうしてそうなのか理解ているところがあるようだったから、緋月も苦笑してそれを受け止めた。
「かまいませんわよ。それに、まだ陵の御当主は和泉さんですし。――お母さまや他の御親族の方々は、息災でいらして?」
「ああ、ええ、はい。おかげさまで」
 颯には、本当にちょっとしたものだがときにするどい霊感がある。それが逆に仇となり、柚真人に対して生理的な恐怖心や忌避感を覚えざるを得ないのだ。
 うちの仕事に直接的にかかわらないなら、別に俺ともかかわらなくていい、というのが柚真人の言い分であった。
 もっとも、自分とほとんど同じ年齢にしか見えない相手がもうとうに四十を越えているとか、子供の頃から逢っているのにずっと容姿が変わらないとか、そういったことを考えれば颯でなくともちょっと不気味に感じる者は感じるだろう。
 他の、世間一般の、神社とかかわる人間が、今のところそのようなことをあまり感じないでいるのは、ひとえに柚真人の誤魔化し方が上手いからである。けれど、一族の人間には、柚真人はなにも誤魔化すことがない。
「――あ。でも」
 そんなふうに、ふと颯がいったので、緋月は何か? と颯に向かって首を傾げた。
 颯はちょっとうかがうように、
「あー、でもでも。そっか。もしかして、もう聞いてたりします?」
 なにを? と思った緋月に、颯は続けた。
「今の、オレの配属先。御当主には、連絡いってるのかな、って思うんですけど」
「いいえ」
 緋月が首を小さく横に振ると、颯はどこかぱっと顔を明るくした。
「なら、これは、緋月さんに直接お知らせしておきたいかも」
「なんですの?」
 重ねて尋ねると、颯はちょっと溜めたような間のあとで、
「去年の秋の異動で、本部に転勤になったんです。ええと、警視庁の、捜査一課に」
「まあ」
 颯は現在24歳だ。確か高校を卒業してすぐに警察官になったはずだから、その年齢と経歴で、となれば見事なものといっていいだろう。
 陵家はもともと多く警察関係者や官僚を輩出している。当代当主の和泉もキャリアだし、颯もその気になればそういう道もあっただろう。けれども颯はそれを好まなかった。警察官になるのなら刑事がいいし、だとしてもキャリアには興味がないということで、和泉もそれを許したのだ。
「それはおめでとうございます。なにかお祝いを差し上げたいですわね」
 緋月がいうと、颯はどこか誇らしげな表情になった。
「おーい、むすこよ!」
 という声がしたのはその時で、声の方を二人して振り向くと、陵和泉が手を振りながら二人の方へと歩いてくるのが見てとれた。
 境内はだいぶん暗くなり、人影も少なくなっている。このあと皇邸では直会(なおらい)――葬祭の後の会食だ――も予定されていたが、そこに残るのはだいたいいつもの面子だろう。
 和泉も、颯のところまでやってくると、
「このあとどうする? ご当主は直会があるっつってるけど」
 と息子に向けたが。
「オレは遠慮しとくよ。明日も早いし。ただ、オレ、車、乗って帰っちゃうけど……父さんどうする?」
 それを聞いた和泉は、うーんとわずかはかり考える素振りを見せたものの。すぐ、緋月にひょいと片手を立てて悪いな、というような仕草をした。
 颯の車に乗せてもらって帰るから、ということらしい。
「おねーさんによろしくねえ」
 和泉にいわれて、緋月は二人に苦笑いを返した。
 義姉の水月と和泉とは昔からよくつるんでいる。
 水月に言わせれば好き好んでというわけではないということだが、この二人が悪友関係のようなものであることは緋月も了解していた。
  
 
 その颯が――ふたたび皇神社を訪れる羽目になったのは、しかしそれからほどなくのこととなる。