06
そうでもなければ、これだけの妖気瘴気をだだもれにした化生のクモ女が自分を突け狙っていたのに微塵も気がつけないはずが無かった。
おまけにこのクモ女をすっかり封印した状態で、皇神社の内部に運び込むことができた、こいつ曰くの主人がいる。
となれば、その主人という何者かは、満を持してこの行動に及んだはず。ある程度の手間暇をかけて、この状況、このクモ女を作り出した。そう考えるのが順当だ。
「お前とお前の主人とやらがどれだけ俺の不興を買ったか理解してもらうぞ。しっかもこのクッッッソ忙しい時期に」
それは柚真人の吐き捨てだったが、するとクモ女の嘲るような笑い声が上から降ってきた。
「だからぁ、それはあなたにはできないでしょう」
おう、お兄ちゃんからあなたに呼称が変わったな、と柚真人は思った。化生の正体を現すのと引き換えに、こちらを騙そうとする擬態が緩んだらしい。
「あなたはこの宮の宮司。そうあらねばならない。そのはずよね」
クモ女は続けた。
逆に、柚真人は内心でやはりと考える。
先ほども同じようなことをこのクモ女は柚真人に向けたが、だとするとこいつの背後にいる人間は、柚真人のことをよく知っているということになる。
柚真人がこの宮の宮司であるためにうけている拘束。その意味も理由も知っている者。そうなると、考えられる者は限られる。
その時、柚真人はもうひとつのことに気がついた。
このクモ女は、封印されてこの神社に持ち込まれたが、その封印を解いて活動を始めた。今は己が作り出した異界の中に柚真人を取り込んだ状態でいるが、それまでの間に、神社の境内を守る神気や保管庫の清めや結界に触れているはずである。なのにその中でも宮司の柚真人になにも感じさせずに、自由に行動できたというのか。
妙だ。
妙だが、柚真人は直感してしまった。
ここは皇の社だ。
したがって、皇の――勾玉の血脈を継ぐ者であれば、皇の社は拒まない。出入りは自由。
もしや。
そのために。
こいつの主人はこいつを作った。
のか。
つまり。
いや、いくらなんでも、という考えと、そう考えれば辻褄はあう、という考えが柚真人の中で交錯した。
鬼である記憶と前世をもつ自分がそう思うのもどうかと思うが、そんなことは鬼畜の所業だ。考えられない、というより考えたくない。
「……おまえ、維月を喰ったのか」
柚真人はクモ女にそう向けていた。
維月、とは。
皇の先代次女。
柚真人の、実の叔母にあたる。
すなわち。
暁の。
その第一子が皇一族の一翼を担うにふさわしい神職能力を持たずに生まれた娘だったため、暁に神職能力を継ぐ子をもたらすために後妻として嫁いだ、暁の嫁。
暁圭吾は、そもそも柚真人に呪をもたらした張本人だ。そして、柚真人が高校生の時に、その維月とともに行方不明になった。
行方は、もちろん捜索された。しかし、どこへ消えたかわからぬままに時が過ぎ、現在に至っていたのだ。
その暁圭吾がこれを仕組んだのだとしたら。
話は合う。
なにしろ、足りない霊力を現代医学で補い、柚真人の魂をふたつに割ってのけた男だ。だがそこまで――執拗に、醜悪に、今になって、ここまでして、柚真人に敵意をぶつけてくるのか。
それ自体、己に敵意が向けられること自体については、柚真人には何ともおもわない。ただ、暁がそこまでするのか、というのがやや衝撃だった。
それと、叔母が、こんなものの餌食にされてしまっていたということも。
圭吾と維月がどのような夫婦だったかはよく知らない。知らないが、彼らは緋月の両親である。緋月は、少なくとも圭吾が行方不明になるまでは、暁の家でこの両親に育てられていた。そのことを思うと、暁圭吾はいったい何を考えていたのか、という気分になる。
それと――これについては何も予見がなかったのか、桜御護のお姫さんよ。
桜御護は勾玉の血脈の未来を霊視る巫だ。したがってなにか大きな出来事を彼女が予見したときには、その予見にしたがって連絡が来たり、ほかの巫が動いたりする。たとえば、柚真人の両親がこの社で殺し合った時や、柚真人の覚醒があって司が襲われた時のように。それとも、そんな桜御護の未来視すらなんらかの方法でかいくぐったとでもいうのか、暁圭吾は。
ところが、クモ女はうふふとまた笑って、
「喰ったんじゃないわ。育ててもらったの」
この俺が。
うへえ、と思うようなことを言いやがる。
そう思い、柚真人は相手を睨みつけた。
☆
時間にして、三十分くらいは経ったろうか。
ちょっと外す。
そう言って柚真人が社務所を離れてから、けっこう経ったよな、と思った飛鳥だった。
「……ねー、緋月ちゃん。柚真人のやつ、遅くない?」
と、飛鳥は緋月にうかがった。
緋月にうながされて携帯を見て、どこかへいったものと思われたものの、三十分も宮司の姿を見ないほどにはこの神社は広くはない。
神社の外へ出る必要がある場合は、飛鳥か緋月にその旨まで伝えてから席を立つであろう――柚真人なら。何の用事で何をしているのだろう、と考えていると、緋月も、
「言われてみればそうですわね」
そこへ、だった。
境内から、社務所の方へを駆けよってくる、見慣れた姿があった。銀縁の眼鏡にダークスーツの、少し細身の男性。優麻だ。
あれ、こんな時間にめずらしい。
優麻がやってくるということは、たいがい、皇の勾玉の血脈としての仕事が稼働していることを意味する。けれど今日は、柚真人も、何もいっていなかったはずだけど。
と訝りつつ、飛鳥は優麻を出迎えるために社務所を出ようとした。しかしそれよりも早く、授与所の窓口の方から、優麻が中を覗き込んだ。ふだん、優麻があまりすることではない。それだけでも意外で、え、と飛鳥はやや驚いたのだが、
「――柚真人さんは。どちらに」
そう言った優麻の声は、普段通りの穏やかなものであったが、やや抑えた切迫感のようなものも感じた。それは同じくその場にいた緋月も同じであったらしく、そういうときは緋月の方が反応が早い。
「いま、外しておりますわ。先ほど携帯をご覧になられて。柚真人さまが、どうかなさいましたの?」
「それは、おそらく私です。柚真人さんから、調べるように仰せつかったことがありまして」
優麻は、緋月と飛鳥を見返していった。
「?」
「それで、取り急ぎ折り返して柚真人さんにお知らせしたいことがありまして連絡を。ですがその後の返信がありませんので」
とすると、優麻は柚真人からの返信を待っていたのに、そのうえで直接ここに来たということだろうか。そう思い、
「なにか急ぎの用だった?」
飛鳥が尋ねると、優麻はさらに声を硬くした感じで答えた。
「違います。いえ、急ぎと言えば急ぎですが。柚真人さんには、警戒をお願いしたんです。先日、柚真人さんがお引き受けになられた祓い事の一件で、不審な点がありまして」
「え」
「――柚真人さまは、その連絡をご覧になってすぐにどこかへ行かれましたが、お戻りになっておりませんわ」
「――」
嫌な予感は、その時、三人三様、胸の中に湧いただろう。
だが同時に、柚真人に限って、とも過る。
当然だ。皇の宮司が、己の社にいて、その身に何が起こるという。
いや、呼べばそのへんから顔を出すはず。飛鳥はそう思ったが、優麻の様子は飛鳥のそんな考えを肯定する雰囲気ではなかった。どちらかといえば、よりいっそう焦った様子で。
「――すみません。おふたりは仕事もありますでしょうから、そのままで。私が柚真人さんを探します」
優麻はそう言って、社務所を離れようとした。
優麻の様子がどうもいつもとは違う。そう感じたのはむろん緋月もであったのだろう。その後を、
「優麻さん! 私もご一緒いたしますわ!」
緋月がそう言って、追いかけた。
そうでもなければ、これだけの妖気瘴気をだだもれにした化生のクモ女が自分を突け狙っていたのに微塵も気がつけないはずが無かった。
おまけにこのクモ女をすっかり封印した状態で、皇神社の内部に運び込むことができた、こいつ曰くの主人がいる。
となれば、その主人という何者かは、満を持してこの行動に及んだはず。ある程度の手間暇をかけて、この状況、このクモ女を作り出した。そう考えるのが順当だ。
「お前とお前の主人とやらがどれだけ俺の不興を買ったか理解してもらうぞ。しっかもこのクッッッソ忙しい時期に」
それは柚真人の吐き捨てだったが、するとクモ女の嘲るような笑い声が上から降ってきた。
「だからぁ、それはあなたにはできないでしょう」
おう、お兄ちゃんからあなたに呼称が変わったな、と柚真人は思った。化生の正体を現すのと引き換えに、こちらを騙そうとする擬態が緩んだらしい。
「あなたはこの宮の宮司。そうあらねばならない。そのはずよね」
クモ女は続けた。
逆に、柚真人は内心でやはりと考える。
先ほども同じようなことをこのクモ女は柚真人に向けたが、だとするとこいつの背後にいる人間は、柚真人のことをよく知っているということになる。
柚真人がこの宮の宮司であるためにうけている拘束。その意味も理由も知っている者。そうなると、考えられる者は限られる。
その時、柚真人はもうひとつのことに気がついた。
このクモ女は、封印されてこの神社に持ち込まれたが、その封印を解いて活動を始めた。今は己が作り出した異界の中に柚真人を取り込んだ状態でいるが、それまでの間に、神社の境内を守る神気や保管庫の清めや結界に触れているはずである。なのにその中でも宮司の柚真人になにも感じさせずに、自由に行動できたというのか。
妙だ。
妙だが、柚真人は直感してしまった。
ここは皇の社だ。
したがって、皇の――勾玉の血脈を継ぐ者であれば、皇の社は拒まない。出入りは自由。
もしや。
そのために。
こいつの主人はこいつを作った。
のか。
つまり。
いや、いくらなんでも、という考えと、そう考えれば辻褄はあう、という考えが柚真人の中で交錯した。
鬼である記憶と前世をもつ自分がそう思うのもどうかと思うが、そんなことは鬼畜の所業だ。考えられない、というより考えたくない。
「……おまえ、維月を喰ったのか」
柚真人はクモ女にそう向けていた。
維月、とは。
皇の先代次女。
柚真人の、実の叔母にあたる。
すなわち。
暁の。
その第一子が皇一族の一翼を担うにふさわしい神職能力を持たずに生まれた娘だったため、暁に神職能力を継ぐ子をもたらすために後妻として嫁いだ、暁の嫁。
暁圭吾は、そもそも柚真人に呪をもたらした張本人だ。そして、柚真人が高校生の時に、その維月とともに行方不明になった。
行方は、もちろん捜索された。しかし、どこへ消えたかわからぬままに時が過ぎ、現在に至っていたのだ。
その暁圭吾がこれを仕組んだのだとしたら。
話は合う。
なにしろ、足りない霊力を現代医学で補い、柚真人の魂をふたつに割ってのけた男だ。だがそこまで――執拗に、醜悪に、今になって、ここまでして、柚真人に敵意をぶつけてくるのか。
それ自体、己に敵意が向けられること自体については、柚真人には何ともおもわない。ただ、暁がそこまでするのか、というのがやや衝撃だった。
それと、叔母が、こんなものの餌食にされてしまっていたということも。
圭吾と維月がどのような夫婦だったかはよく知らない。知らないが、彼らは緋月の両親である。緋月は、少なくとも圭吾が行方不明になるまでは、暁の家でこの両親に育てられていた。そのことを思うと、暁圭吾はいったい何を考えていたのか、という気分になる。
それと――これについては何も予見がなかったのか、桜御護のお姫さんよ。
桜御護は勾玉の血脈の未来を霊視る巫だ。したがってなにか大きな出来事を彼女が予見したときには、その予見にしたがって連絡が来たり、ほかの巫が動いたりする。たとえば、柚真人の両親がこの社で殺し合った時や、柚真人の覚醒があって司が襲われた時のように。それとも、そんな桜御護の未来視すらなんらかの方法でかいくぐったとでもいうのか、暁圭吾は。
ところが、クモ女はうふふとまた笑って、
「喰ったんじゃないわ。育ててもらったの」
この俺が。
うへえ、と思うようなことを言いやがる。
そう思い、柚真人は相手を睨みつけた。
☆
時間にして、三十分くらいは経ったろうか。
ちょっと外す。
そう言って柚真人が社務所を離れてから、けっこう経ったよな、と思った飛鳥だった。
「……ねー、緋月ちゃん。柚真人のやつ、遅くない?」
と、飛鳥は緋月にうかがった。
緋月にうながされて携帯を見て、どこかへいったものと思われたものの、三十分も宮司の姿を見ないほどにはこの神社は広くはない。
神社の外へ出る必要がある場合は、飛鳥か緋月にその旨まで伝えてから席を立つであろう――柚真人なら。何の用事で何をしているのだろう、と考えていると、緋月も、
「言われてみればそうですわね」
そこへ、だった。
境内から、社務所の方へを駆けよってくる、見慣れた姿があった。銀縁の眼鏡にダークスーツの、少し細身の男性。優麻だ。
あれ、こんな時間にめずらしい。
優麻がやってくるということは、たいがい、皇の勾玉の血脈としての仕事が稼働していることを意味する。けれど今日は、柚真人も、何もいっていなかったはずだけど。
と訝りつつ、飛鳥は優麻を出迎えるために社務所を出ようとした。しかしそれよりも早く、授与所の窓口の方から、優麻が中を覗き込んだ。ふだん、優麻があまりすることではない。それだけでも意外で、え、と飛鳥はやや驚いたのだが、
「――柚真人さんは。どちらに」
そう言った優麻の声は、普段通りの穏やかなものであったが、やや抑えた切迫感のようなものも感じた。それは同じくその場にいた緋月も同じであったらしく、そういうときは緋月の方が反応が早い。
「いま、外しておりますわ。先ほど携帯をご覧になられて。柚真人さまが、どうかなさいましたの?」
「それは、おそらく私です。柚真人さんから、調べるように仰せつかったことがありまして」
優麻は、緋月と飛鳥を見返していった。
「?」
「それで、取り急ぎ折り返して柚真人さんにお知らせしたいことがありまして連絡を。ですがその後の返信がありませんので」
とすると、優麻は柚真人からの返信を待っていたのに、そのうえで直接ここに来たということだろうか。そう思い、
「なにか急ぎの用だった?」
飛鳥が尋ねると、優麻はさらに声を硬くした感じで答えた。
「違います。いえ、急ぎと言えば急ぎですが。柚真人さんには、警戒をお願いしたんです。先日、柚真人さんがお引き受けになられた祓い事の一件で、不審な点がありまして」
「え」
「――柚真人さまは、その連絡をご覧になってすぐにどこかへ行かれましたが、お戻りになっておりませんわ」
「――」
嫌な予感は、その時、三人三様、胸の中に湧いただろう。
だが同時に、柚真人に限って、とも過る。
当然だ。皇の宮司が、己の社にいて、その身に何が起こるという。
いや、呼べばそのへんから顔を出すはず。飛鳥はそう思ったが、優麻の様子は飛鳥のそんな考えを肯定する雰囲気ではなかった。どちらかといえば、よりいっそう焦った様子で。
「――すみません。おふたりは仕事もありますでしょうから、そのままで。私が柚真人さんを探します」
優麻はそう言って、社務所を離れようとした。
優麻の様子がどうもいつもとは違う。そう感じたのはむろん緋月もであったのだろう。その後を、
「優麻さん! 私もご一緒いたしますわ!」
緋月がそう言って、追いかけた。

