宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

 会議室へ向かう廊下を曲がったところで、宵は足を止めた。

「花嫁さん」
「はい」
「君、まだあの男が好き?」

 唐突な質問に、透子は思わず宵を見上げる。
 宵は前を向いたままだった。整った横顔にはいつもと変わらない無関心そうな表情が浮かんでいる。けれど、機嫌が悪そうにも見えた。

「……分かりません」
「またそれ?」
「分からないものは、分からないので」
「ふうん。はっきりしないね」
「そういう旦那様はどうなのでしょうか」
「僕が何?」
「都合が悪くなると、すぐ茶化すところです」

 宵がぴたりと黙る。
 言い過ぎただろうかと透子が少しだけ不安になった頃、宵はふっと肩を揺らした。

「花嫁さん、僕に遠慮がなくなってきたね」
「申し訳」
「謝らない」
「……気をつけます」
「よろしい」

 すっかり慣れたやり取りだ。
 それなのに、なぜだろうか。どこか少しだけ空気が違うような気がした。
 しばらく沈黙が続いたあと、宵は声を落とした。

「ああいう男が好きなら、君は僕といるべきじゃない」

 透子は小さく瞬きをする。

「どういう意味ですか」
「言葉通り。久世晴臣は、分かりやすく良い男だ。明るくて、まっすぐで、君を普通に幸せにしそうな顔をしている」

 どこか投げやりにも聞こえる口調だった。だからこそ、透子は問い返していた。

「旦那様はご自分を、どう思っているのですか」
「性格が悪くて、暗くて、面倒で、みんなから嫌われてる男」

 淀みのない声だった。冗談でも自虐でもない。ただ事実を述べるような響きに、透子は思わず息を詰める。

「それを、笑って言わないでください」
「また怒った」
「怒ります」
「どうして?」
「旦那様が、ご自分を悪く言うからです」

 その瞬間、宵が透子を見た。
 ほんの一瞬だけ、その瞳が揺れる。何か言いかけるように唇が動いたが、結局それは言葉にならなかった。

「……君、本当に困る」
「また困るのですか」
「うん。かなり」

 宵は視線を逸らす。その横顔は、どこか居心地が悪そうだった。

「君みたいなのに怒られると、調子が狂う」
「私みたいなの、とは」
「自分のことは我慢するくせに、人のことになると妙に頑固な子」

 透子は言い返せなかった。否定できない気がしたからだ。
 宵は息を吐くと、それ以上その話を続ける気はないと言うように歩き出した。