宵が軍府へ出かけてから、屋敷はいつも以上に静かになった。
透子は八重に頼まれ、奥向きの部屋で古い反物の整理を手伝っていた。
「奥方様にこのようなことをお願いするのは、恐れ多いのですが」
「構いません。むしろ、何かしていた方が落ち着きます」
実家でも、透子はよく雑事をしていた。
彩子の支度を手伝い、母の客人に出す菓子を用意し、父の書類を運ぶ。誰かに頼まれることは嫌いではなかった。必要とされている気がするから。
けれど、南雲家での手伝いは少し違う。
八重は透子を便利に使うのではなく、きちんと礼を言ってくれる。
「透子様、ありがとうございます」
そのたびに、透子はまだ慣れない温かさを覚える。
名前を呼ばれる。それだけのことが、こんなにも落ち着かないとは。
反物を畳んでいると、若い女中たちの話し声が廊下の向こうから聞こえてきた。
「また、だそうよ」
「また?」
「花嫁様が消えたって」
透子の手が止まる。
八重は眉をひそめていた。
女中たちは透子たちがいることに気づいていないようだ。
「どこのお家?」
「篠宮家。陰陽寮と縁のある家の次男に嫁ぐはずだった娘さん」
「これで三人目じゃない?」
「怖いわよね。花嫁ばかり」
花嫁ばかり――消えているという事件があったのだろうか。彼女たちの話の続きを待っていると、八重が静かに立ち上がり、襖を開け放った。
女中たちは驚いて頭を下げる。
「八重様」
「仕事中の私語は慎みなさい」
「申し訳ありません」
女中たちは慌てて去っていった。
八重は戻ってきたが、その表情は少し硬い。
「八重さん」
「奥方様のお耳に入れるような話ではございません」
「花嫁が消えた、というのは」
「あくまで噂でございます」
八重はすぐにそう言った。
「帝都では、不安な出来事があるとすぐ尾ひれがつきます」
「でも、三人目と」
「透子様」
八重の声には、これまで聞いたことのない強さが滲んでいた。
透子はそれ以上言葉を重ねることができず、口を閉ざす。けれど八重もまた、言い過ぎたと思ったのだろう。次の瞬間には穏やかな微笑を浮かべていた。
「この件に関しましては、旦那様のお戻りをお待ちください」
「……はい」
そう答えたものの、透子の中には不安が生まれていた。
花嫁ばかりが消えている。その言葉は、噂話として聞き流すにはあまりにも冷たく、透子の胸の奥へ沈んだ。
自分もまた、花嫁と呼ばれている。
宵が何度も口にするその呼び名が、今だけは少し違って聞こえた。距離を置くための言葉ではなく、何かに目印をつけられているような、不吉な響きを帯びていた。
透子は八重に頼まれ、奥向きの部屋で古い反物の整理を手伝っていた。
「奥方様にこのようなことをお願いするのは、恐れ多いのですが」
「構いません。むしろ、何かしていた方が落ち着きます」
実家でも、透子はよく雑事をしていた。
彩子の支度を手伝い、母の客人に出す菓子を用意し、父の書類を運ぶ。誰かに頼まれることは嫌いではなかった。必要とされている気がするから。
けれど、南雲家での手伝いは少し違う。
八重は透子を便利に使うのではなく、きちんと礼を言ってくれる。
「透子様、ありがとうございます」
そのたびに、透子はまだ慣れない温かさを覚える。
名前を呼ばれる。それだけのことが、こんなにも落ち着かないとは。
反物を畳んでいると、若い女中たちの話し声が廊下の向こうから聞こえてきた。
「また、だそうよ」
「また?」
「花嫁様が消えたって」
透子の手が止まる。
八重は眉をひそめていた。
女中たちは透子たちがいることに気づいていないようだ。
「どこのお家?」
「篠宮家。陰陽寮と縁のある家の次男に嫁ぐはずだった娘さん」
「これで三人目じゃない?」
「怖いわよね。花嫁ばかり」
花嫁ばかり――消えているという事件があったのだろうか。彼女たちの話の続きを待っていると、八重が静かに立ち上がり、襖を開け放った。
女中たちは驚いて頭を下げる。
「八重様」
「仕事中の私語は慎みなさい」
「申し訳ありません」
女中たちは慌てて去っていった。
八重は戻ってきたが、その表情は少し硬い。
「八重さん」
「奥方様のお耳に入れるような話ではございません」
「花嫁が消えた、というのは」
「あくまで噂でございます」
八重はすぐにそう言った。
「帝都では、不安な出来事があるとすぐ尾ひれがつきます」
「でも、三人目と」
「透子様」
八重の声には、これまで聞いたことのない強さが滲んでいた。
透子はそれ以上言葉を重ねることができず、口を閉ざす。けれど八重もまた、言い過ぎたと思ったのだろう。次の瞬間には穏やかな微笑を浮かべていた。
「この件に関しましては、旦那様のお戻りをお待ちください」
「……はい」
そう答えたものの、透子の中には不安が生まれていた。
花嫁ばかりが消えている。その言葉は、噂話として聞き流すにはあまりにも冷たく、透子の胸の奥へ沈んだ。
自分もまた、花嫁と呼ばれている。
宵が何度も口にするその呼び名が、今だけは少し違って聞こえた。距離を置くための言葉ではなく、何かに目印をつけられているような、不吉な響きを帯びていた。


