夕餉の席は、夫婦の初日とは思えないほど静かだった。
長い卓の向かいに宵が座り、透子はその正面に案内された。和食に洋食の作法が混じった、不思議な膳だった。漆器の隣に西洋の器が並んでいるせいか、この家の空気はいっそう掴みどころのないものに見える。
宵は箸を取りながら、何の前触れもなく話を始めた。
「ところで花嫁さん、君、久世晴臣と婚約してたんだって?」
透子の指がぴくりと止まった。
「……はい」
「正統派だよね、あの男。背が高くて、爽やかで、誰にでも親切で、顔もそこそこ。世の中のご令嬢には僕よりああいう方が受けそう」
「……旦那様」
「何?」
「どうしてその話をなさるのですか」
「書類にあったから」
宵は当然のように言う。
「君の経歴も、家族構成も、婚約歴も、だいたい読んだよ。花嫁を迎えるなら、それくらいはする」
「……そうですか」
「嫌だった?」
いいえ、と透子は静かに否定する。
「へえ。怒らないんだ」
「怒るほどのことではありませんから」
「そうかな」
宵は箸を置き、頬杖をついた。
「僕なら怒るけど」
透子は顔を上げた。
宵は笑っている。けれど、その笑みは少しも透子へ届いてこない。まるで分厚い硝子越しに向けられているようだった。
「自分を捨てた男のことを、書類一枚で他人に知られるなんて、不愉快じゃない?」
「捨てられたわけではありません。家同士の都合です」
「ふうん。家同士の都合ね」
宵は張り付けたような薄い笑顔を浮かべた。
「誰かを傷つける時、大人はよくそれを使うよね」
透子は今度こそ動きを止めた。
その通りだと思ったけれど、肯首することはできなかった。
晴臣が彩子と婚約すると聞かされた日、父は「家のためだ」と言った。母は「仕方がないわ」と言った。彩子は申し訳なさそうに眉を下げていた。そして晴臣は、君なら平気だろう、と言った。
誰も悪人ではなかった。だから透子の怒りは、向かう先をなくしたまま胸の底へ沈んだのだ。
「ねえ、花嫁さん」
宵はゆるく目を細めた。その仕草は変わらないのに、不思議と部屋の空気だけが静まった気がした。
「君は、あの男がまだ好き?」
「……どうして、そのようなことを」
「気になるから」
「旦那様が、ですか?」
「うん」
あまりにもあっさり認めるので、透子は少し戸惑った。
宵はふふっと小さく笑う。
長い卓の向かいに宵が座り、透子はその正面に案内された。和食に洋食の作法が混じった、不思議な膳だった。漆器の隣に西洋の器が並んでいるせいか、この家の空気はいっそう掴みどころのないものに見える。
宵は箸を取りながら、何の前触れもなく話を始めた。
「ところで花嫁さん、君、久世晴臣と婚約してたんだって?」
透子の指がぴくりと止まった。
「……はい」
「正統派だよね、あの男。背が高くて、爽やかで、誰にでも親切で、顔もそこそこ。世の中のご令嬢には僕よりああいう方が受けそう」
「……旦那様」
「何?」
「どうしてその話をなさるのですか」
「書類にあったから」
宵は当然のように言う。
「君の経歴も、家族構成も、婚約歴も、だいたい読んだよ。花嫁を迎えるなら、それくらいはする」
「……そうですか」
「嫌だった?」
いいえ、と透子は静かに否定する。
「へえ。怒らないんだ」
「怒るほどのことではありませんから」
「そうかな」
宵は箸を置き、頬杖をついた。
「僕なら怒るけど」
透子は顔を上げた。
宵は笑っている。けれど、その笑みは少しも透子へ届いてこない。まるで分厚い硝子越しに向けられているようだった。
「自分を捨てた男のことを、書類一枚で他人に知られるなんて、不愉快じゃない?」
「捨てられたわけではありません。家同士の都合です」
「ふうん。家同士の都合ね」
宵は張り付けたような薄い笑顔を浮かべた。
「誰かを傷つける時、大人はよくそれを使うよね」
透子は今度こそ動きを止めた。
その通りだと思ったけれど、肯首することはできなかった。
晴臣が彩子と婚約すると聞かされた日、父は「家のためだ」と言った。母は「仕方がないわ」と言った。彩子は申し訳なさそうに眉を下げていた。そして晴臣は、君なら平気だろう、と言った。
誰も悪人ではなかった。だから透子の怒りは、向かう先をなくしたまま胸の底へ沈んだのだ。
「ねえ、花嫁さん」
宵はゆるく目を細めた。その仕草は変わらないのに、不思議と部屋の空気だけが静まった気がした。
「君は、あの男がまだ好き?」
「……どうして、そのようなことを」
「気になるから」
「旦那様が、ですか?」
「うん」
あまりにもあっさり認めるので、透子は少し戸惑った。
宵はふふっと小さく笑う。


