宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

 如月家へ向かう車の中で、二人はほとんど言葉を交わさなかった。

 窓の外を、帝都の街並みが流れていく。灰色の空の下、瓦屋根と洋館、軍服の兵士たち、朝廷の尖塔が薄い靄に包まれていた。

 透子は隣に座る宵を見た。
 黒い軍服を纏う宵は、冷たく、美しく、人を寄せつけない雰囲気を晒し出している。
 けれど透子は知っている。その下に、昨夜震えていた人がいる。怖かった、と呟いた人がいる。君がいなくなるかと思った、と言った人がいる。

「旦那様」
「何?」
「怒っていますか」
「うん」

 あっさり認められて、透子は瞬きをした。

「私に、でしょうか」
「いいや、事件に関わった連中に」

 宵の声は穏やかだった。

「もしも君の父上が関わっていたのなら、僕はたぶん許せない」

 透子はきゅっと唇を引き結んだ。
 父を庇いたいわけではない。けれど父は、透子にとって家族だった。名前を呼ばず、見ようとせず、家の都合で透子を南雲家へ差し出した人だけれど、完全な悪人だとは思えないのだ。

「父は、悪い人ではありません」
「そうだね。悪い人間だけが人を傷つけるなら、世の中はもっと簡単だった」

 透子は何も返せなかった。その通りだと思ったからだ。
 晴臣も、彩子も、父も母も。誰も透子を傷つけようとしていたわけではない。ただ、見なかっただけだ。透子が何も言わないから大丈夫だと決めつけ、傷ついていないふりをする透子に甘えた。
 そして透子自身も、それを受け入れてきた。

「怖い?」
「旦那様は?」
「……そうだね、怖いよ。君がまた傷つくのを見るのが」

 宵は眉根を寄せながら窓の外を見ている。

「僕の花嫁が目の前で傷つくと、後味が悪いからね」
「そういう言い方をなさるのですね」
「うん。僕だから」

 肩の力を抜くような返事に、透子は思わず口元を緩めた。
 張り詰めていた空気はほんの少しだけ和らいだものの、それで昨夜の出来事が消えたわけではない。

 好きになったら離婚だと告げたことも、自分を遠ざけようとしたことも、怖いほど取り乱した宵の表情も、透子の胸にはまだ鮮やかに残っていた。

 守りたいと願いながら手放そうとする人と、その手を離したくないと思ってしまった自分。
 言葉にならない想いばかりが行き場を失ったまま、揺れる車内の静寂へ静かに沈んでいく。