宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

 如月家の屋敷は、不気味なくらい整っていた。
 透子はかつて、この静けさの中で息を潜めていた。何も言わず、何も望まず、誰かの邪魔にならないように。

 けれど今は違う。
 隣に宵がいる。そして透子は、もう自分の名を知っている。

「――南雲少将」

 父は座敷で二人を迎えた。宵を見るなり、深く頭を下げる。

「本日はどういったご用件でしょうか」
「少し昔話を聞きたくて」

 宵は優雅に微笑んだ。

「十年前、南雲暁臣が廃止しようとした婚姻縛りについて、何かご存知のことは?」

 その瞬間、父の表情が揺れた。それは本当に一瞬のことだった。眉がわずかに動き、張りついたようだった無表情にひびが入る。

 けれど透子は見逃さなかった。
 父は知っている。今の言葉に、心当たりがあるのだ。そうでなければ、あんな顔はしない。

「……何のことでしょう」
「惚けるのが下手ですね」

 宵はにこりと笑った。

「花嫁さんより下手」
「旦那様」
「褒めてるよ」
「褒めていません」

 透子がむっとしながら返すと、宵は目元を和らげた。それから、すぐに父へ視線を戻す。

「あなたは南雲暁臣の側近だったらしいですね」
「どこでそれを――」
「調書に書いてあったのです」

 宵は軍帽を剥ぎ取るように下ろす。

「あなたなら知っているはずだ。花嫁の名を簪に縛る儀式――政略結婚を支えるために使われていた古い呪術のことを」

 父は黙った。

「消えた花嫁たち。南雲家に届いた脅迫状。僕の母の簪。全部、その儀式に繋がっている」
「……それは、すでに廃止されたものです。暁臣様が廃止を進められ、私も関わりました。しかし、あれはもう終わった話です」
「終わってないから、花嫁が消えているのですが」

 宵は呆れたように笑いながら、片膝を立てた。