勾玉遊戯:緋の杜の鬼と巫女の物語

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      ☆

 件の咲白山に限らず、いずれの山にしても、その日は山に入ってはいけないとされる禁忌の日や、そういった言い伝えがあるものである。
 これは山の仕事などに携わる人間や、山とともに暮らしてきた人間の間には、今でも伝わる民俗的・伝承的なものだ。
 その日にはおおむね『山の神様』が関わっているとされる。柚真人が村人から聞いた、咲白山における禁忌の日も、日付としては同じであった。
「その日なら、逆を言えば、山に『入れ』るはずだ」
 柚真人は助手席からステアリングを握る優麻に言った。
 あと数時間ほどで日を跨げは、日付は件の山の日になる。そんな中、柚真人と優麻は車を走らせている。 
 わざわざ禁忌とされる日に、明るい時間帯に村で見慣れぬ人間が山に近づこうとすればさすがに人目につくだろう。そう予想されることもあって、今回は深夜のうちに山に入ろうというのが柚真人の考えだった。
 山というものは、多くが人里と異界の境、あるいはそのどちらともいえる場所である。そうして、山の日というのは、その境が揺らぐ、いわば人にとっては異界への扉がひらく時をさす。
 山の怪異、山の主、山の神、いずれと呼ばれるものであっても、つまるところそのような山の異界に棲む。人が消えたり、祭が行われたり、山に立ち入ってはならないとされたりするのは、その日、山が異界と繋がるからなのだ。
 都内にある皇神社から都道府県単位の移動は高速を使い、高速を降りると、国道から県道、さらに細い道へと入っていく。
 その途中で、
「車のライトを消しましょうか」
 と、優麻が言った。
 助手席の柚真人が何か返答する前に、優麻は車内から点灯を操作できる車のライトを消してしまう。
 そうするとすでに街灯もろくにないような田舎道では前方が本当に真っ暗になってしまうが、引き続き、優麻の運転には淀みが無かった。
 なんのことはない、優麻も柚真人も、本性としてはどちらかというと宵闇の世界に属しているので、夜を見るのに現状物理的な灯りのような光は必要ないのだ。
 これもある意味では、柚真人たちには禁じられているはずの、人の身には備わっていないはずの異質の能力を行使することになる。しかしこの程度のものであれば、人にとっては夜目を凝らすようなものなので、見逃される範囲であるといえよう。
 車のライトを消したのは、田舎の夜道で目立たないようにするためだ。
 といってもブレーキランプは消しようがないのだが、人目に付きにくくする効果はあるだろう。車は闇の中を滑るように山への道へと入っていく。
 そして先日柚真人がひとりでここにやってきたのと同じところで車を停め、さらに同じように二人は歩いて山に向かった。
 柚真人は、今は、白い神職服に身を包んでいる。優麻は対照的に闇に紛れるようなダークスーツだ。
 目的地は、これも同じく柚真人が見つけた、山の祠。
 そこまでいけば、おそらく――とは思ったものの、二人にとってはその前から、山の空気の違いを感じた。優麻が腕時計で時間を確認すると、零時を少し回ったところであった。
 暦からいっても、連日未だ残暑が続いていることからいっても、蝉や虫の声が聞こえていてもおかしくはない時期であり場所のはず。しかしあたりはしんと静かで、それが異様だった。
 むしろ逆に、自分たちが立てているはずの足音や木の葉や草木の擦れる音、そんなものが周りの空気に吸われて消えていくような感じさえする。
 柚真人は、優麻を半歩後ろの傍らに、そんな雰囲気を気にした風もなく山への道を入って行った。
 闇の中を少し行き、あの時祠とちょっとした広間のようになっていた空間のあったところへたどり着く。するとそこには、以前柚真人がここに来た時にはなかった祭壇のようなものがあり、大型の獣――おそらくは、シカだろう――が供えてあった。
 その他にも、供え物として、果物や、米、酒瓶のようなものも見て取れる。見て取れる、というのは物理的な明るさのような感覚を伴って見て取れる、ということであって、つまりそこ、祠と祭壇を中心に広間のような空間全体が、青白い光に包まれて在った。
 光の源は、灯りのようなものではない。ものではなく。
 ちょうど祠のあるあたりの空間から生えるみたいに――白くて巨大な、――なんと、表現するべきか。
 異形のもの、がそこにあった。
 というか、居た、というか。
 印象としては、女性、あるいは雌だった。まあ、もともと、山の神と云われるものには女性だと言われることが多い。印象としては、という前置きになったのは、はっきりとした人間のような姿を、その白いものがしていたわけではないためだ。どちらかというと、樹木、植物、それがわさわさと大きく育ち、縦横に枝を伸ばし、葉を茂らせ、蔦をあちこちに這わせながら不気味に蠢いている、といった感じであった。白く、ぼんやりとした光を纏いながら。
 その白いものは、おそらく柚真人と優麻、ふたりの人間らしきものの気配に気が付いて顕現したのだと思われる。わさわさと蠢く白い巨大な何かは、しばらくそうやって不審げにあるいは不満げに何かを探るような気配を漂わせていた。
「――畏み畏み申す。山の主とお見受けする。少しばかり話がしたい」
 柚真人は怯んだ風もなく、まっすぐそのものと村人たちが昨日のうちにしつらえておいたのであろう供物と祭壇の正面に立ってそう発した。
 すると。
 わさわさしていた白いものは、す、と静かになり。
 やがてほどなく空気の中から滲み出てくるように、白い、ひとがたがあらわれた。
 異形・怪異はこうしてひとの姿を模すことがそもそもままあるのだが、今は、柚真人の言葉に応じてひとの似姿になってくれたものと思われた。
 ひとがたは、そして、これもまた白いさまざまな花や葉などでからだを飾っている。そのことからも、これはやはり推測した通り、この山の地に棲む、怪異のたぐいなのだろう。
 こちらの話をしたいという意志を受けて、それに応じた姿をあらわしてくれたことに対して、まず柚真人が謝辞を述べようとした、――その時。
『――其方、人デハナイナ。何故ソノヨウナ出立デココニ在ル』
 そのような出立とは、人の神職の恰好のことだろうか。柚真人がそう推測したとき、それはさらに重ねて、
『――オ前モ面妖デアルナ。オ前、我ラノ同族デアロウニ、……何故、ソノヨウナ?』
 お前、というのは優麻のことだ。訊かれたことは同じことであったので、柚真人と優麻はちらりと視線を合わせるように、顔を見合わせた。


 その後、話が出来たところによると、山の怪異の言い分はこうだった。
 もともと、このあたりは人の住む場所ではなかったらしい。とはいえもともとといってもそれはかなり昔のことである。そこへ、人が入ってきた。そして村ができ、人は山にも入ってくるようになった。山には主の他にも人ならざるものがたくさん棲んでいたため、人が山に入り始めたばかりの頃は、人を襲ってしまうものや、住処の境界線について人と争いになってしまうものが、多かった。そのうち、人と山との間に入れる者がやってきて、その間をとりなし、人と山との間に約束ごとを設け、ことを収めた。その約束ごととは、月に一度の山の日だけは、人は山に入らないこと。そうして、その日にはかならず獣肉の供えものをすること。そうすれば、山の主は月に一度の山の日をのぞいて、山に人を受け入れる。ただし、供え物を忘れたり、禁忌の日に山に入ったりすれば、この山に棲むものたちが、どのように機嫌を損ね、人にどんな災いをもたらすかはわからない。主はいちおうこの山の怪異たちの長のようなものであるが、それは単なるまとめ役のようなものであり、ここに一番長く棲んでいるいるというだけで、彼らを束ね従わせるような存在ではない。
「では、その約定を違えない限り、人に危害は加えないということだな?」
 柚真人があらためて確認するように尋ねると、白く仄かに光るひとがたは、その顔容のなかにある、一対の黒い飴玉のような目を、柚真人に向けた。
『――ソウ、約シテイル』
「山の、人側の持ち主が変わっても、問題はない? 人里の方では、山に仕える人間の家が、代々決まっていたようだが」 
『――ソレハ、人ノ事情デアロウ。家ダノ代ダノトイウコトハ、我ラノ関与スルトコロデハナイナ』
 そうか。柚真人が考えたのは、では約束さえ破られなければ、山の持ち主が変わっても現状にかわるところはないのだな、ということだ。
 ところが。
 ふと。
 小さな、間、のようなものがあった。
 それから、ひとがたとなった山の主は、こう――付け足した。
『――ソモソモ、我ラニハ、イニシエヨリ、約束ヲ守リ続ケル義務モナイ。タダ――イニシエ、我ラト約束ヲ交ワシタ巫女ニ免ジテ。人ヲイタズラニ狩ルコトハシナイト約シタダケノコト』
「…………巫女……?」
『――ソウ。人ト我ラトノ間ニ入ルモノ。ココニヤッテキタノハ、人ノ女巫デアッタ。ソノ者ノ誠意ヲ、我ラハ認メタノダ。アノ巫女デアレバ、我ラヲ退ケルコトモ、アルイハ滅ボスコトモ、デキタデアロウ。シカシ、アノ巫女ハ、ソウデハナク、人ト我ラヲ、トリナシタ。ソレユエ、我ラハ人ヲ受ケ入レタ』
「…………」
 昔は、この山の主が言うように、人と人ならざる者との間に入って交渉することや、それらと争い戦って退けることを生業にする者はたくさんいた。だから、女がやってきた、といわれたとて、別に珍しいことではない。
 ただ――巫女、となると。
 しかも山の主が我らを滅ぼすこともできたであろうというほどの者で、しかしそれだけの力がありながら力ではない方法で山の怪異たちを退けた者。さらには、この山に人が入ってき始めた頃の年代。いや――。
 柚真人が虚を突かれてふいに黙ったことを、何か訝しんだものと思ったのか、山の主は、
『――ナニ。其方ノ傍ラニ在ル者ト、我ラノ在リ方ハ、サシテ変ワルマイ』
 と、話の矛先を急に優麻の方へと向けた。
 優麻はそれこそ柚真人の隣でずっと黙ったままことの成り行きを見守っていただけであったが、
『――オ前ハ、ナゼ、我ラト、同族デアルノニ、ソコニ在ル』
 と、山の主が優麻に問う。
 そこで優麻はやっと口を開いた。
「私は、こちらの――私の主の傍らにいたいからいるのです」
『――ダガ、オ前ニ、ソノ義務ハ、ナカロウ?』
「はい」
『――我ラモ、同ジ。アノ巫女ニ、頼マレタユエ、ソノ願イヲ聞キ届ケ、守ッテイル』
 それだけのこと、それだけのこと、と山の主は繰り返した。
 話が終わると、柚真人は自分からも祭壇に酒ともち米を備え、山を辞することにした。
 この身は人のかたちをしていながら、禁忌の日にこの場を騒がせたことには謝罪して。
 自分の身の上についてもかいつまんで相手を刺激しない程度に説明をすると、山の主は、お前もあの巫女のようにあくまで人の中にあるのだなというようなことを言った。そのように、異形のちからにあふれておるのに、と。