宵の花嫁ー帝都婚姻録ー

「できません」
「どうして」
「私も花嫁だからです」

 宵は何も答えなかった。その沈黙が、かえって答えのように思える。

「やはり何か関係があるのですね」
「君に話すことじゃない」
「でも、旦那様はその件で傷を負ったのでしょう」
「違う」
「違いません」

 即座に返した透子を見て、宵は呆れたように笑った。

「花嫁さん」
「はい」
「君、たまに本当に可愛くないね」
「すみません」
「謝るところじゃない」

 宵は呆れ混じりの溜め息を一つ吐くと、観念したように椅子の背へ身体を預けた。

「花嫁が消えている」

 低く落とされた声には、先ほどまでの軽さがなかった。

「この半月で三人。全員、軍府か陰陽寮に関わる家へ嫁ぐ予定だった娘たちだ。誘拐なのか、逃亡なのか、それとも呪詛なのか。まだ何も分かっていない」
「旦那様は、それを調べているのですか」
「僕の仕事だからね」

 そう答える声には、疲労とも諦めともつかない響きが混じっていた。

 透子は黙って手巾を取り出す。
 宵の手に直接触れる勇気はまだない。けれど、黒く滲む指先をそのままにはしておけなかった。

「拭いても?」

 透子がそう尋ねると、宵は黒く染まった指先へ視線を落とした。

「意味ないよ」
「それでもです」

 ためらいなく返した言葉に、宵は小さく肩を竦める。

「君って無駄なことが好きだね」
「そうかもしれません」

 透子は頷いて、そっと手巾を宵の指先へ当てた。
 黒い穢れが消えることはない。それでも布越しに触れた指先からは、張り詰めていた熱がほんのわずかだけ和らいだような気がした。

 どちらからともなく言葉は途切れ、部屋には静かな時間だけが流れていく。

 障子の向こうでは夜風に揺れた木々がかすかな音を立て、その影が淡く室内へ落ちていた。

 宵の手は細く白い。けれどその奥には、燃え残った火種のような熱と痛みが沈んでいる。
  
「花嫁さん」

 不意に呼ばれ、透子は顔を上げた。

「君はどうして、そんな顔をするの」
「どんな顔でしょうか」
「痛いのは僕なのに、君の方が痛そうな顔をしてる」

 透子は思わず手を止めた。

 どう答えればいいのか分からない。
 それは――見えてしまうからだ。彼が抱えている痛みも、孤独も。けれど、それを口にしてしまえば、きっと踏み込んではいけない場所まで足を踏み入れることになる。