勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

06
  
 
 中里萌花がふたたび神社にやってきたのは、それから1週間ほど後の早朝だった。
 その2日前に、柚真人は彼女から電話で相談を受けており、早朝と時間を指定したのが柚真人だったのだ。
 柚真人としては、中里萌花から再度の連絡があるだろうことはその時点でわかっており、早朝を指定したのはそれが色々な意味で都合の良い時間帯だったため。
 ひとつには、まだ神社にひとけがない。そして、早朝かわたれどきは此の世の1日に2度ある、現世と幽世の境目があやふやになる時間帯のうち、より清浄な気配の強い方であったためだ。
 ちなみに時計では、午前6時を過ぎたところで、来客に備えて社務所の電灯は点けておいたが、あたりはまだ暗い。天候は良くない予報で暗くとも曇天なのがわかるが、もうしばらくすると、空ははっきりと夜明けの色になってくるだろう。
「早朝の暗いうちから、ご足労すみませんでしたね」
 待ち合わせにと指定した時間に、ちゃんと境内にあらわれた中里萌花に対して、柚真人はきちんと敬意を表した。
 こちら側の事情で少々非常識な時間での来社をお願いしたという自覚はある。応えて行動してくれたことには彼女の覚悟が感じられた。おまけに今の時期は寒さもある。言葉を交わすと吐く息もが白くこぼれる寒さのなか、ひとりでこんなところにやってくるのは彼女としても思うところはあったろう。
「……説明、していただけるんですよね」
 コートに手袋、マフラーといった出で立ちの中里萌花が少し剣のある雰囲気でそういったのは、柚真人のせいだ。対する柚真人は普段と変わらぬ白衣に袴で、彼女を迎えていた。
「もちろんです」
 柚真人は頷いた。
 そうして、
「実は、彼女のためでして」
 萌花は怪訝そうな反応を見せた。しかし、彼女という柚真人の言葉と、そのすぐあとで柚真人と彼女との間に浮かび上がるようにあらわれたひとつの人影に、次第に目を見開いていく。
「うそ」
 そんな声がおそらくは反射的にであろう萌花の唇からはこぼれ出た。
「…………夏帆」
  

 神崎夏帆と名乗る女性――の御霊――がこの神社にあらわれた時、柚真人は彼女にあることを頼まれた。そして、それを聞き届けるためにひとつ条件を出した。
 彼女の頼みとは、中里萌花が柚真人に対して頼もうとしたことに似ていた。彼女は、中里萌花に伝えて欲しいことがあるのだ、と柚真人に訴えた。伝えて欲しいことがある、と、つまり彼女たちは双方が言うのだ。
 もっとも、神崎夏帆の方は、もともとはそのつもりがなかった。しかし中里萌花の行動が、自らの死を受け入れて現世を離れようとしていた夏帆を引き戻してしまったというべきか。
 そこまで至ってしまったとなると、神崎夏帆は自らそうは望んでいなかったのに、黄泉への道を見失うことになってしまう。なので柚真人は、彼女たち双方の願いに手を貸さざるをえなくなった――といえた。
 そのために、柚真人が夏帆に課した条件は、では自身で中里萌花にここへ来るよう伝えなさい、ということ。彼女自身が何を望むのか、迷わないためにはっきりした意思を持ってもらうためだった。執着や怨嗟などの余分なものを霊から取り祓っていく普段とは、真逆のやり方だ。
 それを萌花に伝えると、萌花が目を瞠った。
「え……じゃあ、あれって夏帆……が……?」
 萌花からすると、ここ数日、原因不明の不気味な現象に悩まされていた、といったところだろう。柚真人は相談を受けた電話でそう聞いた。そして柚真人もその時は具体的なことは返答しなかった。
 自身が誤って呼び寄せた者に悩まされた後であったこともあって、萌花自身、夏帆のことよりもその時のことの方が強く頭にあったようで、それについて本当に大丈夫なのかと怖がっていた。
 大丈夫だということと、それは気にしないで神社にもう一度来るようにとその時に柚真人は返したのだった。
「でも……宮司さん、夏帆のことなんてなにも……私の身の回りにはそういう気配は無いって、言いましたよね?」
「はい。彼女はその後、あなたの身を案じてこちら側に引き戻されてしまった……とでもいいましょうか」
 柚真人は萌花と夏帆を交互に見遣った。本来、夏帆の霊力と萌花の感受性では、このような交差は起こらないだろう。ここが皇神社の境内で、今がかわたれどきであり、柚真人の助力があるので、萌花は夏帆の姿を見ることが出来ている。
 ただ、それでも声は届くまい。ゆえに、神崎夏帆が望んだことを、柚真人は萌花に伝えることにする。この状況がもっとも説得力があるだろう――と、柚真人が考えて選んだ、祓いの舞台でもあった。これは。
「神崎夏帆さんは、あなたのご友人ですね」
 柚真人は確認するように問うた。これに萌花は答えなかったが、その理由は柚真人にもわかっていた。友人という簡単な言い方で語れるなら、萌花も夏帆もこんな事態にはなっていない。それについては夏帆から、伝えられていた。
 柚真人は続けた。
「あなたに、伝えたいことがあるそうです。――自分は、単なる事故死であったと。そうして、自分のことについては何も気に止まないで欲しいと」
「――」
「もともと、夏帆さんは、あなたが自分の死に捕らわれることはないだろうと思っていたようです。そのこともあって、死後、速やかに自分の死を受け入れた。もちろん、あなたに迷惑をかけたくないという気持ちもあったでしょう。……ただ、それだけのことだと」
「――」
 それを聞いた萌花の顔は、すこし歪んだように見えた。
「……それだけ、って」
「夏帆さんは、あなたを大切に想っていた、ということです。だから、まだはじまってもいなかった関係を、あとに残してあなたを縛りたくないと」
 自分の死で、あの子を縛ることば絶対にしたくないんです。あの子だってまだ大学生だし、この先、どんな人とどんな未来が待っているのかわからないから。自分の死を、あの子のこれからの人生のシミみたいなものにしたくないんです。
 夏帆はそう言っていた。
 そうして、柚真人は萌花にはこう告げた。
「――いまなら、あなたの言葉も彼女に伝わりますよ」