05
事故死と聞いた。
転落死だった。
萌花はその場にいたわけではないから、その時の詳しい状況を知っているわけではない。でも、あとから聞いた話だけでも、思うところはあった。転落。それって、もしかして、――自殺では、ないのか。
その時、萌花は迷っていた。夏帆と疎遠になりながら、自分は、彼女のことを本当に好きになることはできないだろうか、と。夏帆から告白されるまで、萌花の中には、同性と恋愛をするという選択肢や考えがまったくなかった。でもあらためて考えてみたら、それって、そんなに無理なことなんだろうか。
実際、萌花は異性とまともな恋愛をした経験があるわけではなかった。恋愛、という感情で本気で人を好きになったりしたことはないし、――もちろん、幼稚園のときの淡い初恋とか、中学や高校で、これって恋愛感情なのかなあ、なんていう曖昧な気持ちは経験したことはあったけれど――お付き合い、みたいなこともしたことはなかった。ならばなぜ、同性が相手ではダメなんだろう。
夏帆に告白をされたときだって、別に嫌悪感とかは湧かなかった。夏帆のことはそれでもずっと好きだった。これが恋愛感情になっていかないとは言えない。好きなってみる、ことからはじめたって、いいんじゃないだろうか。だって自分は、彼女のことが好きだ。その好きは自覚的には友達として、先輩として、だったけれど、違うものになるかもしれない。そのくらいには、彼女が好きだ。自分の好きと彼女の好きが違っていたら彼女を傷つける。そちらの方が、嫌だった。でもそう思えるなら、これはもう、恋愛感情のはじまりくらいにはなっているのでは。いたの、では。
そんなことでぐるぐるして、結果として距離を置くことを選んだことを、萌花はひどく後悔した。夏帆は、萌花に嫌われたと思ったろうか。もし、自殺だったとしたら、自分の行動が彼女にそれを選ばせてしまったのだとしたら、どうしたらいいんだろうか。
いまさら遅い、ということはわかっている。もちろん遅い。遅すぎる。彼女はいなくなってしまったのだから。でも、だとしてもせめて、もう一度でいい、会って、伝えたくて。自分は、伝え方も行動も間違った。
この期に及んで自分の気持ちはまだよくわからないし、感傷や後悔のせいでいいかんげんな結論も出したくない。でもたぶん、自分は彼女のことを好きになれた。もっと早く、自分自身がそれに気が付いていれば。いや、そういうふうに、はじめから彼女に伝えられたら。なにより、自分は。あなたに、生きていて欲しかった。
☆
冷たい空気と、赤く灼けた、裸電球に色セロファンを張りつけたみたいな鮮やかな空。
その空の光を受けて、逆光気味になった鳥居は、黒い影絵のように見える。
そこに、ふと紛れ込んできた気配が――皇柚真人の気を引いた。
気配は、鳥居のもとにあり、それもまた、影絵のような人影だった。
けれども柚真人が目を凝らすと、女性だな、ということがわかる。すらりとした、均整の取れた背格好の、美人だ。
神社はちょうど参拝時間の終わりを迎えたところで、境内には他に人影もない。他の職員は、社務所の中で事務仕事に勤しんでいるところだった。
彼女は、じっとその場に立っている。
だが、何かもの言いたげだなということはわかって、柚真人は彼女に呼びかけた。
「……なにか?」
すると彼女からは、
「……宮司さん、でいいですか?」
と返ってきた。
「見ての通りだ。……あなたになら、わかると思うが」
そう、柚真人は応じる。
その先の言葉を待って、柚真人が待っていると、彼女は少しの間を置いて続けた。
「お願い、したいことがあるんです」
「おねがい」
「はい。……かまいませんか?」
「それは、ことと次第によりますね。ですが……まずうかがいましょうか。なぜ、ここに?」
「……それは、…………あの子が……」
彼女の答えに、柚真人は、ぴく、と肩眉を動かした。
「あの子が、こちらにお邪魔したと思うんです。 それで」
伝えて欲しいことがあって――と、彼女は云う。あの子、という言い方と、こちらにお邪魔した、という言い方とで、思い当たる節はあった。
「もしかして、中里萌花さんとなにか縁が?」
柚真人は少し額の奥に力を入れるような感じでさらに目を凝らそうとした。しかし、彼女自身にそれほどの余力がないのか、通常であれば柚真人には読み取れるような事柄が彼女からは読み取れない。
まあ、普通こんなふうにして神社にやってきたり柚真人の前に現れたりする者は、自ら何かを発しようという強い意思を持っているものである。けれど、彼女からはそういうものも感じられない。どちらかというと、大変に不本意ながら仕方なくここを訪れたのだという感じがした。
「……縁、というほどのものはないのだと思います。でも、あの子が、私のせいで、こんなところまできてしまったようなので」
「こんなところとはご挨拶ですね」
「……でも、ここは、本来ならあんなふうにあんな子が来ちゃいけないところでしょう? ……私も、そのつもりで……もう、あの子には二度とかかわらないで逝こうとしていたんです。だって、そうするべきですもの」
「――……」
なるほど、あの中里萌花という娘が、なにやら必死に訴えるわりには、その相手の気配が感じられないと思っていたが。
どうやらそういうことだったのか。
この女性は、ずいぶんとしっかりしていて、潔い心の持ち主であるようだ。そうして、お互いに伝えたいことがあると願うはずの相手のことを、正しく深く想っている。
「あなたのお名前を、うかがいましょう」
柚真人は、彼女には答えずに訊いた。
この季節は、陽の落ちるのが早く、夕暮れ時だなと思うとすぐに暗くなってくる。ついさっきまで赤く灼けていた空は疾く暗く色をなくしはじめており、彼女の姿も闇に飲み込まれそうだ。
「……神崎、夏帆、といいます」
「神崎さん。神崎、夏帆さん。それがあなたのお名前ですね」
「……ええ。…………ああ、宮司さんて、すごいんですね。……いま、あなたに呼ばれたら、どうしてか、少し、楽になりました」
柚真人が、彼女の名前を復唱したからだ。そこに、祝詞に似た力を込めた。彼女がそう感じたのなら、それは祝詞を介した黄泉の女神の加護のようなものだ。もちろん、発声や音でそれを仲介するのは、神職の力だが。
彼女は、ふだん柚真人のような生業の人間が接する者と違って、素直に現世を離れることを心から受け入れてしまっている。残す想いも、基本的には無い。だから、逆にここに留まるための力をそれほど持っていないのだ。
「それはなにより。で、あなたのお願い、というのは?」
そして柚真人は、神崎夏帆という女性が、中里萌花という女性にとって、どういう存在であったかを、神崎夏帆が語る言葉で知った。
事故死と聞いた。
転落死だった。
萌花はその場にいたわけではないから、その時の詳しい状況を知っているわけではない。でも、あとから聞いた話だけでも、思うところはあった。転落。それって、もしかして、――自殺では、ないのか。
その時、萌花は迷っていた。夏帆と疎遠になりながら、自分は、彼女のことを本当に好きになることはできないだろうか、と。夏帆から告白されるまで、萌花の中には、同性と恋愛をするという選択肢や考えがまったくなかった。でもあらためて考えてみたら、それって、そんなに無理なことなんだろうか。
実際、萌花は異性とまともな恋愛をした経験があるわけではなかった。恋愛、という感情で本気で人を好きになったりしたことはないし、――もちろん、幼稚園のときの淡い初恋とか、中学や高校で、これって恋愛感情なのかなあ、なんていう曖昧な気持ちは経験したことはあったけれど――お付き合い、みたいなこともしたことはなかった。ならばなぜ、同性が相手ではダメなんだろう。
夏帆に告白をされたときだって、別に嫌悪感とかは湧かなかった。夏帆のことはそれでもずっと好きだった。これが恋愛感情になっていかないとは言えない。好きなってみる、ことからはじめたって、いいんじゃないだろうか。だって自分は、彼女のことが好きだ。その好きは自覚的には友達として、先輩として、だったけれど、違うものになるかもしれない。そのくらいには、彼女が好きだ。自分の好きと彼女の好きが違っていたら彼女を傷つける。そちらの方が、嫌だった。でもそう思えるなら、これはもう、恋愛感情のはじまりくらいにはなっているのでは。いたの、では。
そんなことでぐるぐるして、結果として距離を置くことを選んだことを、萌花はひどく後悔した。夏帆は、萌花に嫌われたと思ったろうか。もし、自殺だったとしたら、自分の行動が彼女にそれを選ばせてしまったのだとしたら、どうしたらいいんだろうか。
いまさら遅い、ということはわかっている。もちろん遅い。遅すぎる。彼女はいなくなってしまったのだから。でも、だとしてもせめて、もう一度でいい、会って、伝えたくて。自分は、伝え方も行動も間違った。
この期に及んで自分の気持ちはまだよくわからないし、感傷や後悔のせいでいいかんげんな結論も出したくない。でもたぶん、自分は彼女のことを好きになれた。もっと早く、自分自身がそれに気が付いていれば。いや、そういうふうに、はじめから彼女に伝えられたら。なにより、自分は。あなたに、生きていて欲しかった。
☆
冷たい空気と、赤く灼けた、裸電球に色セロファンを張りつけたみたいな鮮やかな空。
その空の光を受けて、逆光気味になった鳥居は、黒い影絵のように見える。
そこに、ふと紛れ込んできた気配が――皇柚真人の気を引いた。
気配は、鳥居のもとにあり、それもまた、影絵のような人影だった。
けれども柚真人が目を凝らすと、女性だな、ということがわかる。すらりとした、均整の取れた背格好の、美人だ。
神社はちょうど参拝時間の終わりを迎えたところで、境内には他に人影もない。他の職員は、社務所の中で事務仕事に勤しんでいるところだった。
彼女は、じっとその場に立っている。
だが、何かもの言いたげだなということはわかって、柚真人は彼女に呼びかけた。
「……なにか?」
すると彼女からは、
「……宮司さん、でいいですか?」
と返ってきた。
「見ての通りだ。……あなたになら、わかると思うが」
そう、柚真人は応じる。
その先の言葉を待って、柚真人が待っていると、彼女は少しの間を置いて続けた。
「お願い、したいことがあるんです」
「おねがい」
「はい。……かまいませんか?」
「それは、ことと次第によりますね。ですが……まずうかがいましょうか。なぜ、ここに?」
「……それは、…………あの子が……」
彼女の答えに、柚真人は、ぴく、と肩眉を動かした。
「あの子が、こちらにお邪魔したと思うんです。 それで」
伝えて欲しいことがあって――と、彼女は云う。あの子、という言い方と、こちらにお邪魔した、という言い方とで、思い当たる節はあった。
「もしかして、中里萌花さんとなにか縁が?」
柚真人は少し額の奥に力を入れるような感じでさらに目を凝らそうとした。しかし、彼女自身にそれほどの余力がないのか、通常であれば柚真人には読み取れるような事柄が彼女からは読み取れない。
まあ、普通こんなふうにして神社にやってきたり柚真人の前に現れたりする者は、自ら何かを発しようという強い意思を持っているものである。けれど、彼女からはそういうものも感じられない。どちらかというと、大変に不本意ながら仕方なくここを訪れたのだという感じがした。
「……縁、というほどのものはないのだと思います。でも、あの子が、私のせいで、こんなところまできてしまったようなので」
「こんなところとはご挨拶ですね」
「……でも、ここは、本来ならあんなふうにあんな子が来ちゃいけないところでしょう? ……私も、そのつもりで……もう、あの子には二度とかかわらないで逝こうとしていたんです。だって、そうするべきですもの」
「――……」
なるほど、あの中里萌花という娘が、なにやら必死に訴えるわりには、その相手の気配が感じられないと思っていたが。
どうやらそういうことだったのか。
この女性は、ずいぶんとしっかりしていて、潔い心の持ち主であるようだ。そうして、お互いに伝えたいことがあると願うはずの相手のことを、正しく深く想っている。
「あなたのお名前を、うかがいましょう」
柚真人は、彼女には答えずに訊いた。
この季節は、陽の落ちるのが早く、夕暮れ時だなと思うとすぐに暗くなってくる。ついさっきまで赤く灼けていた空は疾く暗く色をなくしはじめており、彼女の姿も闇に飲み込まれそうだ。
「……神崎、夏帆、といいます」
「神崎さん。神崎、夏帆さん。それがあなたのお名前ですね」
「……ええ。…………ああ、宮司さんて、すごいんですね。……いま、あなたに呼ばれたら、どうしてか、少し、楽になりました」
柚真人が、彼女の名前を復唱したからだ。そこに、祝詞に似た力を込めた。彼女がそう感じたのなら、それは祝詞を介した黄泉の女神の加護のようなものだ。もちろん、発声や音でそれを仲介するのは、神職の力だが。
彼女は、ふだん柚真人のような生業の人間が接する者と違って、素直に現世を離れることを心から受け入れてしまっている。残す想いも、基本的には無い。だから、逆にここに留まるための力をそれほど持っていないのだ。
「それはなにより。で、あなたのお願い、というのは?」
そして柚真人は、神崎夏帆という女性が、中里萌花という女性にとって、どういう存在であったかを、神崎夏帆が語る言葉で知った。

