勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語


 
 退勤時のこと。
「――飛鳥さん。今日、ちょっとこのあと、付き合ってくださる?」 
 と、言われた。
 もちろん今年もそう来るだろうなということは予想していたし、だから予定は空けてあった。
 

 適当に選んだ、適当な店で、乾杯する。
 その時に交わす言葉は、
「ハッピーバースディ」
 誰の誕生日かというと、他でもない、彼らの上司にして皇家の当主であるその人のためである。
 しかし、ここに主賓の姿は無いし、乾杯する人間も、たった二人だけである。――という、なんとも奇妙なことが、二人の間ではずっと続けられていた。
 つまり、今日。
 11月15日は、皇柚真人の誕生日なのである。
 なのになぜ主賓なしの誕生日会なんかを、飛鳥と緋月がしているのかと言えば。
 本人がそういった行事にまったく興味がないことがわかっているのと、当の本人に自分の誕生日を祝う気なぞ少なくとも今のところは微塵も、これっぽっちも無いだろうと思われるからである。
 しかし、飛鳥と緋月としては、なんとしても祝いたい。だからこうして、二人で好き勝手にやらせてもらうことにしているのである。
 乾杯のために、初手からちょっと値の張るスパークリングワインをボトルで頼んだ。何しろ、これはお祝いなので。
 その薄い黄金色を注いだグラスを傾けながら、緋月は大きくはあーっ、とため息をついた。普段の、昔とかわらないお嬢様然としたその姿かたちや仕草にはいささかそぐわない感じで。まるで、何日もの遅くまでの残業からやっと解放されたサラリーマンのように。まあ、最近は、どちらかというとお互いにそっちの方が自分たちの様子に近い表現になりつつある具合になってきてしまってはいるのだが。
「早くちゃんとお祝いしたいものですわ。できれば、それが可能であるうちに」
「毎年、来年こそは! ……って言ってるもんねえ。今年も、結局本人とはお祝いできなかったねえ」
 と、飛鳥も緋月に同意を示した。
 もしもここに柚真人が居てくれることかあるとしたら、それは柚真人が柚真人にとっての現在の最優先事項を叶えた時だろう。
 二人もまた、同じことを願っているのだ。
 もちろん――その一方で、飛鳥は司を想い、緋月は柚真人を想う。彼ら四人の関係はもともとそうして絡み合っていったものだった。
 それから何十年も経過した今となっては、飛鳥と緋月の側の想いはすでに色恋とは別の何かに昇華している。けれども、その状態のこの気持ちを分かち合えるのがお互いしかいないから、今、こうしている――というような感じだ。
 その一方で飛鳥も緋月もお互いに未婚で、今もこの先も、誰か他のパートナーを選ぶ予定はなかった。でもそれはそれとして、飛鳥も緋月も、ともに柚真人が望むその人と結ばれて欲しいと願っている。
 というより――柚真人が柚真人の望むかたちで一番幸せであることを。彼らのことを間違いなく誰よりも想いながら、そこに自分の場所があるわけではないことはわかっている。
 だからこそ、柚真人を柚真人の想い人と早く再会させたいと日々願い続けているのだが――。
「わたくしたちも。いつになったら、司に逢えるのかしら」
「それねえー……」
 ここまでは、毎年、同じ失望を繰り返している。
 柚真人の想い人は片方とはいえ血のつながった実の妹で。柚真人はすでに人ではなくて。妹の司は、絶対に失われてはならない巫女である。その恋は、現在も過去も未来にあっても何がどうあったところで許されるものではないだろう。
 だが、飛鳥と緋月にとってはそんなことはどうでもよくて。
 ただひたすら、彼女を取り戻した時に、柚真人が見せてくれるであろう表情に思いを馳せる。
「司ちゃんが帰ってきたら、絶っっっ対に! 派手にパーティやろうねえ」
「それはそうですわよ。そこはさすがに、柚真人さまがどんなに反対しても、ですわ」
「……柚真人の誕生日パーティもねえ」
「もちろんですわよ。……私たちが、その時何歳になっていても」
 緋月がグラスを差し出してくる。
 なので、飛鳥も自分のグラスを持ち上げ、二人はカチンとグラスを鳴らした。
 それは今年も繰り返される、果たされない約束の、誓いの儀式のようなもの――だった。