宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

 ――私たちは必要だった。
 声が言う。
 ――でも、愛されなかった。

 透子は目を伏せた。
 見てもらえないこと。呼ばれないこと。そこにいるのに、誰にも見つけてもらえないこと。その寂しさなら、透子にも分かる気がした。
 だから花嫁たちの声は、責めるようには聞こえなかった。むしろ、同じ傷を抱えた者同士が寄り添うような、静かな優しさを帯びていた。

 ――さあ、こちらへ。
 ――あなたも、同じでしょう。

 白い袖が、透子へ向かってふわりと揺れる。その声に引かれるように、透子の足が一歩、前へ出かけた。

 寂しかった。苦しかった。名前を呼んでほしかった。必要だと言ってほしかった。その想いは、決して嘘ではない。透子の中にも確かにある。だからこそ、白い花嫁たちの声は、あまりにも優しく胸へ入り込んでくる。

 その時だった。
 どこか遠くから、透子を呼ぶ声が聞こえた。

 ――透子。

 透子ははっと顔を上げる。
 聞き間違えるはずがない。宵の声だ。
 優しいものではない。少し困ったような、どこか呆れたような、それでも確かに透子を呼ぶ声だった。
 花嫁ではなく、奥方様でもなく、透子、と。
 白い花嫁たちは、なおも静かに囁いた。

 ――名を渡して。

 透子はゆっくりと首を振った。

「嫌です」

 その声は、自分でも驚くほど静かだった。
 白い空間が沈黙する。囁き合うような音が聞こえていたが、それらは不思議がるような声へと変わった。

 ――どうして?

 透子は花嫁たちを見つめた。苦しくて、胸が締めつけられて、泣きたくなる。それでも目を逸らすことはできなかった。

「寂しいのは、同じかもしれません。苦しいのも、きっと同じなのだと思います」

 声が震える。それでも透子は、胸へ手を当てて続けた。

「でも、私はあなたたちではありません」

 白い世界が、かすかに揺れた。

「私には、名前があります」

 ――透子。

 また、どこからか声がする。
 その名は自分のものだ。誰にも必要とされなかったと思っていたけれど、今は違う。呼んでくれる人がいる。探してくれる人がいる。失うことを怖がってくれる人がいる。

「私には、呼んでくれる人がいるのです」

 その瞬間、白い世界のどこかで、小さなひび割れの音がした。
 薄氷が割れるような音だった。
 花嫁たちの姿が揺らぐ。泣いているようにも、微笑んでいるようにも見えた。その中から最後に、たった一人の声だけが透子へ届く。

 ――羨ましい。
 透子の胸が強く締めつけられる。
 ――呼ばれたのね。
 その声はあまりにも寂しく、そして優しかった。
 次の瞬間、白い間は音もなく静かに崩れ落ちた。