04
箱の主は、お祓いの料金も先払いし、あとのことはすべて任せると柚真人にいった。
しかし昨日の今日で起きた火災と青年が死亡したという点が妙に気になったので、柚真人は朝のうちに優麻に連絡を入れた。
この件についての詳細を話し、箱を持ち込んだ青年のことを調べられる範囲で調べて欲しい、と。
優麻は神社の顧問弁護士でもある。
こういった祓い事の依頼などに関して、依頼人は取引相手となるので、弁護士としてできる調査というものがある。
すでに出勤していた事務所で連絡を受けた優麻は、柚真人から書面のデータを受け取った。
なるべく急ぎで、なんでもいい、なにか気になることがあればすぐに折り返してくれ、と柚真人はいった。
柚真人からの依頼であれば、優麻としては最優先で動かなくてはならない。また、柚真人がなるべく急げ、などとあらためて指示してくることもあまりない。
自分の業務に関しても余裕がないわけではなかったので――年末のこの時期で、幸い自分が弁護士としてかかわっている案件はおおむねもう今年の仕事の締めに入っていた――優麻はまず柚真人が依頼主だといってデータをくれた人物の人間関係まわりを調べてみることにした。するとすぐに、柚真人から受け取ったデータ内容との不整合な事実が浮上した。
くだんの人物は、柚真人によると、最近死亡した身内からいわくの小箱を譲り受けたということであるはずだった。しかし調べてみたところそのような身内が見当たらないのだ。
優麻は弁護士なので職務上の条件をクリアしていれば当該人物の戸籍を調べることができる。しかし、その戸籍には、その青年と、すでに死亡となっていた青年の両親の記載しかなかった。直系以外の縁戚関係がないこともないが、その中に最近死亡した人物はいない。
ということは。
皇神社にもちこまれた小箱というのは、いったいどこからきたことになるのだろうか。
いやそれ以上に、では、その青年はなぜ自身の身上と小箱の由来について虚偽の事実を述べたのか。
なるほど、これは不審だ。
と、優麻も思った。
しかもその小箱について、今のところ、柚真人は何も感じないといっている。
むろん、単に青年の妄言であった、という可能性もあるだろう。そういう――被害妄想や、精神的疾患のような症状を抱えて、宗教施設に足を向けてしまう人間というのもいるにはいる。だが、何かが引っかかる。おそらく柚真人もそうなのであろう。
優麻は、昼前にはとりあえず調べたことを報告としてまとめ、柚真人にメールとして送った。
その上で、自身も皇神社に向かうことにした。
なにか、嫌な感じがしたのだ。くだんの青年が、わざわざ虚偽を述べてまで小箱を神社に持ち込んだのだとしたら。
それが、目的だった可能性もあるの――では?
「しかしおまえ、ほんとうによくやるな……」
柚真人がそう呟いたのは、飛鳥が社務所の休憩室の方に持ち込んだチキンの山を見て、だった。本日、この国ではクリスマス・イブである。近年、イブは別に前夜という意味ではないとかクリスマス当日の午後のことだとか言われているが、神社にとってはどうでもいいし、飛鳥にとってもおそらくさほどの意味はない。ようするに楽しければいいのだから。
「少しイエスに悪いとは思わんのか」
「ちょっとは思うけど柚真人くんだって別に悪いとは思わないでしょうが」
飛鳥に返され、まあそれはそう、と柚真人は肩をすくめた。
神社の社務所の作業場の作業机が、今日の昼間はチキンとケーキと炭酸飲料の置き場となっている。ここにクリスマスらしいものを置いておくので、各職員は各自適当に休憩のタイミングで好きに食べるように、という意図だ。だがこれで毎年、夕方までにはまあまあすべてが捌けてなくなる。職員にも受けがいいのでよしとする。
柚真人の携帯が着信を知らせたのは、そんな時だった。柚真人は宮司で、いろいろとやることが多いので、携帯はふだん、社務所と授与所を任せている緋月に預けている。
その緋月に、
「柚真人さま、連絡が入っておりますわ」
と言われて、柚真人は携帯を見た。
連絡は優麻からだ。
朝に頼んだことの返信だろうということは見当がつき、すぐに内容を確認する。
するとそこには、優麻がその日の午前中に調べたこと――青年の身の回りには最近死亡した身内がいないこと、であれば青年は意図的に虚偽を用いて不審物を神社に持ち込んだ可能性が考えられること、が記されていた。
「――」
同じ可能性は柚真人も考えた。ただ、そうするとなぜあの青年が、なんのために、という疑問が別に生じてくる。
神社の近くに住んではいた。しかし柚真人も初めて会う青年だったし、あの青年と神社とになにがしかの縁があるとは思えない。
「ちょっと――外す」
柚真人はそう、飛鳥と緋月に言いおいて、社務所を出た。
あの小箱が、なんなのか。柚真人にさえ現状ではわからない。そう思えるが、だとするとあの小箱には何かあると考えるのがしかるべきだろう。
青年が要望してきたようにお祓いをしてそれで済むこととも思えず、早急にあの小箱が何なのか突き止めなくてはならない。
柚真人は、小箱のある保管庫へと足を向けた。
その、途中でだった。
ふいにがくんと視界がぶれたような違和感があった。
「!」
その感覚には覚えがあった。同時に、まわりから音が消えたような感覚がある。音が消え、耳鳴りを覚えるくらいの静けさがその場に落ちる。
これは。
自分がいた世界の存在軸がズレた感覚。
柚真人は自分の家の玄関の扉を抜けたあたりで、第三者の結界に捕まったのだ。柚真人が、視界がぶれたような感覚を覚えた時、柚真人のいる世界は現世から誰かの支配する常世・異界に移った。
ただ、目の前にある景色に変化はない。ここは、見慣れた皇邸の玄関で、――つまりそれがそっくり写し取られた異界に切り取られたようなものか。
――なん、だと?
正直なところ、柚真人は少々驚いた。
皇神社の内側で、こんなことが起こるとは思っていなかったからだ。
神社内は、そもそも祭神の神気に守られている。それにここは、道を失った死者が迷い寄るための社である。持ち込まれる呪物なども、人の念や想いの残滓、呪いであっても現世を生きて死んだ者の御霊を起点とするものが主だ。それに準じないものは、柚真人が手出しすることは許されていないので、人ではない者と対峙する同業者のもとへつなぐ。なのに――そう、これは後者に類する者が起こす現象だ。
もっとも、柚真人自身にも敵はあった。柚真人の前世が柚真人の中によみがえった時、大挙してそれらが柚真人と司のもとへと押し寄せた時のように。だが、それゆえにあの時以降、この社には厳重な守りが施された。この世のものではなく人の御霊でもない怪異や魍魎の類は、ちょっとやそっとでは神社内には寄りつけないはず。
柚真人はそのまま廊下に上がり、保管庫の方へ行った。
見ると保管庫の扉は開いていた。
施錠はしたはずだったが、今ここでそれを気にしてもしょうがない。足を速めて中を見る。
保管庫の中の戸棚に置いた、あの小箱。
「――……」
柚真人は、耳が痛いような無音の中で、それに手を伸ばした。
小箱は、開いていた。
預かった時には開け方もわからなかったのだが、どういう仕組みか、箱は小さな引き出しのような構図になっており、その引き出しがひきだされた状態になっていた。
取り上げて中を見て、柚真人は、ち、と舌打ちする。
異常が感じられなかった理由がわかった。
引き出しの内側に、ぴったりと隙間なく貼りこめられた呪符がある。
これは何かを封印していた箱だ。
そして内側に何かが入れられていたのだろう。おそらくこの小箱は、その中にあったものをこの神社内に持ち込むことが目的。そしてなにかの仕掛けでやがて封が解かれ、中にあるものが出て来られるようになっていた。
なんだ。
柚真人は思った。
なにを。なんのために。ここに持ち込んだんだ。あの男は。何者だ。
考えながら、踵を返す。
そして、保管庫を出て、いまいちど屋敷の外に出ようとしたとき、その方向とは反対側の視界になにかがいるのを感じた。
振り向いて。
柚真人は文字通り凍りつく。
これほど自分が動揺したことは、ない。
振り向いた方向にいたのは、見覚えがあるどころではない白衣と緋袴に身を包んだ――。
「――、っ」
柚真人はしかし、すんでのところで今自分の口から出ようとした言葉を飲みこんだ。
その言葉、その名前を、いまここで口にするわけにはいかないという思いが、柚真人の中で、咄嗟にでも勝ったからだ。
なぜなら。
こんなことは、ありえない。
ありえない。
そこには。
柚真人が片時もその想いを弛ませることなく焦がれ続け探し続けた――妹の姿があった。
あの頃と寸分違わぬままの。
箱の主は、お祓いの料金も先払いし、あとのことはすべて任せると柚真人にいった。
しかし昨日の今日で起きた火災と青年が死亡したという点が妙に気になったので、柚真人は朝のうちに優麻に連絡を入れた。
この件についての詳細を話し、箱を持ち込んだ青年のことを調べられる範囲で調べて欲しい、と。
優麻は神社の顧問弁護士でもある。
こういった祓い事の依頼などに関して、依頼人は取引相手となるので、弁護士としてできる調査というものがある。
すでに出勤していた事務所で連絡を受けた優麻は、柚真人から書面のデータを受け取った。
なるべく急ぎで、なんでもいい、なにか気になることがあればすぐに折り返してくれ、と柚真人はいった。
柚真人からの依頼であれば、優麻としては最優先で動かなくてはならない。また、柚真人がなるべく急げ、などとあらためて指示してくることもあまりない。
自分の業務に関しても余裕がないわけではなかったので――年末のこの時期で、幸い自分が弁護士としてかかわっている案件はおおむねもう今年の仕事の締めに入っていた――優麻はまず柚真人が依頼主だといってデータをくれた人物の人間関係まわりを調べてみることにした。するとすぐに、柚真人から受け取ったデータ内容との不整合な事実が浮上した。
くだんの人物は、柚真人によると、最近死亡した身内からいわくの小箱を譲り受けたということであるはずだった。しかし調べてみたところそのような身内が見当たらないのだ。
優麻は弁護士なので職務上の条件をクリアしていれば当該人物の戸籍を調べることができる。しかし、その戸籍には、その青年と、すでに死亡となっていた青年の両親の記載しかなかった。直系以外の縁戚関係がないこともないが、その中に最近死亡した人物はいない。
ということは。
皇神社にもちこまれた小箱というのは、いったいどこからきたことになるのだろうか。
いやそれ以上に、では、その青年はなぜ自身の身上と小箱の由来について虚偽の事実を述べたのか。
なるほど、これは不審だ。
と、優麻も思った。
しかもその小箱について、今のところ、柚真人は何も感じないといっている。
むろん、単に青年の妄言であった、という可能性もあるだろう。そういう――被害妄想や、精神的疾患のような症状を抱えて、宗教施設に足を向けてしまう人間というのもいるにはいる。だが、何かが引っかかる。おそらく柚真人もそうなのであろう。
優麻は、昼前にはとりあえず調べたことを報告としてまとめ、柚真人にメールとして送った。
その上で、自身も皇神社に向かうことにした。
なにか、嫌な感じがしたのだ。くだんの青年が、わざわざ虚偽を述べてまで小箱を神社に持ち込んだのだとしたら。
それが、目的だった可能性もあるの――では?
「しかしおまえ、ほんとうによくやるな……」
柚真人がそう呟いたのは、飛鳥が社務所の休憩室の方に持ち込んだチキンの山を見て、だった。本日、この国ではクリスマス・イブである。近年、イブは別に前夜という意味ではないとかクリスマス当日の午後のことだとか言われているが、神社にとってはどうでもいいし、飛鳥にとってもおそらくさほどの意味はない。ようするに楽しければいいのだから。
「少しイエスに悪いとは思わんのか」
「ちょっとは思うけど柚真人くんだって別に悪いとは思わないでしょうが」
飛鳥に返され、まあそれはそう、と柚真人は肩をすくめた。
神社の社務所の作業場の作業机が、今日の昼間はチキンとケーキと炭酸飲料の置き場となっている。ここにクリスマスらしいものを置いておくので、各職員は各自適当に休憩のタイミングで好きに食べるように、という意図だ。だがこれで毎年、夕方までにはまあまあすべてが捌けてなくなる。職員にも受けがいいのでよしとする。
柚真人の携帯が着信を知らせたのは、そんな時だった。柚真人は宮司で、いろいろとやることが多いので、携帯はふだん、社務所と授与所を任せている緋月に預けている。
その緋月に、
「柚真人さま、連絡が入っておりますわ」
と言われて、柚真人は携帯を見た。
連絡は優麻からだ。
朝に頼んだことの返信だろうということは見当がつき、すぐに内容を確認する。
するとそこには、優麻がその日の午前中に調べたこと――青年の身の回りには最近死亡した身内がいないこと、であれば青年は意図的に虚偽を用いて不審物を神社に持ち込んだ可能性が考えられること、が記されていた。
「――」
同じ可能性は柚真人も考えた。ただ、そうするとなぜあの青年が、なんのために、という疑問が別に生じてくる。
神社の近くに住んではいた。しかし柚真人も初めて会う青年だったし、あの青年と神社とになにがしかの縁があるとは思えない。
「ちょっと――外す」
柚真人はそう、飛鳥と緋月に言いおいて、社務所を出た。
あの小箱が、なんなのか。柚真人にさえ現状ではわからない。そう思えるが、だとするとあの小箱には何かあると考えるのがしかるべきだろう。
青年が要望してきたようにお祓いをしてそれで済むこととも思えず、早急にあの小箱が何なのか突き止めなくてはならない。
柚真人は、小箱のある保管庫へと足を向けた。
その、途中でだった。
ふいにがくんと視界がぶれたような違和感があった。
「!」
その感覚には覚えがあった。同時に、まわりから音が消えたような感覚がある。音が消え、耳鳴りを覚えるくらいの静けさがその場に落ちる。
これは。
自分がいた世界の存在軸がズレた感覚。
柚真人は自分の家の玄関の扉を抜けたあたりで、第三者の結界に捕まったのだ。柚真人が、視界がぶれたような感覚を覚えた時、柚真人のいる世界は現世から誰かの支配する常世・異界に移った。
ただ、目の前にある景色に変化はない。ここは、見慣れた皇邸の玄関で、――つまりそれがそっくり写し取られた異界に切り取られたようなものか。
――なん、だと?
正直なところ、柚真人は少々驚いた。
皇神社の内側で、こんなことが起こるとは思っていなかったからだ。
神社内は、そもそも祭神の神気に守られている。それにここは、道を失った死者が迷い寄るための社である。持ち込まれる呪物なども、人の念や想いの残滓、呪いであっても現世を生きて死んだ者の御霊を起点とするものが主だ。それに準じないものは、柚真人が手出しすることは許されていないので、人ではない者と対峙する同業者のもとへつなぐ。なのに――そう、これは後者に類する者が起こす現象だ。
もっとも、柚真人自身にも敵はあった。柚真人の前世が柚真人の中によみがえった時、大挙してそれらが柚真人と司のもとへと押し寄せた時のように。だが、それゆえにあの時以降、この社には厳重な守りが施された。この世のものではなく人の御霊でもない怪異や魍魎の類は、ちょっとやそっとでは神社内には寄りつけないはず。
柚真人はそのまま廊下に上がり、保管庫の方へ行った。
見ると保管庫の扉は開いていた。
施錠はしたはずだったが、今ここでそれを気にしてもしょうがない。足を速めて中を見る。
保管庫の中の戸棚に置いた、あの小箱。
「――……」
柚真人は、耳が痛いような無音の中で、それに手を伸ばした。
小箱は、開いていた。
預かった時には開け方もわからなかったのだが、どういう仕組みか、箱は小さな引き出しのような構図になっており、その引き出しがひきだされた状態になっていた。
取り上げて中を見て、柚真人は、ち、と舌打ちする。
異常が感じられなかった理由がわかった。
引き出しの内側に、ぴったりと隙間なく貼りこめられた呪符がある。
これは何かを封印していた箱だ。
そして内側に何かが入れられていたのだろう。おそらくこの小箱は、その中にあったものをこの神社内に持ち込むことが目的。そしてなにかの仕掛けでやがて封が解かれ、中にあるものが出て来られるようになっていた。
なんだ。
柚真人は思った。
なにを。なんのために。ここに持ち込んだんだ。あの男は。何者だ。
考えながら、踵を返す。
そして、保管庫を出て、いまいちど屋敷の外に出ようとしたとき、その方向とは反対側の視界になにかがいるのを感じた。
振り向いて。
柚真人は文字通り凍りつく。
これほど自分が動揺したことは、ない。
振り向いた方向にいたのは、見覚えがあるどころではない白衣と緋袴に身を包んだ――。
「――、っ」
柚真人はしかし、すんでのところで今自分の口から出ようとした言葉を飲みこんだ。
その言葉、その名前を、いまここで口にするわけにはいかないという思いが、柚真人の中で、咄嗟にでも勝ったからだ。
なぜなら。
こんなことは、ありえない。
ありえない。
そこには。
柚真人が片時もその想いを弛ませることなく焦がれ続け探し続けた――妹の姿があった。
あの頃と寸分違わぬままの。

