04
「それはあくまで噂ですよ」
と、柚真人はまず答えた。
もちろんこの答えは時と場合と相手と状況によって変わりうる。しかし今のところは、これが彼女に向けるには最善の答えだと思った。
「それに……確かに、私は亡くなられた方の姿や声を霊視たり霊聴いたりはします。でも、見たところいまのあなたには、そういった……気配がありません。先日お宅で祓ったものもちゃんとあなたからは離れている。なにも残さずこの世から旅立った人は、こちらに生きて残された者とはすでに隔たっています。見送った側としては、多くの場合、たとえそれが円満で穏やかな旅立ちであったとしても、何かしらの悔いや思い残しを抱えるものです。でもそれは、あなたが生きている以上、自分でなんとか受け入れて、生きていくしかありません」
たとえば死んだ人にもう一度会いたいとか、もう一度話がしたいとか、それこそこの女性のように伝えたいことがあるだとか。そういう思いがある方が、普通だ。しかしそれは叶わないのが通常の生死の理である。
皇の宮司である柚真人に出来るのは、その理を変えたり捻じ曲げたりすることではない。死してなお迷い、その末に行く道を失った者や、我を見失うほどの穢れに溺れ怨嗟を手放せなくなってしまった者に、逝くべき道を示すことだけである。祓戸大神の巫として。
彼女の願いに呼応するような存在が、彼女に憑いて離れないとでもいうのであればともかく、彼女にはそういったものが感じられない。
彼女が困ったような顔をして言葉を詰まらせているので、柚真人はもうひと押し、彼女に決定的なことを向けてみることにした。そこに触れなければそれでよかろうと判断していたことだったけれど。
「先日、私が祓ったものが、あなたに憑いていたその理由を――うかがっても?」
すると彼女は、よりなにか追い詰められたよう反応をした。そのことについてはどうやら、話したくはないようだ。しかし。
「もちろん無理にとは言いませんが、お話を聞くぐらいであれば、できます。それで楽になるならここで話していかれることをおすすめします」
中里萌花は、しばらく逡巡していた。
だがやがて、何かを振り切るように、ぎゅっと唇を引き結ぶような仕草をして。
「……すみません。今日のお話は、すべて忘れてください」
もうしわけなさそうに、そう、絞り出した。
まさに、絞り出したというのがよくその様子を言い表してる。そんな言い方だった。
彼女の方からすると、気まずさや、いたたまれなさのようなものもあったのかもしれない。
とはいえ、そういう反応にも柚真人は慣れている。人の死に囚われている人間は、無茶なことや、荒唐無稽なことも言いがちだ。特にネットなどで胡乱な噂や情報を拾ってしまった場合などはとくに。
そのまま辞するというので、柚真人は了解して、中里萌花を見送ることにした。ひとつ、素人が降霊をしようなんてことをすると、ろくなことにはならない。二度としない方が良いとだけ忠告をして。
それにしても。
彼女はいったい誰を亡くしたというのだろう。
あれだけ必死になるのだから、彼女に親しい人間ではあろう。だが、両親は自分の娘について柚真人に説明する時に、そのような類のことを匂わせもしなかった。友人や、恋人。そんな感じの位置にある、あれほど彼女が必死になる人間を彼女が亡くしているのであれば、むしろ真っ先に不調の心当たりとして訴えたであろう。
柚真人が首を傾げるほどに、何も感じられないというのもめずらしいことだった。
☆
バカげたことを不躾に訴えたな、と中里萌花は少し自分の行動を後悔した。
あの、どうにもこの世のものとも思えないような整った面差しの神主さんに、何も言えなかったのは、その、まるでこちらを気押してくるような雰囲気のせいもあったと思う。美貌、というのはそれだけで迫力だ。しかも、相手はそれに拍車をかけるような真っ白な神職服を身に着けていて、それがまた異様――に、厳粛で清浄な空気を萌花に感じさせた。神社の宮司とはいえ、あんな人間がいるんだ、と思った。まあ、最初にあの神主さんが自分の部屋で自分の顔をのぞきこんでいたときにも、同じことは思ったけれど。
人、というにはあまりにも。端正で、凛然としていて、すべてを撥ねつけるようで、こちらが何か――まるで、裁かれているみたいで。
もちろん、自分の中には後ろめたさもあったから、それがまた悪かったのだろう。
神社を出た後、電車を乗り継いで自宅に戻った。自宅に戻った頃にはすっかり日も暮れていて、自分の部屋に向かおうとしたら、母親がまだ心配そうに、すぐに夕食だからね、と言った。
その言葉を耳にしながら自室のある二階にあがった萌花は、コートを脱いでハンガーにかけ、自室のクローゼットにしまいながら、――この夏の終わり、三月ほど前に亡くした人のことを想った。
その人の名前は、神崎夏帆という。
夏帆は、いわゆる大学でのひとつ上の先輩だった。美人で、頭が良く、闊達で、よく笑う人だった。
知り合ったのは、萌花が大学に入ったばかりの頃。大学の図書館で課題をしていて、本を探していて書棚の前で。聞けば学部と学科が同じで、そこから彼女と仲良くなった。図書館でもう何度かあったのち、趣味が合い、帰り路が途中までではあったものの一緒になり、飲みに行ったり、休日に二人で出かけたり。気の合う先輩、いや、それを通り越して親友になれそうな友人、だったのだ。彼女は。少なくとも萌花の方はそう思っていた。
けれども。
あなたに、恋愛感情を抱いているといったら、どう思う? そんなふうにふいに尋ねられたのは、一年ほど前のことだ。
彼女の方は、いつのころからかそういう気持ちであったらしい。でも自分はそもそも異性しか恋愛対象として見てこなかったし、純粋に同性の友達あるいは先輩としてしか彼女のことを見ていなかったから、萌花はびっくりしてしまった。
そういうのがダメなら、もうこの話はしない。彼女はそうも言ってくれ、萌花が答えあぐねているとわかったといって、その話を止めた。そういうのがダメなら、と彼女――夏帆はいったけれど、そもそもダメとかどうとかいうこと自体が、萌花にはよくわからなかった。とはいえ、同性である夏帆に対して恋愛感情が持てるかといわれたらその時の萌花にはそれも考えられなくて。
その後も、夏帆はそれまでと変わらない感じで、萌花には接してくれた。でも萌花は、夏帆のことをどう考えたらいいのかわからなくなってしまって、夏帆から距離を取るようになってしまった。
もちろん彼女のことがダメとか嫌とかそういうことだったわけではない。同性同士の恋愛というものについて、自分でもとくに偏見は抱いていないタイプだと思っていたし、そういう偏見じみたものを夏帆に抱いたのでも、なかった。どちらかというと、そのまま、先輩後輩、友達同士、として付き合い続けていくのだとしたら、申し訳――なくて。
だって、相手が一方的に恋愛感情をもっている状態で付き合いつづけたら、立場が弱くなるのは彼女だろう。そういう関係で生じた優位を利用する気も萌花にはなかったけれど、どうしたって、好きなら好きの人に良く思われたいとか機嫌を取りたいとか、そういうふうになるはずだ。
萌花は夏帆のことを先輩としては慕っていたし友人としては好きだったから、余計にそれが気になった。
やがて、交わす連絡が少なくなり、連絡に返す言葉もそっけなくなり、そういえば最近大学でも合わなくなったし、連絡もないなと――そうなるように自分がしてしまっていたのだから当たり前だが――思っていた矢先。
彼女が死んだ。
「それはあくまで噂ですよ」
と、柚真人はまず答えた。
もちろんこの答えは時と場合と相手と状況によって変わりうる。しかし今のところは、これが彼女に向けるには最善の答えだと思った。
「それに……確かに、私は亡くなられた方の姿や声を霊視たり霊聴いたりはします。でも、見たところいまのあなたには、そういった……気配がありません。先日お宅で祓ったものもちゃんとあなたからは離れている。なにも残さずこの世から旅立った人は、こちらに生きて残された者とはすでに隔たっています。見送った側としては、多くの場合、たとえそれが円満で穏やかな旅立ちであったとしても、何かしらの悔いや思い残しを抱えるものです。でもそれは、あなたが生きている以上、自分でなんとか受け入れて、生きていくしかありません」
たとえば死んだ人にもう一度会いたいとか、もう一度話がしたいとか、それこそこの女性のように伝えたいことがあるだとか。そういう思いがある方が、普通だ。しかしそれは叶わないのが通常の生死の理である。
皇の宮司である柚真人に出来るのは、その理を変えたり捻じ曲げたりすることではない。死してなお迷い、その末に行く道を失った者や、我を見失うほどの穢れに溺れ怨嗟を手放せなくなってしまった者に、逝くべき道を示すことだけである。祓戸大神の巫として。
彼女の願いに呼応するような存在が、彼女に憑いて離れないとでもいうのであればともかく、彼女にはそういったものが感じられない。
彼女が困ったような顔をして言葉を詰まらせているので、柚真人はもうひと押し、彼女に決定的なことを向けてみることにした。そこに触れなければそれでよかろうと判断していたことだったけれど。
「先日、私が祓ったものが、あなたに憑いていたその理由を――うかがっても?」
すると彼女は、よりなにか追い詰められたよう反応をした。そのことについてはどうやら、話したくはないようだ。しかし。
「もちろん無理にとは言いませんが、お話を聞くぐらいであれば、できます。それで楽になるならここで話していかれることをおすすめします」
中里萌花は、しばらく逡巡していた。
だがやがて、何かを振り切るように、ぎゅっと唇を引き結ぶような仕草をして。
「……すみません。今日のお話は、すべて忘れてください」
もうしわけなさそうに、そう、絞り出した。
まさに、絞り出したというのがよくその様子を言い表してる。そんな言い方だった。
彼女の方からすると、気まずさや、いたたまれなさのようなものもあったのかもしれない。
とはいえ、そういう反応にも柚真人は慣れている。人の死に囚われている人間は、無茶なことや、荒唐無稽なことも言いがちだ。特にネットなどで胡乱な噂や情報を拾ってしまった場合などはとくに。
そのまま辞するというので、柚真人は了解して、中里萌花を見送ることにした。ひとつ、素人が降霊をしようなんてことをすると、ろくなことにはならない。二度としない方が良いとだけ忠告をして。
それにしても。
彼女はいったい誰を亡くしたというのだろう。
あれだけ必死になるのだから、彼女に親しい人間ではあろう。だが、両親は自分の娘について柚真人に説明する時に、そのような類のことを匂わせもしなかった。友人や、恋人。そんな感じの位置にある、あれほど彼女が必死になる人間を彼女が亡くしているのであれば、むしろ真っ先に不調の心当たりとして訴えたであろう。
柚真人が首を傾げるほどに、何も感じられないというのもめずらしいことだった。
☆
バカげたことを不躾に訴えたな、と中里萌花は少し自分の行動を後悔した。
あの、どうにもこの世のものとも思えないような整った面差しの神主さんに、何も言えなかったのは、その、まるでこちらを気押してくるような雰囲気のせいもあったと思う。美貌、というのはそれだけで迫力だ。しかも、相手はそれに拍車をかけるような真っ白な神職服を身に着けていて、それがまた異様――に、厳粛で清浄な空気を萌花に感じさせた。神社の宮司とはいえ、あんな人間がいるんだ、と思った。まあ、最初にあの神主さんが自分の部屋で自分の顔をのぞきこんでいたときにも、同じことは思ったけれど。
人、というにはあまりにも。端正で、凛然としていて、すべてを撥ねつけるようで、こちらが何か――まるで、裁かれているみたいで。
もちろん、自分の中には後ろめたさもあったから、それがまた悪かったのだろう。
神社を出た後、電車を乗り継いで自宅に戻った。自宅に戻った頃にはすっかり日も暮れていて、自分の部屋に向かおうとしたら、母親がまだ心配そうに、すぐに夕食だからね、と言った。
その言葉を耳にしながら自室のある二階にあがった萌花は、コートを脱いでハンガーにかけ、自室のクローゼットにしまいながら、――この夏の終わり、三月ほど前に亡くした人のことを想った。
その人の名前は、神崎夏帆という。
夏帆は、いわゆる大学でのひとつ上の先輩だった。美人で、頭が良く、闊達で、よく笑う人だった。
知り合ったのは、萌花が大学に入ったばかりの頃。大学の図書館で課題をしていて、本を探していて書棚の前で。聞けば学部と学科が同じで、そこから彼女と仲良くなった。図書館でもう何度かあったのち、趣味が合い、帰り路が途中までではあったものの一緒になり、飲みに行ったり、休日に二人で出かけたり。気の合う先輩、いや、それを通り越して親友になれそうな友人、だったのだ。彼女は。少なくとも萌花の方はそう思っていた。
けれども。
あなたに、恋愛感情を抱いているといったら、どう思う? そんなふうにふいに尋ねられたのは、一年ほど前のことだ。
彼女の方は、いつのころからかそういう気持ちであったらしい。でも自分はそもそも異性しか恋愛対象として見てこなかったし、純粋に同性の友達あるいは先輩としてしか彼女のことを見ていなかったから、萌花はびっくりしてしまった。
そういうのがダメなら、もうこの話はしない。彼女はそうも言ってくれ、萌花が答えあぐねているとわかったといって、その話を止めた。そういうのがダメなら、と彼女――夏帆はいったけれど、そもそもダメとかどうとかいうこと自体が、萌花にはよくわからなかった。とはいえ、同性である夏帆に対して恋愛感情が持てるかといわれたらその時の萌花にはそれも考えられなくて。
その後も、夏帆はそれまでと変わらない感じで、萌花には接してくれた。でも萌花は、夏帆のことをどう考えたらいいのかわからなくなってしまって、夏帆から距離を取るようになってしまった。
もちろん彼女のことがダメとか嫌とかそういうことだったわけではない。同性同士の恋愛というものについて、自分でもとくに偏見は抱いていないタイプだと思っていたし、そういう偏見じみたものを夏帆に抱いたのでも、なかった。どちらかというと、そのまま、先輩後輩、友達同士、として付き合い続けていくのだとしたら、申し訳――なくて。
だって、相手が一方的に恋愛感情をもっている状態で付き合いつづけたら、立場が弱くなるのは彼女だろう。そういう関係で生じた優位を利用する気も萌花にはなかったけれど、どうしたって、好きなら好きの人に良く思われたいとか機嫌を取りたいとか、そういうふうになるはずだ。
萌花は夏帆のことを先輩としては慕っていたし友人としては好きだったから、余計にそれが気になった。
やがて、交わす連絡が少なくなり、連絡に返す言葉もそっけなくなり、そういえば最近大学でも合わなくなったし、連絡もないなと――そうなるように自分がしてしまっていたのだから当たり前だが――思っていた矢先。
彼女が死んだ。

