02
そういった山は、おそらく、この日本中には多くある。
ただ、山にあってそういう話のもととなる存在の正体は、様々だ。本当に何かが棲みついている山もあれば、そこに続く人の営みが生み出した単なる慣習や約束事である場合もある。
ともあれ、確認するには自分が現地に赴くのが一番簡単であろう、と柚真人は考えた。
場所は東北の少し奥地になるので遠くなる。だが、車であれば日帰りも可能であろう。そういう場合は神社のスケジュールを調整し、社務所の仕事などはほかの神職やバイトの巫女たちに任せることにしている。
山は、依頼主からの説明では、咲白山と呼ばれているようだった。
しかし登山客が訪れるようなものではなく、なんというか、地元の集落の人々が、季節により山菜取りに入ったり、もっと古くは獣や薪を取りに入ったりしていたのであろう山だ。
そのすぐふもとまで車で入れる道路があったので、柚真人はナビのGPSを頼りにそこまで乗りつけた。
田舎道を走っていた道路がだんだんと細くなり、やがて舗装がなくなり、先が無くなる――というような感じではあったが、今の柚真人にとって、『山』と『人里』の境界線は、常にはっきりしている。そのあたりに車を停めて、あとは歩きだ。
ちなみにこういった場所での現地調査が必要になる場合、柚真人はなにかしらの学術研究をしている学生のような風体を装うことが多い。けっして興味本位などではなく真摯に民俗学や考古学をやっているようなことをにおわせると、たいていどこでもさほど警戒はされないし、協力的になってくれる人が多い。
季節は晩夏であったので、山はまだ青々としていて、そこいらじゅうから蝉の声がする。そのすぐ傍までたどり着くと、おそらく地元の人間が使うのであろう、踏みならされた小さな道のようなものがあった。
ここは、まだ、『人里』だ。柚真人にはそう判じられた。特に部外者の立ち入りを禁じたりするような表示もない。
なので、柚真人はそのまま小道に足を踏み入れた。
そのまま少し上っていくと――もしかしたらと柚真人があたりをつけていたものが見つかった。それは、ちょっとした社のようなものだ。
いや、社というより祠が近いか。畳でいうと6畳ほどの広さのある開けた場所と、その場所を前にして据えられた祠。山へ入る道は、いちどこの場所で途切れ、それから祠の裏手へと続いているらしい。
祠は古びてはいた。
けれども、小綺麗だった。
木材で出来ていて、しめ縄のようなものもそう古くない感じで飾られてある。
しかし――。
柚真人は何かを読み取ろうとするかのように、わずかに目を細めた。
これは、『神』を祀ったものではないな。
元来は、祠は小さな神社のようなものであり、神道的な観点から言えば、なにかしらの神を祀るもので、日本全国のあちこちにある。その後、神仏習合によって仏に関するものが祀られるようにもなったが、これはそういったものが祀られているものではない。
それに。
――今は、『いない』、か。
柚真人が目を細くしながら感じ取っていたのはそのことだった。
ここに棲む『なにか』、はおそらく『在る』のだろう。
いわば、『山』と『人里』の境界線はここだ。
けれども、いま、その存在は、ここにはいない。
それが、何で、どうしていまここには気配も感じられないのか、は、さすがにこの状態では柚真人にもわからない。
そうなとなれば、特にここには用はない。
柚真人は踵をかえし、車まで戻った。
となれば、この村の人間に、直接話を聞いてみるのが良かろう。
もちろん、咲山誠氏から先に話をうかがっていたので、村人たちの山に対する慣習や、人がいなくなることがあるらしいなどという話に土足で踏む込むことは避けるとする。
たいがい、こういう場所ではそういうことを部外者に話したがる人間はいないし、そこをほじくっていらない壁をこちらから作るのも意味がない。
それに、村の人間たちはすでに、山について調べに来た不動産業者といざこざをおこしているし、誠が山を処分して他人の手に渡したがっていることを知っている。
村自体はごく普通――といってもこの国の多くの農村部が現状そうであるように、ここも限界集落というやつに近づきつつあるようだったが――の農村といった雰囲気だ。
山から人里の方へと車を走らせていると道の両脇には田んぼや畑が広がっている。
柚真人はまず、咲山誠から示された、彼の実家つまりはかつて両親が住んでいたがいまは主無き空き家となっているはずの家に向かった。
咲山の家は、集落のなかで大事な位置づけとなっている山を所有しているだけあって、けっこうな家屋と土地を有していた。
そこまでいくと、また、車は停めさせてもらうことにする。咲山の敷地への立ち入りの許可も現在唯一の相続人となった誠からもらっていたから、とくに問題はないだろう。必要があれば、実家の家屋の中への立ち入りも自由にどうぞ、と誠は柚真人に許可してくれた。
車を停めると、さて、そこで件の山について穏便に話を聞けそうな人間は――と考える。考えながら咲山の家の敷地を出て、あたりに広がる田畑の方へと、柚真人は目を向けた。
すると、日の当たる眩しい緑の中で農作業中らしい人間の姿がちらほら見られた。
その中で、充分に敬意を払えば話は聞けそうだなと思しき相手に目星をつける。
柚真人はそこから数十メートルほど離れたところ、なにがしかの夏野菜の畑の中にいるそこそこ老齢の女性に声をかけることにした。
「――すみません」
見慣れない、かつ柚真人くらい若い人間がぽつんとそこにいる姿を見れば、なんだ? という反応をされるのが普通だろう。
そこで柚真人は自分が装っている風体と同じように、フィールドワーク中の研究者であるかのような態を装った。
それでも取りつく島もない扱いをされることもあるが、今回声をかけさせてもらった女性は、柚真人があたりをつけた通り、仕事の手を少し休めて柚真人の相手をしてくれた。
「ぼくは、日本の小さな祠やそういったものが祀られる山に関する伝承とか神様の話を調べている者です。よかったら、こちらの咲白山という山について、少し教えていただきたいのですが――」
という問いかけに対して、彼女から聞けた話は、こうだ。
咲白山と呼ばれる山には、村がここにできたときから守られてきた、と。
そのため、山には祠があって、村を守ってくれてきた『何か』と祀っているのだと。
そして、咲山の家は、だいだいその祠を管理する家であったようだ。『咲山』という苗字や、誠の話からしてもそれは推し量れた。
しかしその家から人がいなくなってしまったので、いまは集落の家がもちまわりでその管理を代行しているらしい。
そうしないと、山は人里を守る存在から災いをもたらす存在になる。
管理というのは、その災いを回避するための山と人里との約束事を遵守するということで、具体的には決められた日には、山に入ってはならないということ。そしてその日には山で獲れたなにがしかの獣を祠に備えること。
その約束を違えると、山に入った人間は山から戻れなくなるし、以降、人は山に入れなくなって、山からの恵みも絶えてしまう。
山では様々な山菜や天然の果実などが取れ、獣ももちろん狩ることができ、かつては村の生活を支えた。
しかし約束を違えた時には、事実、山に入った人が戻らなくなるばかりか山では何も取れなくなり、昔は、たいそう村を困らせたこともあるようだ。
人がいなくなる現象が起こる、という話も、この、山から戻れなくなる、という話がそういうことになるのだろう。実際に、この村の人間以外にも、戻らぬ人間がいるということも、彼女は否定しなかった。
ただ淡々と、ここはむかしからそういう山なんだよといった。
ほんとうに、『そう』なんだ。だから時々やってくるお前さんのような外の人間や、話の通じない部外者を、止めたり諫めたりすることもある。
その約束にともなう昔からの一連の出来事が、本当のところ、いったい『何』によるものなのかはわからない。
たとえば山の祠にも、その『何か』の正体が判別できるようなものはなく、その名前や由来や歴史が記してあるわけではない。
だが、昔からそういう現象は厳然として絶対的に存在し、現在も存続している。
ならば、『何か』は確かに『在る』という他になく、村としては、昔から伝わる約束を守り続けるより他に――ない。
☆
「では本当に、人がいなくなる――ということなんですね」
夜も遅い時間になってなんとか皇の社に帰りついた。
帰宅すると、帰宅路がてら帰ってからもろもろ報告すると連絡しておいたこともあって、優麻が柚真人を待っていた。
軽く用意してもらった遅い夕食つきで、柚真人は優麻と皇邸のダイニングで向き合っている。ちなみにテーブルに用意してあったのはテイクアウトの惣菜と缶ビールだ。
「そういう話は山となればあるあるっちゃーあるあるなんだが」
仕事の片付けと潔斎を終え、部屋着に着替えてきた柚真人は、販売用のパッケージのまま並べられた惣菜のパックから、あっさりめの野菜の和え物を箸で摘みつつ、優麻に頷いで見せた。
「まあ、広い日本、山に棲むモノも伝承も様々だし、そもそも山自体が神域だったり、異界との境界だったり、そのあり様もさまざま――な」
それは、優麻も知っていることだろう。
しかし――柚真人はそこから優麻の目をまっすぐ見て、ふ、とどこかなにかおもしろそうに、唇を歪めた。
「そんなわけで、今回は――俺よりも、《《お前の方が》》詳しそうな話だ」
そういった山は、おそらく、この日本中には多くある。
ただ、山にあってそういう話のもととなる存在の正体は、様々だ。本当に何かが棲みついている山もあれば、そこに続く人の営みが生み出した単なる慣習や約束事である場合もある。
ともあれ、確認するには自分が現地に赴くのが一番簡単であろう、と柚真人は考えた。
場所は東北の少し奥地になるので遠くなる。だが、車であれば日帰りも可能であろう。そういう場合は神社のスケジュールを調整し、社務所の仕事などはほかの神職やバイトの巫女たちに任せることにしている。
山は、依頼主からの説明では、咲白山と呼ばれているようだった。
しかし登山客が訪れるようなものではなく、なんというか、地元の集落の人々が、季節により山菜取りに入ったり、もっと古くは獣や薪を取りに入ったりしていたのであろう山だ。
そのすぐふもとまで車で入れる道路があったので、柚真人はナビのGPSを頼りにそこまで乗りつけた。
田舎道を走っていた道路がだんだんと細くなり、やがて舗装がなくなり、先が無くなる――というような感じではあったが、今の柚真人にとって、『山』と『人里』の境界線は、常にはっきりしている。そのあたりに車を停めて、あとは歩きだ。
ちなみにこういった場所での現地調査が必要になる場合、柚真人はなにかしらの学術研究をしている学生のような風体を装うことが多い。けっして興味本位などではなく真摯に民俗学や考古学をやっているようなことをにおわせると、たいていどこでもさほど警戒はされないし、協力的になってくれる人が多い。
季節は晩夏であったので、山はまだ青々としていて、そこいらじゅうから蝉の声がする。そのすぐ傍までたどり着くと、おそらく地元の人間が使うのであろう、踏みならされた小さな道のようなものがあった。
ここは、まだ、『人里』だ。柚真人にはそう判じられた。特に部外者の立ち入りを禁じたりするような表示もない。
なので、柚真人はそのまま小道に足を踏み入れた。
そのまま少し上っていくと――もしかしたらと柚真人があたりをつけていたものが見つかった。それは、ちょっとした社のようなものだ。
いや、社というより祠が近いか。畳でいうと6畳ほどの広さのある開けた場所と、その場所を前にして据えられた祠。山へ入る道は、いちどこの場所で途切れ、それから祠の裏手へと続いているらしい。
祠は古びてはいた。
けれども、小綺麗だった。
木材で出来ていて、しめ縄のようなものもそう古くない感じで飾られてある。
しかし――。
柚真人は何かを読み取ろうとするかのように、わずかに目を細めた。
これは、『神』を祀ったものではないな。
元来は、祠は小さな神社のようなものであり、神道的な観点から言えば、なにかしらの神を祀るもので、日本全国のあちこちにある。その後、神仏習合によって仏に関するものが祀られるようにもなったが、これはそういったものが祀られているものではない。
それに。
――今は、『いない』、か。
柚真人が目を細くしながら感じ取っていたのはそのことだった。
ここに棲む『なにか』、はおそらく『在る』のだろう。
いわば、『山』と『人里』の境界線はここだ。
けれども、いま、その存在は、ここにはいない。
それが、何で、どうしていまここには気配も感じられないのか、は、さすがにこの状態では柚真人にもわからない。
そうなとなれば、特にここには用はない。
柚真人は踵をかえし、車まで戻った。
となれば、この村の人間に、直接話を聞いてみるのが良かろう。
もちろん、咲山誠氏から先に話をうかがっていたので、村人たちの山に対する慣習や、人がいなくなることがあるらしいなどという話に土足で踏む込むことは避けるとする。
たいがい、こういう場所ではそういうことを部外者に話したがる人間はいないし、そこをほじくっていらない壁をこちらから作るのも意味がない。
それに、村の人間たちはすでに、山について調べに来た不動産業者といざこざをおこしているし、誠が山を処分して他人の手に渡したがっていることを知っている。
村自体はごく普通――といってもこの国の多くの農村部が現状そうであるように、ここも限界集落というやつに近づきつつあるようだったが――の農村といった雰囲気だ。
山から人里の方へと車を走らせていると道の両脇には田んぼや畑が広がっている。
柚真人はまず、咲山誠から示された、彼の実家つまりはかつて両親が住んでいたがいまは主無き空き家となっているはずの家に向かった。
咲山の家は、集落のなかで大事な位置づけとなっている山を所有しているだけあって、けっこうな家屋と土地を有していた。
そこまでいくと、また、車は停めさせてもらうことにする。咲山の敷地への立ち入りの許可も現在唯一の相続人となった誠からもらっていたから、とくに問題はないだろう。必要があれば、実家の家屋の中への立ち入りも自由にどうぞ、と誠は柚真人に許可してくれた。
車を停めると、さて、そこで件の山について穏便に話を聞けそうな人間は――と考える。考えながら咲山の家の敷地を出て、あたりに広がる田畑の方へと、柚真人は目を向けた。
すると、日の当たる眩しい緑の中で農作業中らしい人間の姿がちらほら見られた。
その中で、充分に敬意を払えば話は聞けそうだなと思しき相手に目星をつける。
柚真人はそこから数十メートルほど離れたところ、なにがしかの夏野菜の畑の中にいるそこそこ老齢の女性に声をかけることにした。
「――すみません」
見慣れない、かつ柚真人くらい若い人間がぽつんとそこにいる姿を見れば、なんだ? という反応をされるのが普通だろう。
そこで柚真人は自分が装っている風体と同じように、フィールドワーク中の研究者であるかのような態を装った。
それでも取りつく島もない扱いをされることもあるが、今回声をかけさせてもらった女性は、柚真人があたりをつけた通り、仕事の手を少し休めて柚真人の相手をしてくれた。
「ぼくは、日本の小さな祠やそういったものが祀られる山に関する伝承とか神様の話を調べている者です。よかったら、こちらの咲白山という山について、少し教えていただきたいのですが――」
という問いかけに対して、彼女から聞けた話は、こうだ。
咲白山と呼ばれる山には、村がここにできたときから守られてきた、と。
そのため、山には祠があって、村を守ってくれてきた『何か』と祀っているのだと。
そして、咲山の家は、だいだいその祠を管理する家であったようだ。『咲山』という苗字や、誠の話からしてもそれは推し量れた。
しかしその家から人がいなくなってしまったので、いまは集落の家がもちまわりでその管理を代行しているらしい。
そうしないと、山は人里を守る存在から災いをもたらす存在になる。
管理というのは、その災いを回避するための山と人里との約束事を遵守するということで、具体的には決められた日には、山に入ってはならないということ。そしてその日には山で獲れたなにがしかの獣を祠に備えること。
その約束を違えると、山に入った人間は山から戻れなくなるし、以降、人は山に入れなくなって、山からの恵みも絶えてしまう。
山では様々な山菜や天然の果実などが取れ、獣ももちろん狩ることができ、かつては村の生活を支えた。
しかし約束を違えた時には、事実、山に入った人が戻らなくなるばかりか山では何も取れなくなり、昔は、たいそう村を困らせたこともあるようだ。
人がいなくなる現象が起こる、という話も、この、山から戻れなくなる、という話がそういうことになるのだろう。実際に、この村の人間以外にも、戻らぬ人間がいるということも、彼女は否定しなかった。
ただ淡々と、ここはむかしからそういう山なんだよといった。
ほんとうに、『そう』なんだ。だから時々やってくるお前さんのような外の人間や、話の通じない部外者を、止めたり諫めたりすることもある。
その約束にともなう昔からの一連の出来事が、本当のところ、いったい『何』によるものなのかはわからない。
たとえば山の祠にも、その『何か』の正体が判別できるようなものはなく、その名前や由来や歴史が記してあるわけではない。
だが、昔からそういう現象は厳然として絶対的に存在し、現在も存続している。
ならば、『何か』は確かに『在る』という他になく、村としては、昔から伝わる約束を守り続けるより他に――ない。
☆
「では本当に、人がいなくなる――ということなんですね」
夜も遅い時間になってなんとか皇の社に帰りついた。
帰宅すると、帰宅路がてら帰ってからもろもろ報告すると連絡しておいたこともあって、優麻が柚真人を待っていた。
軽く用意してもらった遅い夕食つきで、柚真人は優麻と皇邸のダイニングで向き合っている。ちなみにテーブルに用意してあったのはテイクアウトの惣菜と缶ビールだ。
「そういう話は山となればあるあるっちゃーあるあるなんだが」
仕事の片付けと潔斎を終え、部屋着に着替えてきた柚真人は、販売用のパッケージのまま並べられた惣菜のパックから、あっさりめの野菜の和え物を箸で摘みつつ、優麻に頷いで見せた。
「まあ、広い日本、山に棲むモノも伝承も様々だし、そもそも山自体が神域だったり、異界との境界だったり、そのあり様もさまざま――な」
それは、優麻も知っていることだろう。
しかし――柚真人はそこから優麻の目をまっすぐ見て、ふ、とどこかなにかおもしろそうに、唇を歪めた。
「そんなわけで、今回は――俺よりも、《《お前の方が》》詳しそうな話だ」

