勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語


 
 空には満月があるという。
 しかし生憎、今、皇神社を覆っている空のもようは曇天だった。

「せっかく、今年いち、美しいお姿が見られると思いましたのに」
 小声で、そう小さく呟くのは神社の神職のひとり、暁緋月だ。
「天候ばかりはどうにもならないからね」
 対して応じるのは、橘飛鳥。
 時間は、ちょうど日付が変わる頃。この日を跨いで満月と朔月の日に行われる神事が、皇神社にはあった。ふたりは、それを見守っているのだ。
 満月が空にかかる日であれば、その月光に、神事が映える。緋月が言うのは、そういうことだった。
 とはいえその神事は、宮司ひとりが闇の帳の落ちた境内の中の一隅にある神楽舞の舞台の上で音もなく静かに舞っているだけだ。そこには篝火のようなものもなく、あるとすれば月がある時は月の光、無ければ闇のみである。
 宮司が身に着けるのは、漆黒の袍。ゆえに曇天の下では、闇色が闇に溶けながら踊っているようにしか見えない。緋月と飛鳥は、神楽舞の舞台を、神社参道をはさんで反対側の位置にある社務所の傍から見つめていた。
 宮司の神楽舞を神職が神事に関わらずに見物しているというのも妙な話なのだが、この神事は宮司ひとりによって、人知れず、密かに、行われる決まりとなっている。つまり、本来であれば、それを見る者はいないはずなのである。
 だから緋月と飛鳥はこの神事に関わりたくても関われないし、宮司である柚真人の許しがあって、こうしてその姿を見ることができているのだった。
 もちろん、ふたりが皇の分家筋、勾玉の血脈を継ぐものであるという条件もある。これは満月と朔月の日には皇の巫が決まって行わなくてはならない月次祭なので、宮司が行うことができない日には、緋月か飛鳥のいずれかが、代わって行わなくてはならないものでもあるがゆえ。
 にしても、柚真人の舞は見事だ。
 先ほどから、緋月は見惚れてため息を何度もついている。
 だが飛鳥も、同じく舞を見つめながら、まったく音がしない、と思い、そこには毎度感心しきりだった。
 美しく、確かにそこでその身体は舞を奏上しているというのに、少しの足音も、あるいは衣擦れの音すら微かなもの。これは、柚真人が学生の頃からそうだ。
 緋月と飛鳥が神職としての奉納舞などというものをきちんと学び始めたのは大学に入ってからである。しかし柚真人は、飛鳥たちが知らなかっただけで相当に幼いころからこういうことに従事していた。その経験に上積みして、たぶんそういう才もまた、彼が稀代の巫であることの証なのだろう。これは、自分たち神職が、祭神と、まがりなりにも何かを通わせるための儀式なのだから。
 神様なんていない。
 あの日、すべてが変わってしまうことになったあの日までは。
 自分たちは遠からず皆、そう思っていたはずだ。神社も、祭神も、祭禮も、あるいは祓いの儀式ですらも、これは人の心を救うための装置にすぎないものであると。
 でも今は。
 違うと、知っている。
 これはひとつの所作もおろそかにはできない、自分たち、皇の巫にしかできない、祈りの儀式。これは真実、生ける者のためではなく、黄泉路を逝くものたちのための、神事。
 皇の巫の奉納舞は、あの、水底の常世まで確かに届き。
 祓戸大神の一柱、速佐須良比売への供物となる。
 闇をすべる、闇色の衣。
 ともすれば目を凝らす必要があるほどの、影絵のような舞なのに。なぜかくっきりと鮮やかでもあるような気がして。
「……満月があれば、かぐや姫のようですのに」
 緋月が、小さく呟く。
「残念ですわ」
「――……」
 緋月の目には、柚真人の舞が、そう見えるのか。
 飛鳥はそう思ったが、さりとてその緋月の言葉を、否定する気にもなれなかった。そう言ったら柚真人はきっと――はぁっ!? というような顔をして、一笑に付すだろうが。
 
 
 美しく、儚く、この世のものではないような。緋月がいわんとしているのは、おおむねそんなとこだろう。