宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

 透子が南雲家へ来て、半月が過ぎた。
 花嫁と呼ばれることには、まだ実感が伴わない。宵と夫婦らしい日々を重ねているわけではなく、食事の席でさえ彼の仕事次第で、北棟の灯りが夜更けまで消えないことも珍しくなかった。
 それでも、透子の日々は少しずつ輪郭を持ちはじめていた。

 朝になると、八重が襖の向こうから名を呼ぶ。

「透子様、お目覚めでいらっしゃいますか」

 その声に返事をして、庭に面した廊下を歩く。初めて見た時には冷たく、人を拒むばかりに思えた白砂の庭も、今では朝の光の中で少しだけ静かな顔を見せる。

 南雲家は相変わらず痛い家だ。壁や柱に染みついた孤独は消えず、北棟からは夜ごと深い黒が滲んでくる。

 それでも、自分の名を呼んでくれる人がいるだけで、同じ廊下が少し違って見えるのだと、透子は知りはじめていた。

 居場所とは、部屋や座る場所のことではないのかもしれない。誰かがそこにいると認めてくれること。名を呼ばれ、返事をすること。ただそれだけで、人は少しだけ透明ではなくなる。

 そう思うようになった自分に、透子は戸惑っていた。
 南雲家に慣れてはいけない。宵を気にしてはいけない。好きになったら離婚――初めて会った夜に告げられたその言葉は、今も胸の奥に残っている。

 それなのに、朝餉の席に宵が現れない日は、無意識に空いた席を見てしまう。夜更けに北棟から足音が聞こえると、眠っていたはずの耳がそれを拾ってしまう。

 それが心配なのか、ただ気になるだけなのか、透子にはまだ分からなかった。


 その朝、宵は珍しく朝餉の席にいた。
 黒い軍服姿は相変わらず隙なく整っていたが、襟元はわずかに緩く、目の下には薄い影がある。透子は席に着くなり、ついその顔を見てしまった。

「花嫁さん」

 宵は湯呑を片手に、眠たげな目を細める。

「その顔、よくない」
「どのような顔でしょうか」
「僕が眠っていないのではないかと疑っている顔」

 透子は言葉に詰まった。あまりにも当たっていたからだ。
 宵は勝ち誇るでもなく、ただ面白そうに笑う。

「分かりやすくて助かるね」
「眠っていないのですか」
「寝たよ」
「何時間ですか」
「……一時間半くらい?」
「それは寝たとは言いません」
「花嫁さん、厳しい」
「旦那様が聞き分け悪いからです」

 言ってから、透子は自分の言葉に少し驚いた。以前なら、こんなふうに返せなかった。人を責めるような言葉は、口にする前に飲み込んでいた。相手が困ると思ったからだ。
 けれど宵は困るどころか、少し嬉しそうに笑った。

「本当に遠慮がなくなってきたね」
「旦那様が遠慮なくおっしゃるので」
「僕のせい?」
「はい」
「何でも僕のせいにする」
「実際そうなので」

 宵は喉の奥で小さく笑った。朝の光の中で、その笑みはほんの少しだけやわらかく見える。