勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

03
 
 
 自分で中途半端な仕事をしたなと思った手前、なんとなくそういうこともあるかもしれないという予感はあった。
 見覚えのある女性が、皇神社にやってきたのは、それから一週間ほど後のことになる。
 その日、柚真人は、本殿でひとつ日常的な祭礼を終えたところを、社務所を預けていた緋月に呼ばれた。そこには、ベージュのコートを着た少しばかり陰鬱な感じのする若い女性が立っていた。
「アポイントなどはないとのことでしたけど、お時間ありますでしょうか? 柚真人さま?」
 緋月が、社務所の中から柚真人にうかがう。本殿からやってきて社務所の前で女性と対面した柚真人は、緋月を見遣り、軽く頷いた。
「ちょうど時間は空いてる」
 そうして、
「確か、中里(なかざと)――萌花(もえか)さん、でしたよね?」
 女性の方に向き直って、そう問いかける。
 今度は、問いかけられた女性の方が、頷いた。
 社務所の前ではなんなので、柚真人は女性――中里萌花を、ひとまず参道脇の拝殿の手前あたりまで連れて行った。彼女がここへやってきたということは、何かしら思うところがあるということだろう。彼女こそ、柚真人が先日、なんとなくすっきりしない懸念を残しつつ仕事を終えたことにした祓い事の対象だ。
「あの……両親から、連絡先を聞いて。すみません……あれはもう終わったことだと、両親は思っているみたいなんですけど、どうしてもその……気になることが、あって」
 そう、萌花は柚真人の前で紡ぎ出した。
「あれから、ここの神社のことを少し調べたんです。そうしたら、ここは黄泉の神様を祀る神社だって出ていて。宮司さんは、死んだ人と話ができるみたいだ、とかっていう噂もあって。あの……あなたが、ここの宮司さん、ですよね?」
 そう問われれば、柚真人には頷くより他にない。まあ、最近のネットの中に書きたてられている事柄については一概には頷きかねることも多々あるのだけれど、彼女が柚真人に問いたいのだろうことは、なんとなく柚真人にはこの時点で察しがついていた。
「……立ち話、で済ませたいお話ではなさそうですね?」
 彼女にそう向けてみると、彼女は先日の祓い事では拭いきれなかったような暗い――というか、どこか沈痛な感じの色を宿した瞳を、困ったように彷徨わせる。
 そこにあるのが自分の気がかりと同じものを示しているのだろうということは、先日、柚真人が彼女にお祓いを施した時からわかっていた。同時に、わかっていながらそのままにしたのは、それが、柚真人の側からさらに踏み込んで暴き立てるような話ではなさそうなものだったからだった。
 だから、あるいは、と思っていたのだ。
 こんなふうに、彼女が後から、自分で話にくるのではないかと。
 柚真人は、彼女を皇邸の居間の方に案内することにした。
 

 皇の特殊な仕事としての除霊や死者祓に関することについては、たいていここで相談を受けることにしている。
 皇邸は神社の拝殿と本殿の背後にあり、玄関を入ってすぐ左手が居間になる。そこに彼女を通しておいて、自分では台所でお茶を淹れ、柚真人は居間に戻ってきた。
 彼女に一応お茶をすすめてから、お話をうかがいましょう、あれから何かありましたか、と彼女に向かって尋ねると。
 中里萌花はすこし言葉を探しているようだったが、やがておずおずこう言った。
「……死んだ、人に。……もう、死んでしまった人に。どうしても、どうしても伝えたいことがある場合って。どうしたらいいですか」
 なるほどそれが彼女の願いか、と柚真人は思った。
 それで、か。
「……そのために、もしかして……降霊か何かを試しましたか」
「……」
「それで、あなたは、本来呼びたかった人とは違うものを呼び寄せてしまい、憑りつかれてしまった」
「………………はい。あの……その節は、すみませんでした。本当にその……ありがとうございました」
 先日の、祓い事のあらましは、この、中里萌花という娘が、何か正体のわからないものに憑かれているのではないかという、彼女の両親からの相談が元だった。中里萌花は大学の三回生で、本来であれば学校の講義もバイトもある。なのに夏の休暇が終わった頃から体調を崩しはじめ、このひと月は部屋からでてこず、どうも様子が普通ではないのだ、と、彼女の両親は言っていた。
 柚真人が様子をみたところ、彼女は三体ほどの、もうかつては人であったという人格すらも溶け落ちてしまったかのような、質の悪い怨念の名残とでもいうべき死者の御霊を背負いこんでしまっていた。だが、両親の話によれば娘にそのようなものに憑かれるような心当たりはなく、心霊だのオカルトだのといったものとも彼女はまったく無縁な生活を送っていた。
 ゆえに、彼女に憑いたものをとり祓い、祓った御霊はしかるべきところへ送り届ける、それだけの儀式をして、柚真人はいったん仕事を終えたのだ。
 ただ、ひとつ思ったことは。
 縁がないなら、普通はこんな、自力では人に寄ることも出来なくなってしまったであろう、放っておいても無害であろう、ぼろぼろの死者の御霊がよってたかって人に憑りついたりはしない。ならば、彼女自身が自分でこれを呼びこんだのではないか、と推測できるということだった。
 しかし、表向き、彼女にそのような傾向はない。となればそこまで踏み込むのは、その時点では、不要であろう。そう、柚真人は判断したのだ。
 もとより、変にオカルトにのめり込んで戻れなくなっていそうだとか、背後に事件性があるとか、さらに不用意なことをしでかしそうだとか、そういった危険性は感じられなかった。だから、これでことが解決するなら、それでよかろうとも思った。彼女が自我を取り戻した時に、双眸から静かにあふれさせた涙に、やや思いつめたものを感じはしたものの。それで彼女が正気に立ち戻れるのであれば、特に問題はないだろう、と。
 だが。
「どうしても……伝えたいことがあっ……、あるんです。どうしても。それで、私……」
 対面に座った柚真人の目を、やや必至な具合で見返してきてそう言い募る彼女の様子を見たところでは、どうも柚真人が考えていたよりも根は深そうだった。
 一般的にいっても、もしもそれが叶うなら。そう考える者は別に少なくはないだろう。もちろん普通はそんなことはできっこないと誰だってわかっている。
 けれど、わかっていても、そう願わずにいられない者は、いる。その感情自体はとくに珍しいことではない。
 とはいえ、と柚真人はまず答えた。
「何か事情があるのはお察しします。ですが、落ち着いて考えてみてください。あなたがどなたに対してそう仰るのかはわかりませんが、亡くなってしまった人に対しては、たいがい、どんなことも取り返しがつきません」
 死、とはそういうものである。此岸を離れた魂には、現世からの言葉は届かない。もちろん例外はあって、そういう場合は、言われなくとも柚真人のような存在が仲介に入る。けれど、今回に限って言えば、彼女には、彼女に対して何かを伝えたがっている霊のようなものも憑いてはいない。柚真人が祓い事をしたときも、そうだった。
「試したあなたが一番よく理解しているんじゃないかと思いますが?」
 ところが萌花は、食い下がるように、言うのだ。
「あの。それは、宮司さんでも……ですか」
「……というと?」
「ネットで、この神社のことを調べた、って言いましたよね? ここの宮司さんなら、そういうお願いも、聞いてくれそう、的なことが書いてあったんですけど……」
「……」
「この間の、お祓いのことは本当に、あの、ご迷惑おかけしたと思っています。私が、どうかしていたな、ってことも、わかっているつもりです。でも、それとこれとは別にして、……その……もしかしたら、と思ったんです……」
 ネット、ねえ。そう思いつつ、柚真人は小さく鼻を鳴らした。
 人の口には戸は立てられない。この神社が請け負う仕事は、確かにかなり特殊なものだし、世は常にオカルトや超常現象が大好きだ。もちろんネットに書かれた内容や噂話を鵜呑みにする人間がそれほど多いわけではない。そのうえで、いまや全世界規模で繋がって動いている情報網への対処はできるだけ講じているのだが。こういうことも、あるにはある。
 柚真人は少しばかり、今の時代とネットをメンドクサイことになったもんだなと苦々しく恨んだ。