会議の間、透子は控室で待つことになった。
窓の外には、軍府の中庭が見えている。灰色の建物に囲まれた四角い庭の中央には枯れかけた梅の木があり、その細い枝には白い札がいくつも結ばれていた。風が吹くたびに札の端がかすかに揺れ、紙擦れの音だけが部屋の静けさへ滲んでいく。
控室には、透子のほかに文官らしい男が一人いた。
背筋の伸びた、細身の男だった。軍府の制服に近い濃紺の洋装をきちんと着こなし、年は三十前後に見える。涼しげな目元と整った所作には、軍人とは違う静かな硬さがあった。
男は透子を見ると、丁寧に一礼した。
「南雲少将の奥方様でいらっしゃいますね」
「はい。透子と申します」
「私は軍府文書局の榊と申します。陰陽寮関連の記録管理を担当しております」
榊は落ち着いた物腰をしていて、いかにも軍府で長く働いてきた者らしい慎重さがあった。強く声を張るわけではないのに、そこにいるだけで場の空気を整えるような人だった。
「まさか南雲少将が奥方様をお連れになるとは」
「私も、理由はよく分からなくて」
「そうですか」
榊は穏やかに微笑んだ。けれど、その笑みの奥には探るような色がある。
「少将は、あまり人を近づけない方ですから」
「……そうなのですか」
「ええ。特に、ご自分を心配する人間は遠ざけます」
透子は思わず指先を握った。
榊はその小さな反応にも気づいたようだった。
「失礼しました。余計なことを申しました」
「いえ」
「ただ、奥方様にひとつだけ」
榊は透子をまっすぐ見た。
「南雲少将に深入りなさらない方がよろしいかと」
透子の身体の奥が、静かに冷えた。
「それは、どういう意味でしょうか」
「少将は、優しくされることを嫌います。そのうえ、近づいた人間を遠ざけるのがとてもお上手です」
榊の声は淡々としていた。けれど、その胸の奥には薄い青の孤独が見えた。
これは忠告だ。敵意ではない。
たぶんこの人も、宵に近づこうとして遠ざけられたことがあるのだろう。透子はそう感じた。
「榊様は、旦那様をよくご存じなのですね」
そう尋ねると、榊はそっと目を伏せた。
「仕事上は」
「仕事上」
「それ以上には、誰もなれません」
その言葉は静かだった。けれど、透子の胸に小さく刺さった。
誰も、なれない。
宵自身がそうしているのだろう。誰かが近づけば、笑って、刺して、追い払う。それが彼の生き方なのだと、透子も少しずつ分かり始めていた。
「ご忠告、ありがとうございます」
透子は丁寧に頭を下げた。
榊は少し意外そうに目を瞬かせる。
「怒らないのですね」
「怒るようなことではありませんから」
「……南雲少将が、あなたを連れてきた理由が少し分かりました」
「え?」
「いいえ」
榊は書類を手に立ち上がった。
「奥方様、どうかお気をつけください。花嫁失踪の件、噂だけでは済まなくなっています」
「榊様」
「あなたは今、帝都で最も危うい花嫁です」
そう言い残して、榊は控室を出ていった。
扉が閉まったあとも、透子はしばらく動けなかった。
帝都で最も危うい花嫁。その言葉が、胸の底へゆっくり沈んでいく。
窓の外には、軍府の中庭が見えている。灰色の建物に囲まれた四角い庭の中央には枯れかけた梅の木があり、その細い枝には白い札がいくつも結ばれていた。風が吹くたびに札の端がかすかに揺れ、紙擦れの音だけが部屋の静けさへ滲んでいく。
控室には、透子のほかに文官らしい男が一人いた。
背筋の伸びた、細身の男だった。軍府の制服に近い濃紺の洋装をきちんと着こなし、年は三十前後に見える。涼しげな目元と整った所作には、軍人とは違う静かな硬さがあった。
男は透子を見ると、丁寧に一礼した。
「南雲少将の奥方様でいらっしゃいますね」
「はい。透子と申します」
「私は軍府文書局の榊と申します。陰陽寮関連の記録管理を担当しております」
榊は落ち着いた物腰をしていて、いかにも軍府で長く働いてきた者らしい慎重さがあった。強く声を張るわけではないのに、そこにいるだけで場の空気を整えるような人だった。
「まさか南雲少将が奥方様をお連れになるとは」
「私も、理由はよく分からなくて」
「そうですか」
榊は穏やかに微笑んだ。けれど、その笑みの奥には探るような色がある。
「少将は、あまり人を近づけない方ですから」
「……そうなのですか」
「ええ。特に、ご自分を心配する人間は遠ざけます」
透子は思わず指先を握った。
榊はその小さな反応にも気づいたようだった。
「失礼しました。余計なことを申しました」
「いえ」
「ただ、奥方様にひとつだけ」
榊は透子をまっすぐ見た。
「南雲少将に深入りなさらない方がよろしいかと」
透子の身体の奥が、静かに冷えた。
「それは、どういう意味でしょうか」
「少将は、優しくされることを嫌います。そのうえ、近づいた人間を遠ざけるのがとてもお上手です」
榊の声は淡々としていた。けれど、その胸の奥には薄い青の孤独が見えた。
これは忠告だ。敵意ではない。
たぶんこの人も、宵に近づこうとして遠ざけられたことがあるのだろう。透子はそう感じた。
「榊様は、旦那様をよくご存じなのですね」
そう尋ねると、榊はそっと目を伏せた。
「仕事上は」
「仕事上」
「それ以上には、誰もなれません」
その言葉は静かだった。けれど、透子の胸に小さく刺さった。
誰も、なれない。
宵自身がそうしているのだろう。誰かが近づけば、笑って、刺して、追い払う。それが彼の生き方なのだと、透子も少しずつ分かり始めていた。
「ご忠告、ありがとうございます」
透子は丁寧に頭を下げた。
榊は少し意外そうに目を瞬かせる。
「怒らないのですね」
「怒るようなことではありませんから」
「……南雲少将が、あなたを連れてきた理由が少し分かりました」
「え?」
「いいえ」
榊は書類を手に立ち上がった。
「奥方様、どうかお気をつけください。花嫁失踪の件、噂だけでは済まなくなっています」
「榊様」
「あなたは今、帝都で最も危うい花嫁です」
そう言い残して、榊は控室を出ていった。
扉が閉まったあとも、透子はしばらく動けなかった。
帝都で最も危うい花嫁。その言葉が、胸の底へゆっくり沈んでいく。


