宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

 会議が終わり、宵が控室へ戻ってきた時、透子はまだ窓の外を見ていた。

「花嫁さん」

 呼ばれて振り向くと、宵は透子の顔を見るなり眉をひそめた。

「僕がいない間に、誰かに何か言われた?」
「……どうして分かるのですか」
「顔。君、全部出るから」

 宵は部屋へ入り、扉を閉めた。

「榊?」
「はい」
「あの人、真面目だからね。余計な忠告をしたんだろう」
「深入りしない方がいいと」
「正しいね」

 宵は即答した。透子の胸に、小さな棘のようなものが残る。

「旦那様も、そう思うのですか」
「思うよ」
「……そうですか」
「君は僕に深入りしない方がいい」

 宵は窓辺に立ち、外を見る。

「僕も、君に深入りしない方がいい」

 その声は静かだった。
 透子は宵の横顔を見る。綺麗で、冷たくて、そしてどうしようもなく寂しい横顔だ。

「私は、旦那様のことをまだ何も知りません」
「知らなくていい」
「でも、知りたいと思っています」

 宵の表情が消えた。
 言ってしまった、と透子は思う。けれど撤回したくはなかった。

「優しくしたいわけではありません」
「それ、嘘だよ」
「……少しは、そうかもしれません」
「正直だね」
「ただ……旦那様があまりに痛そうなので、見ないふりができません」

 沈黙が落ちた。軍府の外で、鈴が鳴る。ちりん、と細く。
 宵はゆっくり透子を見た。その目には怒りも、皮肉もない。
 ただ、ひどく傷ついたような色が一瞬だけ浮かんだ。

 透子は息を止める。
 次の瞬間、宵は笑った。いつもの、綺麗で最悪な笑みだった。

「花嫁さん」
「はい」
「それ以上言ったら、離婚するよ」

 胸が痛んだ。冗談のように聞こえる。けれど、冗談ではない。
 透子は唇を引き結ぶ。

「……好きになったら、ではないのですか」
「似たようなものだよ」
「違います」
「違わない」

 宵は透子の横を通り過ぎる。

「帰るよ。ここに長くいると、面倒な人間に絡まれる」
「旦那様」
「今度は何?」
「私はまだ、旦那様を好きになってはいません」

 宵の足が止まった。
 透子は自分でも何を言っているのか分からなくなりながら、それでも続ける。

「でも、知りたいと思うことも、心配することも、離婚の理由になりますか」

 宵は振り返らなかった。
 少しの間、沈黙が落ちる。やがて彼は、吐息を零すように笑った。

「本当に困るなあ」

 そして、こちらを見ないまま歩き出す。

「帰ろう、花嫁さん」

 その声は、先ほどより少しだけ掠れていた。