勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

01
 
 


「ええ、神社カフェの話だめなのぉー」
 本気の不満顔でそう言われたのは、初秋のある朝、社務所を開けるための準備をしている時だった。
 そんなあ、という顔を思い切り遠慮なく柚真人に向けているのは、皇神社の神職のひとり――橘飛鳥だ。
「……あれはお前の入れ知恵だったのか」
 柚真人はそう言って、飛鳥――柚真人の従兄弟であり、付き合いは幼少の頃からであり、ついには神社に就職してくれてからもすでに長く、柚真人との腐れ縁を自ら好んでずっと作り続けてくれている男だ――に軽く呆れた目つきを向けた。
 神社カフェ、というのは昨今様々な神社で真面目に流行の兆しを見せている神社境内におけるカフェ運営のことだ。最初にその話を向けられたのは、先日、弁護士の優麻からであったと記憶しているが――と柚真人が思ったところ、
「ちがうちがう。この間、優麻さんとそんな話になってさ。え、絶対いいじゃん、ておれが勝手に思ったの」
 優麻には、一蹴したはずだった。なのに今になってなお、飛鳥がその話題を自分の前に引っ張ってくるとなると、あの弁護士、案外と諦めていないのかもしれない。などと、柚真人は思った。
「それでなくとも忙しいのに、このうえカフェなんてやってられないだろうが。お前ら、うちの仕事をなんだと心得る」
 柚真人はふたたび、飛鳥に向かっても一蹴しにかかる。しかし飛鳥は食い下がろうとする。
「いやそこはほら。おれと緋月ちゃんでまわすからさあ」
「なんでもかんでも緋月を巻き込んでやるな」
「でも、緋月ちゃんにも話してみたけど、けっこう乗り気だったよー? 軌道にのればけっこう儲かっちゃったりして」
 話したのか、と柚真人は天井を仰ぎたい心地になった。緋月、というのもまた柚真人の従妹で、飛鳥と同じく付き合いは幼少の頃から。現在は飛鳥とともにこの神社に勤務する神職である。
 もともと、飛鳥の家である橘家と、緋月の家である暁家は、この皇神社の神職を宮司家である皇とともに継ぐために代々続いてきた社家のひとつであったから、そう考えると彼らの現在地は順当なものではあったろう。けれども皇の当代には色々な面倒事と問題が、現在進行形で付きまとっている。そのため、柚真人は社の宮司として、飛鳥と緋月が人生の進路を決めなくてはいけない頃に、今後一切この神社に関わらない生き方をしてくれてもよいと告げたのだった。それでも、自分たちで好き好んで柚真人についてきてしまっているのが、この二人だ。
「じゃあさー、せめてキッチンカーとか。どうよ」
「どうよじゃない。断るっての! カフェ、から、離れろ!」
 優麻はもちろんのことだが、飛鳥や緋月とのやり取りも、昔からかわらない。柚真人が人の時間を離れ、二人との間に容姿的な意味では年齢差が開いてきたが、そんな今でも、飛鳥は飛鳥、緋月は緋月だ。そんな二人が、今もここにいてくれることには、柚真人も助かっている。だからとくにこの二人には、あまり強く出ることもしないのだけれど、それにしたって神社にカフェをぶちたてようよするのはなんとかやめてもらいたい。
「だいたい……この先ずっと、そんなものを境内に維持する方の身にもなってくれ」
 柚真人がそういう言い方で仄めかすのは、自分がそのことについて何故ダメだというかの理由のひとつだ。その他にも、理由ならいくつかある。だがそう言えば、さすがの飛鳥にも伝わるはずであると思う柚真人である。
「……やっぱり、だめえ?」
 飛鳥はなお、――その年齢の成人男性がするにはあまりにあまりなしなのようなものでもって柚真人に重ねてくる。
「ご当主様、お菓子作りの腕もあいかわらずプロ級だし、最近またいろいろ作ってくれるようになったから、もったいないなー、と思うのにぃ」
「……見ず知らずの他人に食べさせたくて作ってるんじゃないよ。おれは『家族』に作ってる」
 柚真人が返すと、飛鳥はついに言葉に詰まったようになり、
「――ずるいぞ柚真人! 殺し文句ゥ!」
 と喚いた。
 それでも、こっちも飛鳥がそう受け取ってくれるだろうことは織り込みで口にした。狙った通りの飛鳥の反応なわけだが、その反応を、確かに少しばかり嬉しいと感じる自分がいることに、いまは、感謝すべきなのだろう。
 
 
 そんな現皇家当主の後姿を近くに見つめながら。
 ――ほんと、ずいぶんとまるくなったねえ。
 と、思う橘飛鳥である。
 今の柚真人は、自分からちゃんと『家族』といってくれる程度には、自分や緋月のことを、大事に思い、やがて自分の傍らから失われていくであろうことを惜しいと思ってくれている。柚真人が、言外にでも、そう、こちらに伝えようと思ってくれることに――満足すべきなのだろう。
 自分としては、真逆の意図を含ませて、神社カフェには賛同したつもりであるのだけれど、ここのところの食い違いはそのまま飛鳥と柚真人の性格の質の違いだ。である以上、もはやいかんともしがたいものなのかもしれない。飛鳥としては、そろそろ柚真人に遺すものを考えたい。そんな気分になることが多くなってきた。
 たとえひとりになろうとも、ここへ残るという選択をしたこの従兄弟を、自分はひとりにはしたくない。そう願っているのである。
 もちろんこの先の状況は、まだ、どうなるのかわからない。彼がひとりで残される。それが確定しきっている未来というわけでもない。彼の願いが叶う日が、あるはすぐそこまで迫っているのかもしれない。それならそれで、こんなに喜ばしいこともないのだけれど。
 ――お前の懐に、入れてもらった。当主と従者の垣根を越えて、信頼と友情さえ越える絆と呼んでもいいのであろうものを得た。
 それだけで、納得しなきゃいけないおれが、けっこう寂しいんだよねえ。
 そういう想いが、ちょっとだけ小さな溜息になって飛鳥の鼻先から洩れると、敏い柚真人は、
「――なんだ?」
 と、飛鳥を振り返る。
「なんでもない、よ」
 飛鳥が、自分とは確かに同い年ながら十数年前から歳をとることをやめてしまった従兄弟の顔を見返して嘯いた時、
「おはようございます。朝の清掃終えてまいりましたわ――」
 巫女装束に身を包んだ緋月が社務所に顔を出した。清掃とは境内の清めのことだ。神社では、毎朝夕に行う。緋月は柚真人の姿を認めると、まず柚真人に深々頭をさげ、それから飛鳥にもいつものように微笑みかける。おそらく、飛鳥と似ていてそう非なるものでもない想いを、同じく胸には抱えながら。
 皇神社の秋のある一日は、そうして始まった。