宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

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 帝都西区は、その日も朝から騒がしかった。
 失踪した花嫁の実家である香坂家には、軍府の術者や朝廷の役人たちがひっきりなしに出入りしている。門前にはいつの間にか野次馬まで集まり始めており、人払いに当たる衛兵たちの声が時折風に乗って聞こえてきた。

 婚礼を目前にした娘が姿を消した。それだけでも十分に人々の関心を集める出来事だったが、それが短期間のうちに三件続けば話は別だ。

 帝都にはすでに様々な噂が流れ始めている。呪物の仕業だという者もいれば、古い婚礼儀式が蘇ったのだと囁く者もいる。そして最近では、南雲家へ届いた脅迫状の話まで人々の口に上るようになっていた。

 応接間の障子は開け放たれていたが、室内を満たす空気は重い。卓上へ置かれた黒い糸を見つめながら、宵は静かに報告書へ目を落としていた。

 濡れた髪のように細く長い糸は、光を吸い込むような黒色だ。これまでの失踪現場に残されていたものと寸分違わない。
 術式の痕跡はほとんど消えているにもかかわらず、穢れだけが異様なほど濃く残っていた。
 それはまるで、長い時間をかけて育てられた執着そのもののように見える。

「南雲少将」

 向かいに座る香坂家当主が重たげな声で口を開いた。
 ここ数日のうちに何年も老け込んでしまったような顔だった。

「娘は……無事なのでしょうか」

 その問いには、どうか希望を残してほしいという祈りが滲んでいた。
 まだ生きていると言ってほしい。間に合うと言ってほしい。それらは親として当然の願いだ。
 けれど宵は、その願いに安易な言葉を返す人間ではない。

「まだ分かりません。だから調べています」

 それ以上は言わなかった。
 慰めも、希望も、絶望も。分からないものを分かったように語る方が、よほど残酷だと知っているからだった。
 香坂家当主もそれを察したのだろう。小さく俯き、それ以上言葉を重ねることはなかった。

 重い沈黙が応接間へ落ちる。
 誰もが次の手掛かりを待ちながら、卓上の黒い糸を見つめていた。
 その時だった。

「お父様ったら、南雲少将がお越しなら、わたくしにもお声がけくださいまし」

 華やかな声とともに、若い娘が応接間へ入ってきた。
 艶やかに結い上げた髪に、流行を取り入れた着物。美しい娘だったが、その顔に妹を案じる影は薄い。むしろ、何かと噂になる宵を前にした好奇心の方が勝っているように見えた。

「百合乃、今は」

 香坂家当主が慌てて制したが、百合乃は気にした様子もなく宵へ向き直った。

「はじめまして、南雲少将。娘の百合乃と申します」

 宵は報告書から顔を上げなかった。その沈黙だけで、術者たちはそろって息を潜める。南雲宵を知る者ほど、この無言の冷たさをよく知っていた。