吹き荒れる穢れの中心で、宵は静かに軍刀を構え直した。左腕から侵食する黒はすでに胸元近くまで達している。呼吸をするたび苦しそうに肩が揺れているというのに、その顔から笑みだけは消えなかった。
「悪いけど、成仏できずに怨霊化したお前に、僕のことを語る資格はないよ」
「南雲宵!」
「勘違いするなよ」
低く落ちた声は不思議なほど静かだった。
雨に濡れた髪の隙間から覗く瞳は、夜の底を思わせるほど暗く、それでいて刃のような光を宿している。
「ここで消えるのはお前だ」
軍刀の切っ先が真っ直ぐ男を捉える。
「僕じゃない」
次の瞬間だった。
男の術式が爆ぜる。空気そのものを裂くような轟音とともに黒い糸が幾重にも束となり、獲物へ喰らいつこうとする蛇の群れのように宵へ襲いかかった。
けれど宵は退かない。
右手の軍刀が閃くたび黒が裂け、左手で結ばれた印から放たれた術式が白い光となって空間を駆け抜ける。
散った札が光の軌跡を描きながら糸を絡め取り、縛られた穢れを軍刀が容赦なく断ち切っていく。
術と刃は別々のものではなかった。まるで最初からひとつであったかのように重なり合い、ひと息ごとに敵を追い詰めていく。
「破邪三式」
低く呟かれた呪が雨音の中へ溶ける。
「縛」
白い光が床を走った。その輝きに貫かれた瞬間、黒い糸の動きが鈍る。
宵はその隙を逃さなかった。一気に間合いを詰めた軍刀が影を裂き、裂け目から黒い煙が噴き出す。
男が苦悶の声を上げる。怒りに歪んだ顔のまま筆を振り上げると、床へ散らばっていた婚姻札が一斉に宙へ舞い上がった。
雨風に煽られた無数の札が空中を舞っている。そこに滲む文字を見て、透子は息を呑んだ。
書かれているのは女たちの名前だった。本来なら誰かに呼ばれ、その人自身を示すはずだった名前が、役割だけを押しつけられたまま置き去りにされている。
消された名。奪われた名。そして今まさに、その中へ加えられようとしている自分の名。
透子の背筋を冷たいものが走った。
隣に立つ宵から伝わってくる気配が変わったのは、その時だった。
「その札、今すぐ捨てて」
静かな声だった。けれど、その静けさがかえって恐ろしい。
「この名は、儀式の核となる」
「聞こえなかった?」
降り続く雨音の中で、宵の声だけが異様なほど鮮明に響いた。
「汚い手で触るなって言ったんだよ」
次の瞬間、白い札が燃え上がる。
散っていた札が光を帯びながら宙へ舞い上がり、黒い札を包み込むように広がっていく。
その光景を見た途端、宵の姿が掻き消えたように見えた。
床を蹴ったのだと理解した時には、もう軍刀の切っ先が男の喉元へ突きつけられている。
「誰の許可を得て、透子の名を書こうとしてるの」
男は喉を鳴らすように笑った。
「お前に彼女を救えるのか。愛を恐れ、愛から逃げた男が」
透子の心臓が強く跳ねた。その言葉を聞いた瞬間、宵の動きが止まったからだ。
「悪いけど、成仏できずに怨霊化したお前に、僕のことを語る資格はないよ」
「南雲宵!」
「勘違いするなよ」
低く落ちた声は不思議なほど静かだった。
雨に濡れた髪の隙間から覗く瞳は、夜の底を思わせるほど暗く、それでいて刃のような光を宿している。
「ここで消えるのはお前だ」
軍刀の切っ先が真っ直ぐ男を捉える。
「僕じゃない」
次の瞬間だった。
男の術式が爆ぜる。空気そのものを裂くような轟音とともに黒い糸が幾重にも束となり、獲物へ喰らいつこうとする蛇の群れのように宵へ襲いかかった。
けれど宵は退かない。
右手の軍刀が閃くたび黒が裂け、左手で結ばれた印から放たれた術式が白い光となって空間を駆け抜ける。
散った札が光の軌跡を描きながら糸を絡め取り、縛られた穢れを軍刀が容赦なく断ち切っていく。
術と刃は別々のものではなかった。まるで最初からひとつであったかのように重なり合い、ひと息ごとに敵を追い詰めていく。
「破邪三式」
低く呟かれた呪が雨音の中へ溶ける。
「縛」
白い光が床を走った。その輝きに貫かれた瞬間、黒い糸の動きが鈍る。
宵はその隙を逃さなかった。一気に間合いを詰めた軍刀が影を裂き、裂け目から黒い煙が噴き出す。
男が苦悶の声を上げる。怒りに歪んだ顔のまま筆を振り上げると、床へ散らばっていた婚姻札が一斉に宙へ舞い上がった。
雨風に煽られた無数の札が空中を舞っている。そこに滲む文字を見て、透子は息を呑んだ。
書かれているのは女たちの名前だった。本来なら誰かに呼ばれ、その人自身を示すはずだった名前が、役割だけを押しつけられたまま置き去りにされている。
消された名。奪われた名。そして今まさに、その中へ加えられようとしている自分の名。
透子の背筋を冷たいものが走った。
隣に立つ宵から伝わってくる気配が変わったのは、その時だった。
「その札、今すぐ捨てて」
静かな声だった。けれど、その静けさがかえって恐ろしい。
「この名は、儀式の核となる」
「聞こえなかった?」
降り続く雨音の中で、宵の声だけが異様なほど鮮明に響いた。
「汚い手で触るなって言ったんだよ」
次の瞬間、白い札が燃え上がる。
散っていた札が光を帯びながら宙へ舞い上がり、黒い札を包み込むように広がっていく。
その光景を見た途端、宵の姿が掻き消えたように見えた。
床を蹴ったのだと理解した時には、もう軍刀の切っ先が男の喉元へ突きつけられている。
「誰の許可を得て、透子の名を書こうとしてるの」
男は喉を鳴らすように笑った。
「お前に彼女を救えるのか。愛を恐れ、愛から逃げた男が」
透子の心臓が強く跳ねた。その言葉を聞いた瞬間、宵の動きが止まったからだ。


