勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

10

      ☆

 チ、と柚真人は舌打ちをした。
 防戦一方の柚真人に対して、いいかげんクモ女が焦れだした。柚真人の柏手に何度も退けられているうちに、クモの尻の部分の先端から、糸を吐き出しはじめたのだ。
 糸は気がつくとぐるぐると神社の境内と見える景色の中であちこちに張り巡らされだしており、よくよく見ると柚真人が逃げ回ってる足元にもときおりキラキラと光って見えるものがある。
 これに足を取られたら厄介だな、と柚真人は思った。動きを封じられると面倒だ。
 最悪、どうしようもなくなったら緊急避難的な言い訳を主張してでも自分の身を護る気はあるが、司についてのことを示唆しているものと思われる、あの女――桜の気になる言葉がある以上、できることならいまこの時期に鎮護官どもからの処分を受ける状況は作りたくない。
 とはいえ状況は刻々悠長なことをいっていられるものではなくなってきており、どうしたもんか、と柚真人が思った時だった。
「――!、?」
 ふとした違和感があり、一瞬、自分の重心がズレたような感じがした。
 これは、さきほど自分がクモ女の異界に捕らわれた時と同じ感覚だった。
 なんだ? と思ったその瞬間、である。
「真面目にちゃんとやりなさい、雅。でないとあなたも暁と同罪になりかねないわよ。――あと、これ。霊視える人間の目には霊視えてるものだから、変に人目につくまえに、時短で頼むわ」
「わかっているわよ」
 柚真人は声に振り向いた。
 それと、ものすごい風圧のようなものが、自分の傍らを抜けてゆくのが同時だった。
「――!? な、なに!? なによあんた、どこから――」
 続いて聞こえた動揺の声は、クモ女のものだったろう。
 だがそれも一瞬のことで。
 おそらく、相手は、悲鳴を上げる間も無かったのにちがいない。
 また柚真人が、もともと見ていた方向を振り向くと、つい今の今まで対峙していた厄介な化生はすでに真ん中から真っ二つに裂かれた状態で、その霊力でできたクモと人の体を急にバラバラになった粒子のように散らしていくところだった。
その足もとには、すでに、手にした剣を鞘に納めようとしている、黒髪をわずかに乱した神職服の女。
「――(みやび)……」
 柚真人はその名を口にした。
 先ほど、自分の前世の中にある、かの退魔の巫女なら、このような化生、一刀で、と思った。だが現在においても、それが可能な退魔の巫女はおり、そのうちのひとりがこの――神薙(かんなぎ)(みやび)だ。
「ざまないわね」
 雅は、柚真人に背を向けたまま言った。
 それに対しては柚真人の背後から、
「でもまあ、ここは褒めるべきじゃないかしら。皇の現当主の理性の賜物だわ。貴女の思惑とは、違った結果になったわね」
「!」
 さり、さり、と玉砂利を草履が踏みしめる音が近くなって、柚真人の隣に彼女――高徳寺桜が並び立った。
 柚真人の隣までやってくると、小さな声で、柚真人に聞かせるようにだけ、どこか労うようにいう。
「――良く耐えたわね。見たところは何事もなく無事のようだけど……さすがにちょっと焦っていたでしょう」
「――んなこた聞かなくたってわかるんだろ。……ていうかお前ら。俺をハメたのか」 
 桜は、なんとも答えなかった。
 が、雅に向かってかけられた桜の言葉で、柚真人はいろいろともろもろと察することができた。
 そもそもこれだけの事態、なぜ未来視《さきみ》の巫女が柚真人に警告を発してこなかったのか、と柚真人は思ったが、まあ、それもそのはずということになるのだろう。彼女たち――ひいては鎮護官たちの目的は、あのクモ女を処分すること。あのクモ女を、ここにおびき出すことだったのだ。
 つまり、柚真人はおとりにされた。
 クモ女と暁の関係も、上にはすでに把握されていたのだろう。
 考えてみれば――暁は、蟲毒を行い、それでもって作り上げた虫に、自分の妻の肉と霊力を与えた。まずそれが、皇の一族の者として、勾玉の血脈の継承者として、到底許される行いではない。というより重罪だ。人としても、普通に刑法犯である。
 鎮護官たちは先に暁圭吾に探りを入れ、その行動を密かに監視していたのだろう。そして、暁の動きを知り、泳がせることにした。クモの化生を封じた箱をここに持ち込んだあの男のことも、その不審な死も含めて、すべては把握されたうえでのことだった。
 おまけに。
 先ほどの桜の口ぶりからすると。
 雅としては、さらに柚真人が痺れを切らし禁を犯して自力で化生を始末してくれることを期待していたようだ。
 なるほどなあ、と柚真人もやや呆れたように思うより他なかった。神薙雅は、皇柚真人を、鬼として見ており、皇の宮司から排斥したいともっとも強硬に考えている退魔師のひとりである。
 ここはひとつ、怒っても許される場面ではあるんだろう。
 が。
 雅の敵意のまっすぐさとあまりにもあまりな容赦のなさに、深い納得を覚えてしまい、そういうことだったのかと肩を落とす気持ちの方が、柚真人の中では強くなってしまった。
 それに、わからなくもないのだ。雅が自分に向ける敵意については。
 そして、基本的には柚真人と似たような立場にあるともいえるはずの桜には、こう向けた――くるりとその場で踵を返し、こちらに向き直って歩いてくる雅の姿を見つめながら。
「いちおう礼をいうべきなんだろうな、あんたには。あいつのお目付けで来てくれたんだろ」
 すると桜は、横から涼やかな声で応じた。
「雅自身も、あぶなっかしいからよ。――でも、貴方がそういうのであれば、ひとつ貸しにしておくわね」
 うへ。
 というような顔だけを、柚真人はした。
 その時、
「おおーい、柚真人!!!」
 今度はそちらの声の方を向けば、じゃりじゃりと玉砂利を蹴り上げて社務所の入り口から出てくる飛鳥だ。
 その後ろから、緋月と優麻もやってくる。
「なにあれ!! なにいまの!!!」
 とは、飛鳥たちの目にはたぶん一瞬だけ突如として現れたように見えただろう巨大なクモのことだろう。
「おばけだったよね!? なんかこう、でかいのいたよね!!?」
「…………」
 雅のおかげで、その後で化生は文字通り瞬時に霧散した。飛鳥たちがその姿をはっきり見なかったのは、幸いだった――、真面目な話。
「ていうかさあ! お前、いままでどこにいたの!!! なにしてたの!!!」
 そう言われて、どこから説明したもんかな、と柚真人はちょっと考えた。